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何故、震災に関してのデモが起こらないのでしょう?
先日、「原発反対」のデモに参加した某タレントの去就が話題となりました。 でも何故デモをやるのでしょう? 確かに「原発は危険だ」「福島の二の舞は御免だ」と言う気持ちは良く分かります。私も無いに越した事は無いと言う思いでは同じです。でもその結果が耐え難い生活環境として跳ね返って来るなら、私はそのリスクが許容出来る範囲で有る事を条件に賛成に回ると思います。 だから私はその手のデモには参加しないし、またこれが一般的な人間の考え方なのではないかと私は思っています。 それでもデモを行う理由? デモとは、個々人では何の発言力も無い人々が自分達の主張や要求を国内外に訴える為に集まり、デモの規模をもってその主張の正当性と必要性を誇示し、自分達の要求を実現させてゆく為の手段或いは圧力行為なのだと私は認識しています。 また実際多くの国々で起こっているデモを見ても、この解釈で間違い無いものと思います。 だから原発を嫌悪する人々が、廃止の時期や認識の違い等を別にして安全な環境を取り戻すの一点でデモを行ったとすれば、それは何の不思議も無いものだし、充分納得出来る事かと思います。 何故、震災関連のデモが起こらないのでしょう? デモを起こすのはある意味勝手です。私は同意しないものの、原発反対の人々が集まって原発廃止を訴えるのは自由です。しかしそうして考えるなら、原発廃止などより先に起こっても良いデモは幾らでもある様な気がします。義援金配布の遅れ、一向に進まない復興対策、被災地無視の政局、復興無策・放置の増税論議。数えれば両手に余る程の問題が有り、仮に今日復興無策を理由に管首相退陣を求めるデモがあっても不思議に思わないくらいなのに一行に行われない。 確かに1度東京で被災地住民がデモらしきものを行った事はありましたが、あれがデモと呼べるものなのか、それとも只単に陳情に際してのパフォーマンスを行っただけなのか? 教えてください。 私は海外で暮らしていた経験があります。だからなのかも知れませんが、別にあってもおかしくは無い、逆に無い方が不思議と思える震災関連のデモが起こらず、不要不急ともいえる原発反対のデモが行われ話題になる。これって正常なのでしょうか?貴方の考えを教えてください。
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- DOCTOR-OA
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>本当にそれだけなのでしょうか? 確かに、面倒と言う人は多いです。 選挙に行かない人も50%はいる訳です。 まだ切羽詰った環境でないと言うことかな! でも今は曲がり角に居る事は確かです。 所詮他人事で暢気な人の集団国家状態が 日本と言うことでしょう!
>既に相当深刻な鬱病を患っていて文句を言う気力さへ残っていないのでは無いかと妙に心配になる事があります。 無気力です。 昔に比べ、他国に比べ劣っているの「自己犠牲の精神」です・ これ昔日本の専売特許でした。 強かった、日本人尊敬されました。 今、そんなことしたら自分の損というフニャケタ人ばかりになり下がっています。 アラブ諸国、中国、朝鮮、・・・・日本昔こんな国馬鹿にしたが、今、これらの国日本人を弱虫のバカ呼ばわりしています。
- DOCTOR-OA
- ベストアンサー率15% (298/1891)
>例えばこれがアメリカであれば・・・ 色々と述べてますが知っています、が日本と文化の 差があり同一視にはムリがあります。 ブッシュも菅同様パフォーマンスでしたよ。 米国は基本的に自分の事は自分でがモットーです。 南部の洪水、トルネード西海岸の山火事等自然災害の 多発に対し、特別な補償などありません。 義捐金的な事は日本よりもやっていますが。
日本国民元気無くなりました。 昔、安保反対とかでデモすごかったよ。 今デモやっても、お嬢さんの遠足で、デモにならない。 デモは命がけでやるものです。 今日本国民は無気力な弱虫になりました。 ◎竹島、尖閣取られて何もできない。 勇敢な中国人船長無罪釈放して、尖閣を中国領土と認めた。 韓国、中国と戦争になるの怖いから、されるがまま。 ◎小沢訪中団何百人も引き連れ、中国国家主席にペコペコして一人一人握手して貰った。 中国が怖いからご機嫌伺い。小商人と同じだ。 日本国会議員感激の顔付。 日本の国会議員にプライドなし。 今の日本人弱虫で勇気ないから馬鹿にされます。 以上は事実に基づいています。 しょうがありません(^○^)
お礼
ご意見有難うございます。 確かに言われる通りで、元気が無いのか、肝が無いのか。世の中に対する不満が無いのですかね。 海外の為政者はデモに対して物凄く敏感です。それは、例え小さなデモであってもそこに提起された問題とそれへの対応とによって国を揺るがす大問題になり兼ねないからです。 長期独裁政権を打倒した中東諸国のデモにしても、初めは食料品の急騰が原因で、初めからあの様に大きなスローガンを掲げていた訳ではありません。 要は国中に溜まっていた独裁政権への不満を読み違えた為に飛び火し、大爆発となってしまったのです。 その点中国などは賢いもので、国中に不満が溢れ返っている事を知っているもんだから、飛び火しそうなデモは潰し反対にコントロール可能なガス抜き用反日デモを政府自らが用意する周到さを見せています。 それに引き換え今の日本はというと、デモは少ない、有っても到底現実可能とは思えない様な大きなスローガンを掲げるで、結局為政者にとって何の圧力にもなっていない訳でしょ。 まっ、それが平和と言うものなのだと考えれば結構な事なのかも知れませんが、既に相当深刻な鬱病を患っていて文句を言う気力さへ残っていないのでは無いかと妙に心配になる事があります。
- eroero1919
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たぶん、最大の齟齬は質問者さんが「原発反対デモは不要不急」と考えていることだと思います。デモに参加する人たちの気持ちは「すぐやらなきゃいけない」であるのだと思いますよ。 というのも、そもそも原発事故の原因は何かというと地震です。地震の最大の特長は「いつどこでどの程度のものが起きるか分からない」ことです。もしかしたら明日起きるかもしれない。しかもどこで起きるか分からない。 だから、もしかしたら明日に静岡県で大地震が発生して浜岡原発が稼働していたらそれが深刻な事故を起こすかもしれない。そういう恐怖感がまずひとつ。 あとは電力会社及び原発関係者に対する怒りもあると思います。今までどこの電力会社も「全電源喪失」なんてシチュエーションでの災害訓練なんてのはしなかった。なぜしなかったのかというと、「そんな事故は絶対に起こらないから起こらない事故の訓練なんてやる必要ないよね。それに、そんなことしたら地元の人が不安になっちゃうじゃん」という理由からでした。結局、福島第一原発では想定外のシチュエーションに現場はパニックになり「電源車持って来い!」「なぬ!ケーブルがない!?じゃ、ケーブル持って来い!」「なぬ!ケーブルの口が合わない!?」なんてコントを繰り返して深刻な事故になってしまいました。 特に3号機の爆発事故は、海外では「周辺数マイルに渡って核燃料が飛散した」と報じられています。これが正しいなら(そしてきっとおそらく正しい)、もっと広範囲の人々が避難しなければならないのです。でも政府は何もしないし、東京電力もダンマリです。双方とも、事実を隠す前科があり、そして今もすべてを明らかにしていません。 特に私個人が「ありえない」と思うのが、政府の原子力安全委員長である斑目氏の存在です。斑目氏は事故発生当時、東工大出身で多少中のことが分かる菅首相から何度も「爆発しないか」「水素爆発が起きないのか」と聞かれていたのに都度「爆発事故は絶対に起きません」と断言していました。そしてそのことについてNHKのインタビューに対し「私の能力不足で爆発が起きることはまったく予想していなかった」と率直に認めています。 海外なら、解任以外に選択肢がない状態でしょう。かりそめにも政府の専門家の長たる存在が起こり得た状況を予測もできなかったのですから。海外だったら、斑目氏解任のデモが起きても不思議ではないと思います。おそらく解任しない理由は後釜がいないからなんでしょうが、専門外の首相が「起きるんじゃねえのか」と予想したことも予測できなかった程度の人材の後任もいないってどういうことなんでしょうね。 たぶん、質問者さんはあまり原発事故に関心がなく、「まあ最近はあまり報道されないから収束に向かっているんだろう」と思ってらっしゃるかもしれないですが、実際は今も絶賛放射能垂れ流し中です。チェルノブイリ事故では事故後100日では既に燃料棒は閉じ込めましたが、福島ではまだそこらじゅうに散らばったままです。事実を知ったらとてもじゃないけど冷静じゃいられないですよ。私は仕事の都合で先日のデモには参加できませんでしたが、参加できていたら参加していたと思います。
お礼
ご意見有難うございます。 確かに原発廃止の認識に関して「温度差」があるようです。 しかし現実の問題としてどうなのでしょう。私は、「今後廃止の方向へ向けて議論を進めていく」とした橋下大阪府知事の見解には大賛成です。そして国民世論の趨勢も概ねその方向で、もし今後為政者が原発推進を唱え新規着工を提案したとしても恐らく実現しないだろうし、放って置いても古いものから順に廃止されていくと思います。 「不要不急」という言葉で回答者さんに不快な思いをさせたなら、それは言い過ぎであったと謝ります。 しかし今、エネルギーに関して何の手当ても出来ていない状態で原発を廃止せよと叫んでも通るものではありません。また今の方向性が変わらない限り、原発は手当ての出来たものから順に廃止されていく運命にあると見ています。 私は、この様な状況にある原発に対してデモを行う必要性があるのかどうか、逆に手付かずで放置されている震災関連の諸問題に対して何故デモが起こらないのか、そこのところをもう1度お尋ね出来ればと思っております。
- DOCTOR-OA
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簡単です。被害当事者達以外別に困っていないからです。 福島原発以外の多くの被害者達は自然災害なので敢えて デモで回復をさせる為の抗議迄望んでいないと察します。 日本でも政策等による被害者はよくデモをしています。 やはりデモをするにはそれ相当の客観性の有る問題の 場合です。 新たに原発を建設される場合はデモが起きると思います。
お礼
ご意見有難うございます。 ただ残念ながら貴方の意見に素直に同意する事が出来ません。 例えばこれがアメリカであれば・・・。回答者さんは2005年にアメリカを襲ったハリケーン「カトリーナ」の被災直後からの経緯をご存知でしょうか? 当時のブッシュ政権の対応は、今の日本の復興対応など比べ様も無いほど迅速且つ効率的ものであったと思っています。それが偶々大統領の休暇中と重なり、また休養先から全てのメッセージを送っていたばかりにひんしゅくを買い、ブッシュ大統領は窮地にたたされてしまったのです。 そしてその時大統領を追い込む圧力となったのが各地で沸き起こったデモで、被災地住民を初めとする国民の多くは災害そのものではなくその後の政府の対応を問題視して声を上げ、その結果政府はわずか2週間程で500億ドルからの追加予算をくむ事になったのです。 私は別にデモを煽る積りなど一切ありません。しかし貴方が言う「相当の客観性のある問題」が理解出来ません。向こうの考え方からすれば、対応の遅れや拙さは充分「客観性のある問題」足りえるとおもいます。
- Beholders
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復興が遅れていることについてデモ行進するヒマがあるなら 現地に行って復興支援のボランティアでもやるべきだと思いますが。 高みから見物するだけの人間が、被災地の復興でのたうちまわっている政府の人間を批判する権利は無いと思います。 問題意識があるのであれば、単純に政府を批判するのではなく、その問題を解決するために自分に何が出来るのかをまず考えるべきです。 「国家があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国家のために何をできるか考えて欲しい。」 byJFケネディ
お礼
ご意見有難うございます。 確かにおっしゃる通りで、もし私が復興支援に強い熱意を持ち、その上で現状の復興政策に不満を募らせ恰もデモを煽っている様にとられたのなら、人間として先ず先頭に立って復興を手伝う。このご意見は、至極当然だと思います。 しかし誤解の無い様にお願いしたいのですが、今回私が問題にしたいと思ったのは「原発廃止デモ」についてです。 これは文中でも述べましたが、何にしろデモを行うのは勝手だと思います。しかし不要不急と思われる原発廃止デモが行われ、今最も凄惨な目に遭っている被災民の声を届けるべき手段としてのデモが行われていないのは何故か? 私としてはその事が気になり投稿した次第です。誤解の接は悪しからずご了承下さい。
- wiz0009
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まあ海外から見たら「なぜやらないのか?」と思われて当然でしょうね。 日本は世界的に見たら異常なほどデモの数が少ない国です。 ただ、原発と明確に違う点はありますよね。 原発デモは「無くせ(エネルギー政策を脱原発にしろ)」という一点に絞られています。 しかし震災関連のデモは「早くしろ」という抽象的な指摘であって、 正解を一つに絞れないので具体的にこうしろという案は出しにくい。 例えば義援金であれば広い範囲での公平な配分が難しいことが問題であって、 「おおよその数字で配ってしまう」という政策も出来ますが、 それにより国庫負担が生じてしまう可能性を考えたらデモを起こしてまで「やれ」とは言いにくいでしょう。 あと、人間心理として「否定」の力は強いですが、「推進」の力は弱いというのがあります。 誰かが間違った行動をしてることに対して批判する心理は強いですが、 行動してない人間に対して何かをさせようとする心理は弱いのが必然なのです。 そのこともあり、もともとデモを起こしにくい国民性から原発デモばかりが起きているのでしょう。
お礼
ご意見、有難うございます。 私も(当然)日本人なので、根の部分でよく理解できる回答かな思います。 例えば海外のビジネス社会では、人の価値を能力や業績に置きます。だからその位に相応しい能力や業績を誇示し続けなければ直ぐに落とされる。だから、やるやらないは関係無しです。しかしそんな中でも1番嫌われるのが、チャンスがあったにも関わらずそれを見過ごし、得る事が出来たかも知れない利益を失うと言う場面で、これは相当厳しく追及されます。 まっ考え方の違いなのでしょうが、私はゴルフの時友人が教えてくれた「届かなければ入らない」を教訓に、いつも強めのパターを心がけています。
お礼
ご意見有難うございます。 仰る通り、同一視には無理と言うか危険がある事は重々承知しております。 現にあのカトリーナの例えも別の要因として大量のイラク派兵があり、災害対策に当てる兵員が不足した事により復旧が遅れたと指摘された事で問題化したと言う一面があります。 しかそういった一面が無くてもあの国ならデモをしていたと思います。回答者さんが言われる通り、アメリカ人は「自分の事は自分で」ですが、逆に「州の事は州で」「国の事は国で」なのです。 だから納税によって約束されたであろう公共サービスが実行されない若しくは遅々として進まないとなればそれだけでクレームの対象となり、それが個々人の力だけでは及ばないとなれば仲間を募ってデモへと発展していきます。 そしてこれは正当な理屈であり、別に文化の違いで否定されるものではありません。 只そうした権利を有しても敢えてそれをする・しないの差は有ると思いますし、現に日本では行われていません。先に国民性と言う回答は頂いておりますが、本当にそれだけなのでしょうか?