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「怒るのは相手が好きだから」「怒らないのは無関心」

「怒るのは相手が好きだから」 「怒らないのは無関心だから」という回答をよく見ますが 他人にタバコの煙を吹きかけられて怒らない人はいるのですか? 自分の恋人を取られたとか 私物を壊されたとか 嘘を吐かれると怒る人は多いと思いますが それは相手に自分の自尊心を傷つけられた代償として怒るんですか? 煙を吹きかけてくる他人に、好意や興味や信頼はあったんですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.2

こんにちは。 「好きの反対は無関心」というのは、これは「マザー・テレサ」のお言葉であり、取り敢えず心理学とは直接の関係はありません。以前、心理系の刑事ドラマでこのネタを使ってしまいましたので、みんな心理学だと思っちゃったみたいですね。 怒りとは、「問題解決のための能動的回避行動」と理解されます。何らかの不快や不利益が発生しますと、先ず心の中に「嫌悪感」が発生します。怒りといいますのはこれに対する「精神的適応」です。そして、結果的にはこれが、例えば相手に謝罪させるとか、発言を撤回させる、あるいは恋人を取り戻すといった、何らかの解決行動を選択するための強い動機となります。 関心があるというのは相手に対してではなく、問題解決に関心があるということです。これがマザー・テレサの哲学と心理学的解釈の違いであります。嫌悪感が先になくなってくれればそれで済みますが、自分にとっての問題解決に関心があるうちは怒りも消えません。では、問題が解決できないとき、あるいは解決の手段が与えられない場合、脳内では自動的に「泣く」「諦める」といった適応が施されます。 人様の顔にタバコを吹きかけるなんてのは誠に以ってけしからん話です。ですが、それが見ず知らずの他人で、もう何処にいるのかも分らなければ手の打ち様がありません。ではこのような場合、しばしば怒りは「憎しみ」という感情に分岐し、関心の対象が問題解決から復讐に変ります。ですが、仮に首尾良く復讐が達成されたとしましても、それで精神的な適応が得られるという保証は恐らく何処にもないです。何故ならば、復讐というのは問題解決の手段ではないからです。このため、怒りは発散できますが、憎しみからは開放される以外に道がないのです。 では果たして、質問者さんのこの書き込みは「復讐心」ではないですか。気を悪くしないで下さい。普通のひとがマザー・テレサになれるわけがありません。それが人間の心理であり、これが当たり前の人情であります。 「諦められた」と断言できるならば嫌悪感は消え去ったということです。ですが、問題解決に関心が失せれば怒りは消えますが、それで嫌悪感もなくなってくれるとは限りません。ならばこのような場合、心の中には嫌悪感だけが取り残されてしまうことになります。 喧嘩をするというのは、お互いが何とかしようとしているということです。ならば、何を言っても無駄だから諦めたというのは、これは問題の解決を放棄したということです。ですが、これが積み重なりますと、心の中に嫌悪感だけが溜まってゆくことになります。会話もなく、喧嘩もしくなった熟練の夫婦が突然離婚に走るのはこのようなときだそうです。お互いが不満をぶちまけるのはちょっと大人気ない気もします。ですがそう考えますと、夫婦喧嘩をしているうちはまだ安心ということですね。

hohoemimasu
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 マザーテレサの言葉ではなかったのですね。勉強になりました。 そうです。誰もマザーテレサにはなれません、なれるのは「もどき」と思います。 このようなケースの場合はフランストーレションとなるようですね。 積もりに積もって、結果が出る。 回答を頂き、問題解決のヒントを得ました。 この度は聡明な回答をありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • Cupper-2
  • ベストアンサー率29% (1342/4565)
回答No.1

TPOを考えよう。 質問のケースはどのようなときのことかを考えないと 単なるバカ(しかも理屈をこねる最低の奴)で終わるよ。

hohoemimasu
質問者

補足

回答ありがとうございます。 お言葉ですが全ての質問は「TPOを考えよう」と回答できてしまいます。 つまり、独自の意見/主体性のある回答をお願いします。

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