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暇つぶしではない暇の過ごし方

暇つぶしとは暇からの逃避でしょうか。 だとしたら暇と正しく向き合って暇を過ごすために、 暇つぶしではない暇の過ごし方とはどのようなものだと考えられますか。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#135815
noname#135815
回答No.2

毎日自由に生活しています。散歩する以外は、テレビを見たり音楽を聴いたりパソコンをしたり、そのうち一日が終わります。あり余る時間に暇という感覚はありません。することがないという感覚もありません。敢えて言えばなにもすることがない時間を楽しんでいます。魚のいないプールに釣竿をたらしているようなものです。何もしない時間が後何年あるか楽しみです。 定年退職者より。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >魚のいないプールに釣竿をたらしているようなものです。 なるほど、これはなかなか難しそうです。

その他の回答 (16)

回答No.17

 shift-2007さん  A16のkrya1998です。  【世界、社会、自分、命からも完全にアウトサイダーになる】ということの意味があたしには飲み込めないのですが、【世界、社会、自分、命】ということに何も実体はなく、それらは創造と自己の内奥の紡ぎでしかないということを観察、理解することで、逃亡ではないつまり、暇つぶしではない閑に、つまり自分に始めて体面することができませんでしょうか?  という意味でA16は申し上げたつもりでした。  一応、念のために再度の投稿を致します。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なかなかイメージしづらいですね。

回答No.16

 ANo.10でのコメント:【つまりやるべきことがない状態】とは、生まれて死ぬまで存在する地上の生活にいながら、超越する自分になる精進です。【ハード・ソフト】ということは具体的にはわかりませんが、【分けて考える】ことはしません。現に生きている存在、意識とその世界を画像、夢として位置づけながら、それを醒めた情況でいきる精進です。 Self-Realization Fellowship(http://www.yogananda-srf.org/

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 世界、社会、自分、命からも完全にアウトサイダーになるということですね。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.15

#13です。 暇つぶしにまたおじゃまします。 悟りを開くと夢を見なくなるというのは面白いですね。 夢は情報整理のためというのは聞いたことがあります。 刺激の強かった情報を他の情報とつなげて整合性が得られるかどうかをシミュレーションしているというような解釈を私はしています。 悟りを開くと、刺激を完全に処理するというよりは、刺激と感じにくくなるのではないか、ということをお話しを伺って思いました。 無意識に振り回されない、というよりも、記憶そのものの強さを極力小さくできるのではないか、ということになります。 ある種の諦念にもつながるのかもしれません。 完全に意識だけでコントロールするのは、喫水線と船底が同じ船みたいなものであり得ませんし、もしあるとすれば極めて不安定な船になるでしょうね。 (むろん程度問題でしょうが)脳は常に刺激を求めており、動物実験した結果によると刺激が乏しくなると生体に良い影響を与えないようです。 こう書いてきて思い出したのですが、明鏡止水というのもたしか悟りの境地の一種だったと思うのですが、大体は死期が近づいた証左であると言われていたと思います。 悩んでいるうちが花なのであって、悩みを無くするというよりは、いかに付き合っていくかと考えるほうがどうも現実的なような気がします。 シフトさんはメンヘルカテでよく回答なさっていますよね。 暇つぶしさせてくれたお礼にひとつ(たぶん)効果的な悩み脱出法を伝授いたしますので、回答時、ご活用になってください。 では、ダラララララ~~~、じゃ~~ん、どん!(ドラミング終了) 同じ悩みを他人から相談されたら何と答えるか、と考えてみる!!! これが案外冷静な判断につながる場合があるそうです。 とっくにご存知だったかもしれませんね。^^;    

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ふふふ、今まで私はずっと自分を実験台にしてきましたらからいつかその境地に立って見せますよ。 その時は自分がどんな状態かをここで皆さんに発表いたしましょう。 誰も信じないか。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.14

#13です。 訂正です。 ×自我エネルシーの重点 〇自我エネルギーの充填

shift-2007
質問者

お礼

エネルシー 広辞苑で引いちゃいましたよ。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.13

#9です。 >私たちは無意識にずいぶん振り回されているなあと思います。 : まあ、そうなんですが、無意識というものを想定できるのも人間だからこそではないでしょうかね。 これに全く関与しないようにするととすれば寝続けるしかありません。 起きた段階で何らかの刺激を外界から取り入れることになり、それが記憶となってさらに無意識となる記憶も必然的に出てくる。 その無意識によって言動が一定の規制を受ける。 ただ、面白いのは、意識的な行動によってその無意識自体も変化し得るということでしょう。 記憶によって記憶を上塗りしたり、意識・無意識の領域から弾き出したりもできるのだと思います。 最大のネックはそのためには、ある程度のエネルギーが必要になる、ということなのでしょう。 弱っている場合には、とりあえず自我エネルシーの重点が必須です。 むろん、そればかりに終始していてはどもなりませんが、人間が相対的な生き物だとしても、まず絶対的な生き物としての自立がなければ相対性そのものが成り立ちません。 意識的な行動自体もまた無意識によって規制されているわけですから、何をやっても同じみたいなものですが、何万光年も先にある星への旅をするときのように(たぶん)徐々に軌道が変わっていくということはあるんじゃないでしょうか・・。 それとも宇宙に浮遊するほうがましですかね・・・。     

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 少し話は変わりますが、いわゆる悟りを開くと寝ている間に見る夢を見なくなるそうなんです。理由は、起きているときに受ける刺激(見たもの、聞いたもの、感じたこと)を完全にその場で処理できるからだそうで、寝ている間の夢は未処理分の整理なんだそうです(たぶんそんな解釈だったような・・・)。 もしそうだとすると、無意識に振り回されずに完全な意識のコントロール下に置かれた自己もありうるのかと思ったりします。

noname#144675
noname#144675
回答No.12

おいしい料理をそうぞうすることで 喜びを与える・もらう  ということでいかがでしょうか? たんに おいしいものが作り出せるように・創出できるように修行をするでもよいでしょう。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 想像をするという行為をするのですね。 私としては意図を介在しない行為というものがあればと思い質問しました。

noname#194996
noname#194996
回答No.11

NO.6です。 表層的なお答えに終始したと反省しています。 >私たちは暇ではないと言いながらも、今の自分の行動、行為にどんな意味があるのかと問われれば答えに困ることでしょう。 なぜ働くのかといわれれば生活のためと答えますが、ならばその生活にどんな意味があるのかを答えることができる人は少ないでしょう。 考えすぎる性癖も、結局貧乏性ということなのかと思っていますが、人間らしく生きたいというひとつの精神エンジンの暴走とまではいかなくも、ある意味無駄に動き続けることによるストレス効果なのでしょう。 民族性もあると思います。 欧米人はバカンスを二ヶ月は取るのが普通だそうで、リゾートの明るい日がさす屋外でいつも一日中昼寝をして倦まないといいますが、すぐ飽きる日本人はそういうわけにはいかなでしょう。 欧米人が鈍感だということでもないと思います。 彼らは本来が狩猟民族であり、何日も獲物を待って見た目は無為に過ごし、あるときには200%の力を集中的に発揮して食い物を獲得する。日ごろの怠惰はそのための準備時間と取ることも可能でしょう。 >何もしないという選択肢が私たちには無いのです。 広くもない耕作地を無駄なく勤勉で埋め尽くしてせっせと収穫を上げるという狭い国土に生きた農耕民族の習いがこういった貧乏性(空間的に、時間的に)に繋がっているのではないかとか思ってしまいますが、実際はどうなのでしょうか? これからは日本も人口も減るでしょうし、貧乏にもなっていきます。エリートたちはそうもいってはおれないでしょうが、わたしたち庶民としては1番2番にこだわるとか坂道の上の目標ばかりに執心せず、日々暇空間というものをもっと許容するおおらかな気分もこれからは必要かもしれません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに民族性は大きく影響されているのでしょうね。 日本人全体が貧乏性なのかもしれません。 がむしゃらに働く時代は終わり、哲学の時代が来ると期待したいです。

回答No.10

 躊躇しましたがかいてみます。  迂遠でかったるいでしょうが、仰せの“暇”から考えたいと存じます。  shift-2007さんはこの“暇”という言語、http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/186961/m0u/%E3%81%B2%E3%81%BE/における 3 自由に使える時間。なすべきことの何もない時間。、そしてこれの理論思索的深化でお使いだと存じます。しかし急いで拝読したご回答へのshift-2007のコメントは、思いもしえなかった側面と関係でこの“暇”という言語に敷衍されています。  東洋の山水や書など書画では余白のために筆を使うというくらいに余白は重要です。  この場合、何もない余白を仰せの“暇”といえるだろうか?  これを人生や生活へ焼きなおして、考えることはできないであろうか?  無為無意味、価値性や理念性を志向しない人生や生活に仰せの“暇”や東洋の書画の余白はあるのだろうか?  そこで志向する価値性や理念性の内容や、レベル、高さ、質などは仰せの“暇”や東洋の書画の余白にどう関るのか。それとも関らないのか。  人生や生活で筆の部分と余白の部分をどう仕分けられるのか。  呼吸も鼓動も、消滅することは片時もない。意識や思考、或いは知覚や知認はどうか。  睡眠においては意識や思考が消滅しているか。私たちヒンドゥ哲理では、それを否定します。  それと同じで呼吸も鼓動も自己の行為以外のなにものでもないと認識します。  そういう行為の主となり、controlできない存在は未だ自己性が芽生えていないといいます。  そういう哲理では人生や生活での“暇”と余白が語られてはいません。  でも私たちも座禅に類似した瞑想や行をやりますし、理論の勉強もします。  そして日常の生活事項も果たして行きます。  そういう中で“暇”に一番近いのが、行や勉強、そして日常生活事項の処理から離れた、一切を取り払い、思考も知覚も消滅した状態なのだと存じます。  ここでは“暇”つぶしはしていません。そして“暇”に対してとことん向かい合います。  何かやることをみつけたり、携わったりはしませんし、意識を持ちながら意識内容をんくし、思考も知覚も消滅します。  こういう書画の余白には、筆の時間も状態もなければならないというのではないが、現実の人間としては、そういう筆と筆時間がどうであったか、とても重要です。特に私たち初心者にとっては。  上記の一切から出た界、人間界も異界も出た、界のない界では何かする事を探しません。  では人間界に居てそういう何もしないときはないか、その場合はどうか。そういう時も行為などをしているのだということです。  何かを見つけてしまうのではなく、正に呼吸も鼓動も、知覚も、そして生きることをしているのだということになります。  そういう人間界の意識状態では、shift-2007の仰せのように【常に頭の中を何かでいっぱいにしていないと落ち着きません。プラス思考さえも何か現実逃避となることもあります。  そういう意味で暇つぶしをしなければならないし、正に現実逃避をしていると】存じます。  そしてまた、【観念というフィルターを通さずに世界を見る】ためには、人間という認識媒体やメディアを出るしかないと存じます。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私はいつか心の理から外れたいと考えています。 それがどのような状態なのかは分かりませんが、その糸口として 暇、つまりやるべきことがない状態がヒントになるのではと思いました。 私はハードとソフトは分けて考える性質ですが、宗教的には分けることは是としないのでしょうかね。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.9

#5です。 >私はもしかすると幸せになることを拒絶しているのではないか。 : あくまで相対的関係性の中でしか人は生きられないということの証左なのでしょう。 わたしの場合、平日よりも日祝祭日など、大多数と同じ休日であるほうが気分的にゆっくり休めるような気がしたりすることもあります。 みんな幸せなら自分も幸せ、という感覚が自然なのでしょうから、特に拒絶していることにはならないでしょう。 それが満たされていない空虚感がそう思わせるのだと思います。 >被災地でも春は来ており、その美は人の混乱とは無関係なのでしょう。 ある意味、美とは残酷なものだとも思ったりします。 : そうですね。 何の因果関係もないことは理屈ではわかっていても、残酷さゆえに美が際立ってしまうという側面も往々にして垣間見られるようです。 >私たちは常に頭の中を何かでいっぱいにしていないと落ち着かないようです。 : 何かに追い立てられているかのように・・・ですね。 そっか・・・。 暇をつぶさずに有効に使うべき、ということではなく、暇なら暇のままになぜ素直に受け入れないのだろうか、という趣旨でしたか。 逆の意味に解釈しておりましたので的外れの回答になっていたようです。 #5でかろうじて関連する内容が含まれていたとすれば、『激しく意志した段階で、それは「暇」という概念から外れる』と述べた部分かもしれません。 これを前提にすることが可能であればですが、結果として、意志すること自体が現実逃避であるということになるでしょうか。 「逃避」を一般的な意味とはおそらく逆に想定していると思うのですが、そうだとするとある面では魅力的なお考えですね。 ただ、この場合、自己実現欲求や自己アイデンティティは捨て去られることになります。 これ(捨て去り)が可能か否か、ということですが、わたしは不可能だと思います。 動物の DNA とは異なる DNA が組み込まれて人が出現したのだとすれば、その異なる部分には本能的自然性の替わりに何か、つまり、本能的自然性ではないものが組み込まれていると考えざるを得ないからです。 自己実現欲求や自己アイデンティティとの折り合いをどのようにつけていくのか、その過程か、または、その先に何かが出てくるような気がしています。 そのためには、少なくとも何もせず何も考えない、本当の暇な時間が必要になってくるのかもしれません。 結局、もっとボーッとする時間を増やそう!ということになりますか。 あるいは、ボーッとすべきときは素直にボーッとしよう! さて、今回私はシフトさんに同意したことになるのか、反論したことになるのか・・・。   

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私たちは無意識にずいぶん振り回されているなあと思います。 無意識に是と思い込んでいることがまだまだあると感じます。 心の理にはまだまだ未知な部分がありますね。

noname#140921
noname#140921
回答No.8

♯3です。 質問の意味が理解できていなかった様です。 今でもできているのかわかりませんが… 私は家でやることがない時間の『暇』をイメージしたので最初の回答になりました。 例えば 誰かと待ち合わせをしていて 早く着きすぎた…もしくは相手が遅れている場合 予期せぬ『暇』ができます。 その待ってる間、携帯を見たりゲームをしてみたり… これは暇つぶしですよね。 では人間ウォッチングはどうなんでしょう。 待っているものの やることもなく目の前の光景をありのまま受け入れる… それに対して感じるものはあるかと思いますが 暇つぶしではない暇の過ごし方にはなりませんか? 『暇』になった状況で暇つぶしになるかどうか違ってくるのかな…と。 またまた検討違いなことを言っていたらごめんなさい…。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「目に映る光景をただ眺めている」 よい暇の過ごし方だと思いました。 それに対して何かを感じ何かを思考するのは、意図されたものではないので何か新しい世界観が生まれるかもしれないと思いました。

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