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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:戦艦大和の運用について)

戦艦大和の運用について

eroero1919の回答

  • eroero1919
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回答No.11

大和だけに限った話ではないですよ。 太平洋戦争が始まったとき、日本には、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥と6隻の戦艦がありました。えっ、金剛級4隻はどうかって?まあ、あれは巡洋戦艦クラスですから・・・ さて、その金剛級4隻の巡洋戦艦は速力があり使い勝手が良く、しかも古いフネだったので使い潰して沈めてもさほど喪失感を感じなくて済むおかげもあり大戦中は八面六臂の大活躍を見せます。第三次ソロモン海戦では、名目上は戦艦同士となるものの、実質的にはジュニアヘビー級である金剛級がバリバリのヘビー級である戦艦ワシントンとサウスダコタを相手に砲撃戦までやっています。 で、他の6隻の戦艦が大戦中何をしていたかというと、大和級と同様にまったく何もしていませんでした。働いていないのは同じでしたが、最新鋭であった大和級のほうが何かと目立っていたということですね。 とはいえ実際は扶桑、山城はおばあちゃんもいいところで、使う場所がありません。伊勢、日向もやや時代遅れ。長門と陸奥特に長門は連合艦隊の旗艦として長年「帝国海軍の顔」を務めてきたのでなんだかもったいなくて使えず、という感じでした。大和が惰眠をむさぼったと批判されるなら、日本海軍の戦艦はだいたいみんな惰眠をむさぼったといえるでしょう。 はっきりいえば使いどころがなかったのです。南太平洋などの米軍との戦いでは鈍足で小回りが利かない戦艦に活躍の場はありませんでした。インド洋方面は英軍にこれといった獲物がないため出撃するだけ重油のムダ(イギリス艦隊は決戦を避けて逃げ回ればよい)。 いっそドイツ海軍のように通商破壊戦をもくろんで米豪連絡線の寸断なんかを狙えば面白かったかもしれませんが、日本海軍にそういう思想はありません。そもそもヘンダーソン基地への艦砲射撃作戦でさえ「千両役者の戦艦が地上砲撃なんてドサ回りの作戦なんてやってられっか」と強硬に反対したのを山本長官が「お前らがやらねえなら俺が自ら大和でやるよ」と言ってようやく実現したくらいです。 第二次大戦で最も戦艦を上手に使ったのはやはり栄光のロイヤルネイビーです。しかし、その英海軍でさえ、太平洋方面では虎の子のプリンスオブウェールズとレパルスを投入してご存じのとおり航空機に沈められ、以来、太平洋方面に戦艦は投入しなくなります。 確かに大戦を通じて作戦行動中に航空機によって沈められたのは上記の英戦艦(レパルスは巡洋戦艦ですけどネ)2隻と大和と武蔵だけです。しかし、太平洋戦線では、イギリス、アメリカ、日本のどの海軍も航空機の傘なしで戦艦を単独投入させるのはほとんど行っていません。 実質的に20ノット出せるか出せないかの旧式戦艦では、25ノット以上が出る空母を捕捉することはできません。航空機の傘なしで戦艦を突入させても敵の制空権下に入れば航空機によって発見されます。そうなると、空母だろうが他の艦船だろうが退避することができます。その間に航空攻撃で特に雷撃機で攻撃をして速力にダメージを与えればビスマルク追撃戦のように反撃でタコ殴りにすることもできます。 攻撃をさせる側とすれば、無理に投入して敵中に孤立すればみすみす虎の子の戦艦を失うことにもなりかねません。だから、どうしても躊躇せざるを得なくなります。 アメリカ海軍がガダルカナルをめぐる戦いでサウスダコタやワシントンなどの戦艦を投入しているのはヘンダーソン基地の存在が大きかったですし、強力な航空戦力がない地中海や北海(北欧)の戦いなどでは英海軍は果敢に戦艦を投入しています。それでも、ソ連への支援船団の護衛に戦艦は投入していません。 蛇足すると、日本海軍であまり役に立たなかったのは、大和、武蔵を含めた戦艦に限りません。 まず、いちばん使うところがなかったのが重雷装艦となった北上。軍艦として全く使うところがなく、なんと高速輸送艦としてこき使われました。その他の日本の軽巡洋艦もパッとしません。阿賀野級を除けば対空能力がほぼ皆無で、砲撃力も低く、対潜能力も低い。レーダーやらソナーやらの近代装備はほぼ皆無です。つまり飛行機に狙われても潜水艦に狙われても弱い。アメリカのアトランタ級やクリーブランド級に比べると使い勝手の悪さは特筆ものです。 極めつきは呂号潜水艦です。伊号潜水艦の名前はどこかで聞いたことがあるでしょうが、呂号潜水艦の名前はほとんど聞いたことがないでしょう。伊号潜水艦に比べれば小型であった呂号潜水艦ですが、実は船の大きさはあのUボートとほぼ同じ大きさです(ただし排水量が小さい)。大型である反面静粛性に欠けて騒がしかった伊号潜水艦に比べると大きさも手ごろで使い勝手も好評だったのですが、日本海軍には通商破壊戦という思想がびっくりするくらいゼロだったのでまったく活躍の場はありませんでした。 また日本海軍の駆逐艦の対潜能力の低さも特筆すべきレベルです(まともに戦うとアメリカのガトー級潜水艦に勝てない)が、それはまた別の機会に。

midomido2011
質問者

お礼

結局戦艦自体が肩身の狭い時期だったのですね。 図体がでかいのと造られたばかりな分余計に何もしてないのが目立ったのかもしれませんね。 大和以外にも悲劇的な最後を遂げた艦はいますので、大和だけが悲劇のとは言いませんが、いろんな意味で不運な艦ではありましたね。

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