• ベストアンサー

美しいものを美しいということに意味はあるのか?

来生 自然(@k_jinen)の回答

回答No.8

「美しい」という言葉は、単独では存在し得ません。。。 主体と客体とを結ぶ情の切断面に「美しい」という言葉が現れるのです。。。 その切断面は、主体が客体(ないし「全て」)との間に、仮想的・幻想的に設定しうる境界に相当します。 「いま・ここにいる私」・「いま・ここにある心」・「いま・ここに躍動する魂」と「いま・そこにある対象」(ないし「私」「対象」を含む「全て」)との境界面です。 「全て」から「1つの生命体」として境界をもつことで(能動的に)生き、かつ(受動的に)生かされている「私・心・魂」。。。 「全て」に対する「私・心・魂」の境界は揺れ動き、時として対象(ないし「全て」)を包み込み、対象を排除し、対象を慈しみ、対象を憎む。。。 そうして、いつの日にか「全て」へと帰って行く「私・心・魂」。。。 「全体」から引き離されることで「生」を保っているからこそ、アルパ(始原)でありオメガ(最終)でもある「全体」への思い・情・郷愁の念が境界によって切断されるとき、「美しい」などの言葉が意味を持って発せられるのでしょう。。。 そこに「凡庸さ」を見いだすのも、「対象、ないし全体」に対する自身の1つの境界線のあり方なのでしょう。。。

kusa-mura
質問者

お礼

ありがとうございます。なるほど、人間は個性的でありたいという欲求をもっていますから、皆と同じものを指さして「美しい」ということは、個性を失う危険があるわけです。お考えには、美とは人々の認識を統合していくものだという前提があるように感じたのですが、それもおっしゃる通りですね。

関連するQ&A