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加藤諦三という人

「神経症的な、心に葛藤のある人は強迫的に名誉を求める」というような彼の言葉は、 そのままブーメランですよね?彼の肩書きと著作数の多さが、どう考えてもそれを物語っていると思います。 「劣等感によって動機付けられた行動は、たとえ成功したとしても劣等感を強める」 というような彼の言葉も、やはりブーメランになると思います。 「~~についての本を書く人は、自分が~~だからこそ書く」 というような言葉を自分で言っていますから。 「自分を大きく見せようとすると、本来の自分を否定することになって 自信がなくなる」 というような言葉も同様です。どう考えても、著作数や文体から判断して 自分を大きく見せようとしているとしか思えないので。 著作全般を通して、 少数の例を一般化して「××する人は○○だ」という書き方が多いです。 これは、全か無思考とか、極端な一般化というものであり、 つまり鬱病患者が認知療法によって治療すべき性格傾向です。 彼は「利己主義を親によって禁じられて育てられた」そうですが じぶんがそういう、弱者=読者に対して 「~~する人間は冷たい人間だ、心に葛藤のある人間だ」などといって あらゆる行動を禁じてきているように思います。 まさに「自分の心の葛藤を解決しようとしている」だけなように思います。 これは、心の健康をケアする立場にある人間としてはありえない姿勢だと思います。 あるいは、 江原のりゆきとか細木数子などと同様にみなせば問題ないのでしょうが、 なまじ肩書きがあるため読者に誤解を与えると思います。 彼の著作を読んで人生が大きく狂った人、狂わないまでも悪影響を受けた人など、 ご意見お待ちしています。

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  • frau
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回答No.2

お礼ありがとうございます。 >「~の組み立て方」みたいな本があったとして、その組み立てかたがわからない 人が読者になるのが普通でしょ? 確かにそうですよね。 >だから読者=弱者になるわけですけど。 教えを請う=弱者というイメージなのですか? 選んで読むということ、これは押しつけられたものを受け入れない限り、意志あってのことですから、むしろ積極的な行為です。 >自分が出来てもいないくせに、そいつに上から目線で諭されたら納得いくと思いますか? 自己啓発系の書評でこういう意見はよく見かけますが、あなたも上から目線と感じさせられると感じたり、中身がタイトルと離反しているようだということに不満があるようですね。ですが具体的な著述や理論をお答えしていただけない以上、理解できかねます。具体的な著書を挙げてもらえば、わかりやすいです。 では反対に完ぺきな理論を作り上げた人がいると思いますか?私としてはそういう一見完ぺきな本というのは信用性に欠けます。書いた人は「神」ではなく「人」ですので。 >人の数だけ遺伝情報も環境も違うのに、そもそも一般化できるはずがないのです。 とおっしゃるとおり、課題は複数に共通でも個別に対応して書くなど不可能です。答えや解決は本に求めるのではなく、カウンセリングに行くべきです。 また、加藤氏は、彼の理論ではないものについては正直に研究者の名前を挙げています。(おっしゃるようなカレンホルナイやシーベリーなど) 論文で引用された理論は、必ず研究者の出典先を記載しなければなりません。一方で、他人の理論を自分の考えのように平然とコピペしているだけの本もあります。 私個人としては、成功の経験談やきれいごとばかり述べられているのは信用していません。それが「>ハウツー本」を選ばなくてもよい基準です。 >ブーメランしちゃいけない内容なんですよ。 この「ブーメラン」という意味は、他人に投げかけた問題が自分に返ってくるということを言っているのですか?何がその「>内容」なのかがわかりません。 >その弊害が、無視できないほど大きかったわけです、私の場合は。 つまり初めは信用していたが、彼の解決方法を実践したところ失敗した→加藤は信用できないというようになったのでしょうか。 いずれにしても加藤氏にこだわり続ける、ということろに答えのひとつがあると思いますが。

do-jaku
質問者

お礼

たとえば、睡眠不足が続いていたり、栄養のバランスが乱れていたり 変なものを摂っていたり持病があったりするだけでも脳の神経伝達物質の バランスは乱れ得るし、そういうところからくる不安や不適応感もあるのに 彼は冒頭で何も断り書きをしない。完全とか不完全以前の問題なわけでしてね。 彼の本が、心の弱った人や劣等感を持った人間を読者層として意識しているのは 本のタイトルから自明です。つまり、タイトルで既に誘導がある。 そうして誘導してきた、追い詰められて判断力の低下している読者層に対して 彼のいう解決法とはなんでしょうか? 「自信をつけるには、自分の世界を持つことだ」 「行動するやる気を起こすには、まず行動することだ。行動することでやる気が湧く」 「自分の好きなことをやることで自信がつく」 etc つまり、結果しかいわないんですよ。色々と言うんだけど、肝心なことは、具体的に何も言わない、言えないわけです。 自分の好きなことをやるのがいいなら、 オンラインゲームが好きな人はそれにどっぷり浸って菓子でも食ってれば自信がつくのか? という話になってくるし。 そう考えると、 たとえば今現在そこそこの地位を築いている人が寝不足やストレスで判断力を失い 自信が低下しているとします。それでわらにもすがる思いで加藤の本を読み、 「自分の好きなことをやれ」といわれて、仕事を辞めてオンラインゲームとか、 何か変なものに嵌ったらどうなるんでしょうか? それを自己責任とか取捨選択ができてないとか本気で言うなら、 それは「詐欺に引っかかったほうが悪い」というのと大差ないと思いますがね。 具体的な著作も何も、訳書以外のほぼすべてじゃないでしょうか? 彼の本に決め付けや断定、極端な一般化による完全性の示威が見られるのは。 もちろん、完璧な本などないけど、少なくとも彼の本よりはずっとマシな 本はありますよ。ナサニエルとかね。 彼が出典先を引用するのは、自分の不完全な肩書きを補強するため、正式な 専門家の力を利用するため、保険のためだと思ってます。 本当に正確性や真実性、安全性を追究しているならあの著作数の 多さはないと思います。 内容? 内容も何もそれは人生ですよ。人生の方針にかかわるじゃないですか、彼の本は。 私は、 加藤の本は実はとっくに読んでなかったんですけど、最近人格障害の本を読んでたら 加藤が自己愛とか境界性人格障害の人間や、そうなる原因を言い当てていたと気づいて それで最近、改めて読んでみただけです。そうしたら、なんのことはない、 彼は手数が多かっただけです。「数うちゃ当たる」ということです。 でも、それを精神的な、慎重性の要求される領域でやっちゃいけないと思っただけです。 最後に言うと、 あの人の「親を責める行為」のみは私も同意なのです。あなたも言うように。 だからそれのみに特化すべきなのです。 仮にそうなら、例え彼が自分が理事をつとめる奨学金の団体で学生を馬鹿にするような 挨拶の言葉を書き、対談形式の本で対談相手の作家に秒に卑屈にへりくだったような 態度をとり、自分が親にされたようなことを弱者にしているだけだと判明しても 私は彼の本の存在意義はあると思うのです。 あなたとは立場を異にするけども、回答には誠意が感じられたので、 ベストアンサーとさせていただきます。 回答ありがとうございました

その他の回答 (1)

  • frau
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.1

狂わないどころか、大いなる助けをもらっています。 >著作全般を通して つまり、回答者様は加藤氏にすごく傾倒しているわけですよ。 確かに加藤氏は確かに同じ考え、同じ言葉で書かれた著書が多いです。 私は、自分の人生に悩みだした小学生の当時から、加藤氏の本は読んでいました。 でも途中でやめたのは、くりかえされる「親が原因」という考えを否定していたからです。 当時の私はまだ11歳です。当然のことながら親が毒親なんて信じたくありません。ですから親の悪口を言われていたようなものでした。 でも近年、また本を開くようになったのは、私の肉親が毒親であるということを認めざるを得なくなったからです。ですが、改めて読むと、「今の私」は彼の独白によってすごく救われています。 単なる「親への恨みつらみ」ではないのは、彼が専門家としての理論や解釈、考えを述べられているからです。個人の経験を語りながら、他の同じ悩みや苦しみを持つ相手(読者)に対等な目線で語れる「心の専門家」は加藤氏くらいなものではないでしょうか。 >弱者=読者に対して なぜ読者イコール弱者なのですか?加藤氏自身が弱者であるということを告白しているではありませんか。 >少数の例を一般化して「××する人は○○だ」という書き方が多いです。 これから私も、加藤氏の考えをより、浸透させるために(同じ考え、同じ言葉で綴られた)全著作を読むつもりなのでその際の参考にさせていただきますが、過剰な一般化は、加藤氏でなくとも、どんな理論でもあります。というよりも、断定させなければ理論は成立しません。学説などは最も足るものでしょう。 >ブーメランですよね? これは、自分(加藤氏)に返ってくる言葉ということでよいのでしょうか? それがなぜ回答者様にとって「問題」なのかはわかりませんが… >著作数や文体から判断して自分を大きく見せようとしているとしか思えない 自分を大きく見せたい人が、自信がなくなる理由を書く(公表)するはずがありません。 >鬱病患者が認知療法によって治療すべき性格傾向です。 治療の必要があったとしても、いち読者としてなぜそこまで気にしなければならないのでしょうか? >少数の例を一般化して 回答者様は、加藤氏に依存している状態だと思います。 >あらゆる行動を禁じてきているように思います。 >「自分の心の葛藤を解決しようとしている」だけ それが彼のスタイルなのですが、大切なのは、そこから何を取捨選択するかではないでしょうか。あらゆる方法論に完璧はありません。完全性を彼に求めているから「依存状態」だと思ったのです。 回答者様は「答え」がほしいのですか?それほど全著作を読んでいて、見つかりませんでしたか? >人生が大きく狂った人、狂わないまでも悪影響を受けた人 狂うとは狭い見方、ひとつの思いこみしか持てない(洗脳)状態だと思ってます。 信じていたものが強いほど、それが裏切られたと感じた時にも狂った状態になります。 直接の関わりもない、利害関係のない人に回答者様自身が狂わされたというのは、見当違いです。自分の選択に責任をもっていただけたらと思いますが、それだけ一人(一つ)の考えに翻弄されていたのではないでしょうか。でもそれは、裏返せばすごく信頼していた、期待していたということにもなると思いますが。 加藤氏は、おのれの心の葛藤を自分(と、自分と同じ他人)のために書いているのです。 解決方法を見つけたいのでしたら、他の理論はたくさんあります。 一度加藤氏から離れてみることをおすすめします。 蛇足ですが、 >江原のりゆきとか細木数子などと同様にみなせば これぞ「過剰な一般化」でしょう。

do-jaku
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

do-jaku
質問者

補足

本のタイトルに「~の心理学」とか「~のしかた」みたいなものをつけるからには、 程度の差はあれ当然そのタイトルが示唆する弱者、に該当する人間が読者の大半を 占めるようになるのは当たり前ですよね? 「~の組み立て方」みたいな本があったとして、その組み立てかたがわからない 人が読者になるのが普通でしょ?だから読者=弱者になるわけですけど。 そういう上から目線のタイトルをつけるなら、 普通そういう弱点をほぼ克服した、あるいはそもそも弱点が少なく知識だけ持った 研究者(=強者)が作者である、と想定するのが当たり前だと思うんですけどね。 自分が出来てもいないくせに、そいつに 上から目線で諭されたら納得いくと思いますか? 作者が精神的な弱者だと認めるんだったら 2ちゃんねるにあるような 「おまえらの中で他人が怖いやつっている?」みたいな スレッドのスレ主と同レベルってことです。 2ちゃんでスレを建てて、書き込みするのが真の対等ってものでしょ? ハウツー本を語り、専門家を名乗ってお金をもらっておきながら、 都合が悪くなったら独白だの対等だの、「僕も弱者です」はないでしょ? ということです。 ブーメランしちゃいけない内容なんですよ。 仮に凶悪犯罪者に「倫理」を上から説かれて納得するんですか?あなたは。 それと、 「加藤氏に完全性を求めるな」、といいますけど 本のタイトルや断定系の文体、正式な 専門家(カレンホルナイやシーベリーなど)などをたびたび引用したりする ことからも、 どう考えても加藤氏が読者に対して信頼と完全性を暗に要求していると思うんですが? 翻弄や依存←ハウツー本だと信じてたくさん読むことがそれに該当するなら、 そうなんでしょう。でも、ハウツー本を語っておきながら読者から 不満の声が上がったら「それは依存だ」というならそれはつまり、 ただの『ペテン』ってことですよ?笑 とはいえ、 彼と環境や遺伝、時代背景などが近いごく一部の人にとって見れば 彼の独白もいくばくかの役には立つのかもしれません、あなたのように。 それは否定しません。 ですが、やはりあまりにも一般化が過ぎるということです。 人の数だけ遺伝情報も環境も違うのに、 そもそも一般化できるはずがないのです。「××する人は○○だ」のように。 そしてその弊害が、無視できないほど大きかったわけです、私の場合は。

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