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哲学の考察-その2:哲学における方法論とは

ok9608の回答

  • ok9608
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回答No.3

哲学の方法論の一つとして オブジェクト指向のプログラミングを 人の道さんは ことのほか 評価しておられるようで ひとまずは 結構であった と思います。方法論は 哲学展開のための手段と理解します。 論理であっても 非論理であっても 多様な形が研究されていくと思います。例えば アート絵画分野で 19世紀以前にはなかった超写実主義とか 組写真的方法とか 哲学的主張の新しい手段が開発されてきたと思います。人の道さん は 哲カテで主張されている内容から 察すると 論理手段を望んでおられるように思われます。得られるのではないでしょうか。

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質問者

お礼

  もしオブジェクト指向哲学が機能し、その結果として工場が動いたり、飛行機が飛んだり、新幹線が走ったり、発電所が稼動したりするのに役立ったのであれば、それはこの哲学が価値を生んだのである。 これはこれまでの哲学の歴史を顧みれば極めて驚くべき進化なのである。 なぜならこれまでの哲学と言えばギリシャ時代から現代に到るまでほぼ例外なく殆ど無用の長物と見做されてきた歴史があるからである。   例えば、哲学の中では今だに認識論などとゆーもんが幅を利かせており、自己は存在するのかとか、目の前にあるコップは存在するのかとか、宇宙は存在するのかとか、霊魂は存在するのかとか、神は、仏は、天国は、地獄は、と問うているのである。 こーゆーもんが果たして哲学なのかと考えたとき、これは哲学ではないゆーのが「人の道」の答えである。 なぜならこれらの問いは数千年も問われ続けているが、これまでに何らの進歩も価値も生み出してはいないし今後も同じであることは明らかであるからである。    

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