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後悔について
手をださなかった、ホントにやっていいときなのにやんなかった、やり返さなかった後悔について 自分は今まで小中学校「高校はいったが退学し、今は通信の高校」散々意地悪、ウザがらみなどをされてきました そんときにやっていいときなのに手をださなかったことにすごく後悔しています・・・ ちょっと一、二回あるならまだ納得いきますが、あまりにもそうゆう意味で後悔することが多すぎます・・・ 今までは手をだしたときはあったときはあったのですが、やるのが怖い、躊躇というか、という気持ち「怖い?」を抑圧してやってました いままで抑圧していたのですがこのままじゃいつまでも同じだなと思い自分は、「自信がない、やる度胸がない、気持ちの弱い、やるときはやる覚悟のないヘタレ」だって 受け入れることにしました そこでどうしたらこうゆう度胸等はつきますか? あと、喧嘩売られた等にスルーするのにけっこう抵抗があります、また逃げるのかってかんじで・・・ ちなみに、ウエイトトレ、格闘技はやってます「格闘はいまはやっていませんがウエイトはしてます・・・」「あと格闘技やってる時期のときでも、あまりやる度胸等がなかったため中途半端というか、思うとおりにはなりませんでした・・・」 手を出したら法律違反だ「事務的な」とか手を出したら負け、ことなかれ主義の人も回答はしないでほしいです!真剣に回答してくれる人に回答してほしいです! 文章めちゃくちゃかもしれないですが、マジで悩んでいるんで回答お願いします・・・ くやしい思い、情けない思いをするために生まれてきたんだなって思うときもあります・・・
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- Avyvyn
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人道的な観点は度外視して回答したいと思います。 まず僕自身、学生時代は自分から喧嘩することは滅多(っていうか皆無)にありませんでしたが 売られた喧嘩はほとんど買っていました。 僕は格闘技経験も無く、筋トレしてちょっと腕力に自信がある程度です。 でも決して一番強くはないタイプでした。 でも「自信がない、やる度胸がない、気持ちの弱い、やるときはやる覚悟のないヘタレ」 っていう自身に対する考え方を一度も持ったことはありません。 むしろ「男ならやるだろ」とか「逃げるとかありえねぇ」とか相手を殴るとか「怒り」の感情で 思考を支配していました。 相手が大柄な人や大勢、武器を持つ人に対して怖くなかったと言えば嘘になりますが それ以上の怒りと大声をだして自分を鼓舞していた記憶があります(ボコボコにされるのがほとんどですが) 大声だせば、もう突っ込んでいくしか選択はないので 自分を追い込むには効果的だったと思います。 ghyuij さんの「逃げたくない」「戦おう」っていう気持ちは好きですが 戦わない人間のほうが強いと思いますよ 負けることはないんですから
- shorinji36
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