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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ひとは心で納得したことを むしろ嫌うのか?)

ひとは心で納得したことを むしろ嫌うのか?

noname#180065の回答

noname#180065
noname#180065
回答No.5

そんなに驚かれましたか。。 自分が見る目がないと感じますね。 そういう風に言われて考えてみると、 絵について話したりだとか、政治に関して話したりする場合に 一緒に自分の位置までおりて話す人がいませんね。 知らないなら、質問をするなと言う感じに受け止められます。 知識のないものは話すものではないと。 あとは、自分の知識の無さが恥ずかしいと感じます。 私が勝手に感じていますね。話していて気づきました。 専門家になるくらい勉強してから話すべきだと感じています。 ですが、専門家になるための知識と、先程の自身の感動を考えると また意味が変わってきます。答えになっていない。 それはそれ。で考えるほどの自信がない。 私が専門家になったら、薄っぺらいなと感じました。。 やっぱりならないです。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですか。たしかに現実は現実ですし また別の角度からみれば――おっと またたびさん ご回答をありがとうございます―― 一歩一歩を踏みかためて歩くという堅実な態度でもあるように見えますが。  そうですね。専門家というのは手にわざをつけるといった場合を別として知識の問題であれば――これも 現場の体験とそれを積むという経験を別にしなければならないかも分かりませんが―― けっきょくその知識のゆたかさと ひとりの人間(また家族の一員)としての生活全般とのあいだが どのようになっているか。これはまた 人それぞれではないでしょうか。  専門の知識および経験が 生活全般とうまく合っていて たしかに何もかもゆたかに暮らしていると思える人の場合もあるでしょうが それほど簡単にコトは運ばないようにも思えます。  (あぁ ワーク・ライフ・バランスという言葉がありますね)。  すなわちつまり ここで言うアマテラス普遍語に精通した人の場合 素朴な生活者としてのスサノヲ人間語とのあいだに 多少とも何がしかの溝があるように思います。もっと言えば 専門家として名を成せば成すほど そのギャップは埋まるのではなくかえって深まって行くのではないか。そういぢわるく見がちになっても仕方がないほど その専門知識の活用では――おもに人文科学や思想のほうですが――必ずしも建設的ではないという印象を持つことが多いです。  これも ただ自分だけの印象であり感覚であると言われればおしまいですが わたしはもっとこれらの専門家の主張や発言にかんして 一般の人びとがツッコミを入れてもよいと思います。それによって さらによい内容の思想なら思想が生まれて来るのではないか。そう思います。  といったところで 話は単なる感想のたぐいになってしまいました。わたくしのほうは この主観と世間の流れとのあいだの違いを指摘したところで しりぞいたほうがよいかも知れません。  いえ けっきょくこの質問の問い求めたところは その両者のあいだの違いを認識して それでも主観の内容のほうもけっこういい線を行っている場合があると思われるので さっき言ったようにツッコミを入れてもよいでしょうし もっともっと互いのバランスを図り探ることもよいかと考えます。その作業としては この質問もまだ持ち堪えるようです。

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