【論理学】演繹定理について

このQ&Aのポイント
  • 演繹定理とは、論理学における重要な定理の一つです。
  • ある前提の集合に命題を付け加えた場合、妥当な論証により結論が導けるならば、その命題を結論する論証は妥当です。
  • 命題に前提や仮定があっても、妥当な論証によって導かれた結論は正しいと言えます。
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【論理学】演繹定理について

論理学を独学し始めた者です。 テキストに記載されていた「演繹定理」について、理解ができません。 (使用テキスト:論理学入門~三浦俊彦 日本放送出版協会) 当該定理については、下記のように記載されていました。  「ある前提の集合Σに命題Pを付け加えた場合、妥当な論証により  Rが導けるならば、Σを前提としてP⊃Rを結論する論証は妥当である、  ということ。」 さらに、Σが空集合の場合には、上記の定理の特殊系として  「Pを前提もしくは仮定してQが結論できるとき、  何の前提も仮定もなしでP⊃Qを導き出してよい。」 とも記載されておりました。 なぜ、このようなことが主張できるかが理解できません。 というのは、命題Pに前提や仮定があった場合に、結論として 出てきた答えが妥当であるのであれば、任意の命題Pについて すべて結論が正しくなると考えているからです。 例として、  P:「地球人は宇宙人である」 という前提もしくは仮定があったとすると、  「宇宙人は人間ではない」(Pを前提もしくは仮定とした文) という命題があった場合に、  「地球人は人間ではない」 といった、おかしな結果になると考えているためです。 ・・・妥当な結論とは言えなさそうな答えが、いくらでも生じてしまうのは 論理学としては破綻しているように思えます。 私自身の無能をひけらかして大変恥ずかしい限りですが、 私の考えが、どのように誤っているかを、ご教示頂けると幸いです。 お知恵のある方、宜しくお願いいたします。

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noname#221368
noname#221368
回答No.3

 内容からすると、論理学の中の命題理論の部分と思えます。  命題理論で問題にするのは、必ず恒真関係です。ここで関係という点が重要ですが、質問中にあるように抽象化されて書かれると、初見で戸惑うのは当然と思います。  命題理論では、個々の命題が正しいかどうかは問題にしません。P⇒Qも命題なのでややこしいのですが、さっき言った個々の命題とは、P⇒Qの中のPやQといった原子命題をさします。P,QとP⇒Qの違いは、論理記号「⇒」が明示的に書かれているかどうかです。論理記号を明示的に書かれた命題を、特に関係式と呼び、命題理論は関係式の真偽だけを問います。ここで論理記号とは、「⇒(ならば)」「∨(または)」「∧(かつ)」「~(否定)」です。  最後まで書いて気づいたのですが、「⇒」とは「⊃(含意)」と同じです。  ところが関係式の原子命題には、何でも突っ込めるので、命題理論で意味のある関係は、A⇒Aのような恒真関係だけになります。つまり命題理論は、推論の正しさを保証するものです。  「地球人は宇宙人である」というΣのもとで、「宇宙人は人間ではない」と仮定すれば、「地球人は人間ではない」 という「推論自体は正しい」、という事が保証されます。結論を現実との比較テストにかけると偽なので、Σが不当である事が逆にわかります。その根拠は、「推論自体は正しい」事にあり、これが論理のふつうの使い方だと思えませんか?。上記は三段論法と言われる、推論パターンの一つです。  そうすると命題理論の目的は、Σが恒真関係(正しい推論パターン)だけの集まりになるように、恒真関係を選び出していく事になります。その標準的過程を述べたのが、「演繹定理」です。  Σのもとで、Pを仮定すればQである. は、Qが真だとは言っていません。  Σのもとで、P⇒Qは真. を言ってるだけです。さらに言えば、  Σ⇒(P⇒Q)は恒真関係. です。次のステップは、R,Sなるテスト命題を考え出して、  (Σと(P⇒Q))⇒(R⇒S)は恒真関係. が可能なら、Σと(P⇒Q)と(R⇒S)を、新たなΣとして先へ進みます。  以上の過程を逆にたどると、いつかΣをもたない関係式に達します。それがA⇒Aのような自明な恒真関係で、書きませんが大抵は4つの恒真関係になり、恒真である事は、真理値表(恒真関係のための、現実との比較テスト)により確認できます。これらは、「明示公理」と言われる場合があります。 >Σが空集合の場合には、上記の定理の特殊系として  「Pを前提もしくは仮定してQが結論できるとき、  何の前提も仮定もなしでP⊃Qを導き出してよい。」  これは、P⊃Qが前提不要の恒真関係だと言ってるだけです。というか、恒真関係の定義ですね。 >命題Pに前提や仮定があった場合に、結論として 出てきた答えが妥当であるのであれば、任意の命題Pについて すべて結論が正しくなると考えているからです。  この予想は正しいですよ。命題理論の結果の一つです。そうならないように、恒真なΣを選び出す手順を定めます。命題理論の言っている事は、Σ⇒(Q⇒P)は恒真である、だけです。

tobochite
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 質問内容の背景から、ご丁寧に解説頂きまして、 感謝と共に、深い敬意を抱きました! そもそも、命題論理のもつ世界観(というのでしょうか)が どういうものであるかを提示して頂いた上で、ご回答されて いるため、非常に解りやすかったです。 漠然としていた視界が、かなり明確になりました。 繰り返し、ご回答を拝読させて頂き、自分の資産となるよう 努めます。 私には、もう少し難易度の低いテキストが合っているのかも しれません。中学生レベルでも理解できそうな別の書籍を 探してみます。 改めて御礼申し上げます。

その他の回答 (4)

noname#144675
noname#144675
回答No.5

同値関連の公理が使えるという前提で回答いたしました。 ふつう 昨今の論理学は 古典的三段論法が間違っているという前提で 話を進めます。 つまり A B C 「a」 は、A含まれる要素であるという仮定の下 / A の要素である aが、 少なくともひとつ存在する / A⇒B / B⇒C すなはち ---------- A⇒B⇒C とするのが 定式的です。 キーとなるのは 演算を中心とした論理計算体系です。 演算記号としては 定義的に -(いわゆる non) と N + M の + (かつ) です。 たとえば N, -N, (N+M) は、定数的・アーギュメントです。 -を ¬ + を ∧ と規定しますと 正誤表より N⇒M は、¬(N∧¬M)と同値であり、 N v M (前回答では「U」) は、¬(N∧M) と同値です。 演繹に関する教科書的取り決めは、記号論学が成立しうるための「仮定」を ほかの言葉で言い換えたものです。 ここでは、 ¬ と ⇒ だけをつかって 論理系を説明しようとしていますので、意味が通りづらくなっているだけです。 私の説明は、¬と∧だけを使って、一般論的に説明しなおしているだけです。

tobochite
質問者

お礼

懇切丁寧にありがとうございます。 私自身が大変不勉強であることが、更に明らかになりました。 本当に、色々とお知恵を頂き感謝しております。 周辺知識も含め、学習いたします。

noname#144675
noname#144675
回答No.4

正確に書くと 仮定 Σ⇒R 証明 Σ Xnは存在する(仮定) Σ⇒Xn 仮定 Xn⇒R P (設問仮定) Xn U P (U = or の恒真式) { (Xn U P) ⇒ Xn ⇒ R } (Xn U P) ⇒ R

tobochite
質問者

お礼

再度、ご丁寧に説明いただき、ありがとうございます。 確認させて頂きたいのですが、 >Xn U P (U = or の恒真式) という行は、  Σ⇒Xn と  P(設問仮定) の2つの式に対して、 選言の導入則を適用していると考えてよろしいでしょうか? LPなる公理系しか学んだことがないので、私の認識違いであれば 申し訳ございません。 ご回答頂きながら、再度質問をしてしまい大変恐縮しております。

noname#144675
noname#144675
回答No.2

あのう ただ数学みたいに解けばいいのだと思いますが・・・ 導出の可能性の問題ですから、以下のように見ていくとよいでしょう。 たとえば、文章構成として言語には3つの体系があります。能動態 受動態 中動態 です。 そういった任意の文章Tを Tn(Sn, Qn)で表すとすると (Sn 主語 Qn 述語とし、最低限 Qまたは Sが 要素を持つ) 仮定 Σ(Tn) その仮定の下 結論として Rが妥当に導出される というのが命題です。 つまり Σに含まれているであろう あるXnについて  Xn(論述的に導出可能な文章群)ならばRが成立するということです。 Xn⇒R ここに来て P (・・・仮定より) (Xn U P)⇒R です。 単純に仮定から結果が出ます。 PS 現代的な論理学では P と -Pの間の関係があいまいです。 基本的には P not = -(-P)です。 しかし記号論理学を学んでいるのですから、考え直してください。 「宇宙人の知恵」 「虚数の心」 とかというのは 三文文士の考えだしたパロディです。 自然言語の話をしているのではないので 宇宙人が何たらというのは分けて個別に考えるべきです。

tobochite
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 命題の考え方を >仮定 Σ(Tn) >その仮定の下 >結論として >Rが妥当に導出される と考えるとは知りませんでした。納得いたしました。 1点、不明なのが、 >(Xn U P)⇒R の箇所です。ここで、記号が「U」である理由が解りません。 「∩」であれば、理解できるのですが・・・。 よろしければ、この点について補足頂けると幸いです。

回答No.1

参考になるかどうか自信はありませんが。 ここは演繹が問題となっているのだから「P」は妥当(真)」でなければならないのでは? 妥当(真)な命題から、妥当な(まともな)論証のよって「R」が導けたなら(Rが真なら)、 真であればどんな命題でもPになれるということではないでしょうか。 たとえば、「2は偶数である」ならば、とか「ポチは犬である」とかの真の命題(P)は、たとえば「正3角形の外心と内心は一致する」(R)が真になることにとって邪魔にならないということではないでしょうか。 シグマの変数を無限にしても、Rが真であるならば、そ真であることの邪魔にならないというか、逆にいえば、ひとつの命題を真とみなすとき、その背後には(前提には)、無限の「仮定」がよこたわっていてかまわないというふうなことではないでしょうか。 P「地球人は人間である」(主語も述語も「人」を含むので同語反復的ですが)が「真」であるなら、R「宇宙人は人間ではない」(「人間ではない宇宙人がいる」と量化しておきます)は「真」であるほかはない。 どうも舌足らずですが、どうでしょうか。

tobochite
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >ひとつの命題を真とみなすとき、その背後には(前提には)、 >無限の「仮定」がよこたわっていてかまわないというふうな >ことではないでしょうか。 真の命題から、妥当な論証により導出されたRが真であれば、 どんな命題でもPになりえる・・・ということですか・・・。 真でありさえすれば「どんな命題でもPになりえる」ということで、 仮定とすることができ、妥当な結論を導けるということですよね。 とすると、 変な言い回しですが、いいかげんな「でっちあげ」の仮定(真)でも 妥当な結論が導出される、というのは理解しがたいわけです。 例として挙げていただいた 「2は偶数である」 や 「ポチは犬である」 という真の命題(P)は 「正3角形の外心と内心は一致する」(R) が真になることにとって邪魔にならないというよりも、なぜRを 導出するために、関係のなさそうなPの存在が仮定として必要 であるのかが理解できません。 当方、頭が弱く、大変お恥ずかしい限りです。

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