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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「魔女の宅急便」をみてユートピアを考えました。)

「魔女の宅急便」をみてユートピアを考えました

TANUHACHIの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.45

 再び三たびの書き込みをお許し下さい。大学時代の教育哲学か何かの講義で耳にした話ですが「ブルジョアジー(Bourgeoisie)」は元々、「城(城に囲まれた都市)の中に暮らしていた人」との意味だったとの記憶があります。つまりはそれぞれの王なり諸侯の下に生活を営んでいた人にとって「城の中は安住の地」だったのであり、城から外に出たり移動したりするには何事に関しても王や領主の許可無くしては出来得ない行為だったとも考えられます。  一面では安全を保証されているものの一方では支配者の不興を買ったり睨まれでもすれば、それはたちどころに社会的な意味での死を意味しかねない危険も孕んでいた。ザルツブルグにある教会の司教であると同時に領主でもあったコロレドの庇護を嫌い、自らの新天地へと飛び出したモーツァルトにとってザルツブルグは決してユートピアではなかったともいえましょう。安定しているけれど自らの求めるモノがそこになければ、そこをユートピアと呼ぶことが可能だろうか。  千利休にとって四畳半ほどの茶室の設えは文字どおり「自らの王国」としての意味を為す空間だったと思われます。主人と客人が身近で一服の茶を嗜みながら会話する心地の良い空間、主人にとっては客人の身分が如何にあろうとも自らにとっては一人の大切な客人であることに変わりはなく、そこで出会う一期一会こそがユートピアに他ならなかったと僕は思います。  科学が人類の歴史にとって貢献した類例は幾多もあるけれど、一つだけ未だに手にすることが出来ずまた将来も手にし得ないモノがあるとするなら、それは「不老不死の肉体」なり「不老不死の薬」を手に入れる事でしょう。ではもしこれを人類が手に入れたならばどうだろう。人間にとって「制限のない時間」を手に入れる事は同時に与えられた条件の中で如何にシンプル且つより的確に仕事をなし得るかの問題に答えを見出すことを止めさせてしまう事に等しいと僕は思います。時間があるからまた今度と言って肉体的には生きているけれど、その中身である思索をこらすことや問い続けたりすることを先送りにして何時の間にか忘れてしまったら、それこそゼメキスの「永遠に美しく」に出てきたメリル・ストリープやゴールディ・ホーンみたいになってしまうようで何かイヤだなと感じてしまう。だとしたらそれこそ「邯鄲の夢枕」の喩えの様に、心地よい一瞬の微睡みの方が行く分かはマシなのかもとも思えてしまう。こうした点で言えば、親方や物理学の先生、そして美味しいパンを作ることにかけては他の人に負けたくないと精進の日々を送られている人生の先達と話しのできるこうした仮想のコミュニティもその一例だと思われます。  少なくとも「不老不死」だけは人間にとって禁断の箱とも呼びうる存在ではないのかと僕は考えました。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

不老不死が実現したら、生まれたばかりの赤ちゃんをみても可愛いとはおもわなくなるのでしょうね。次世代を担うという役割がなくなって、同世代の競争相手にしかならないからね。

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