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人は他人に無関心?
今の時代、人は他人に無関心な人が多いのでしょうか? 無関心といっても、人の他人の事をよく見ている(観察?)と思うんです。 例えば、ご近所さんとの関係をみても、話をしたりする仲ではないのに、 あの家は、週末になると誰か親戚の人がくるだとか、 隣のうちの人が車を買えただの・・色々と見ていると思います。 会社でも社内でそれ程話す間柄ではないけれど、最近あの人太った?とか 雰囲気変わった?とか・・そういったことは見ていると思うんです。 ・他人に無関心だけれど、他人の行動は良く見てる。 それとも、 ・他人に無関心なように見えるけど、実際は他人の行動はよく見てる。 イコール、自分自身の行動は見られている・・・ そういうことなのでしょうか。
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これは、関東、特に首都圏に御住まい・通勤されている方は >・他人に無関心だけれど、他人の行動は良く見てる。 意味はまったく違いますが、そうだと思いますよ。 というか、無関心というより関わり合いになりたくない・とばっちりを食うのはいやだ だから、それから逃れるために、周りの動向を見ている というところでしょうか。 関西では、逆ですね。 他人のことは何でも知っておきたくて、いい意味でも悪い意味でも 会話のネタにする傾向があります。 京都などは一見おしとやかそうに見えますが、結構人のことを見てたりしますよ。 まぁ、どちらにしても意識してみているかどうかは別にして 毎日目に入ってくるものなら、記憶にはそれなりに残りますから その記憶と今見たものの比較をすることはあるかもしれません。
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- umibosi
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答えのない問のようなので 私なりの勝手な考え方を言わせていただきますね。 人口密度の高いところでは一人に対しての関心度は薄まるのでは。 人口密度の低いところでは一人に関しての関心度は高まるのでは。 どこの時点を昔とするのか微妙ですが 今はネットワークの発展で、様々な「人に関しての情報」を手に入れやすい世の中。 昔の人に比べ、現代の各個人の中に入っている「人間の情報」データ数は多いでしょうね。 よって、皆の脳内の「人間情報」の人口密度は昔に比べ多い。となり、 一人の人間への関心度は薄まっているのかも。 しかしいつの世も、他人に無関心な人なんていないと思うので。 自分の行動は間違いなく誰かに見られています。 存在している限り。