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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:手加減が分からない子供達の責任(長文です))

分からない責任 賛否両論の体罰問題

iikagenotonaの回答

回答No.10

ラグビーで有名な伏見工高は、かつて悪の巣窟として有名でしたが、山口先生が体当たりで(今で言う暴力教師)、反発する不良高校生をラグビーと体罰(それ以上の愛情を持って)を通じて更正させ、今や花園の常連校になりました。 また、力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。力なき正義は反抗を受け、正義なき力は弾劾を受ける。それゆえ正義を力を結合せねばならない。 byパスカル と昔の偉い人は言っております。 更に、褒めて育てる事の弊害がある事を、最近の教育研究で出ている様です。 http://wizard-of-oz.no-blog.jp/blog/2010/10/post_8c7a.html つまりは、何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」であると言う結論です。 そもそも、外国の考え方では、子供は人間ではなく人間になる為には躾(と言う、暴力)が必要としている所もあるようです。 http://www.u-gakugei.ac.jp/~tam/research/culture/culture02.html http://blog.goo.ne.jp/higurashi55/e/e80eb7704c77017a7e67e6a9be84a670 是々非々で悪い所は叱り、言う事を聞かない態度なら優れた人間に育てる為「愛情を持って教育的体罰」もやむなし、一方「良い事はシッカリ褒める」ので良いのでは。 間違えてはならないのは、暴力では無く、躾です。

noname#246942
質問者

お礼

回答有り難うございます。 お礼が遅くなり、大変申し訳ございませんでした。 伏見工高の件は、初めて知りましたね。 我々の時代もそうでしたが、部活などで監督に殴られても、それを「理不尽な暴力」だと思った事も無いし、そう言う指導でも「付いて来る奴」と「そうでない奴」の違いは、それだけ本人の部活にかける「熱意」が感じられるかどうかでした。 「やっている事は同じでも」本人の受け取り次第で、それを「愛情」と取るのかどうかは分かりませんよね。 自分は、その可能性をあるものを、社会全体として「禁止」とするのはいかがなものか?と疑問に思った次第でした。 また子供達にそれを「利用」された日が恐ろしいと思います。 自分が見たテレビに出ていた教師は、タバコを吸っている生徒を見つけ注意をしたらしいのですが、生徒は一向に焦りもしなければ、へらへらと笑っているだけだったそうです。 頭にきて、胸ぐらを掴んだらしいのですが、その生徒は 「殴りたいんなら殴れよ。速攻PTAに駆け込んでやるよ」 と言い放ったそうです。 ま、そこで殴れない教師も教師ですが、全員が全員、即座に、そういう問題と自分の人生を測りにかけれる訳ではありませんよね。 その教師は「あなたが舐められているからだよ」と周りから言われていましたが、自分はその教師が、というよりは、子供達が「そういう立場にいる大人全体」を軽蔑しているように見えました。 そう言う垣根を取っ払った段階で、初めて個々の教師の力量を初めて問えるような気がします。 「過ぎたるは及ばざるがごとし」 確かにそうですね。 「暴力は必ず必要だ」という事も、またそれを「絶対に禁ずる事」も、自分から見れば、極端過ぎる気がします。 難しい問題ですね。 参考になるご意見、本当に有り難うございました。

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    日本人ならば誰もが一度は見た事がある名作ドラマ、アニメは親、教師による体罰、暴力シーンのオンパレードです。 このようなドラマ、アニメを観た視聴者から『お宅が放送しとったドラマで、教師が生徒をどつくシーンが流れとったぞ!!一体、なんちゅうドラマを放送しとんねん!!(怒)』などと抗議の電話がテレビ局に殺到したなどという話は、これまでまったく聞いた事がありません。 日本人のほとんどは、そのような暴力シーンを見ても別に何の違和感も感じませんし、体罰はもう完全に日本人の生活の一部になっており、空気のようなものになっています。 日本人全員と言っていいと思いますが、私達は子供の時から、メディア、教師、親からの影響で、『体罰は悪いものではない(いいもの?)』と自覚がないままに思い込まされ洗脳されています。 そして、洗脳されてる自覚のない人は、"体罰教師"の事を"熱血教師"などと言ったりします。 このような状況は外国人(特に先進国)や外国で育った日本人には違和感があります。 桜宮高校の生徒を自殺に追い込んだ体罰教師を庇う、生徒やその親御さん、そして、校長を始めとした他の教師達は、子供の時から自分達は洗脳されてきたという自覚がまったくありません。 この事は当然、橋下市長にも当てはまる事ですが、橋下市長は誰よりも早く洗脳が溶け、事態の深刻さに気づいたようです。 問題なのは桜宮高校の教師、親、生徒、大阪府市民、、、いや日本人の多くが自分達は洗脳されてきた、自分も洗脳されているかもと疑問すら感じておらず、自分自身を客観視する事すら出来ていない事です。 こうなると事態の改善など出来るわけもなく、体罰もなくなる事などありえません。 事情通のみなさん、このような状況で、日本から体罰を無くす事は出来るのでしょうか?

  • 「体罰してない」という嘘を言う人が多いのはなぜ?

    親による虐待問題からそこに紐付けられ、体罰を犯罪化する法律が作られ話題になっています。 その中でメディアの親や教員のアンケート、街角調査などで、「体罰の犯罪化に賛成、推進」という人が圧倒的に多いです。また「自分は子供に体罰はしていない」という人が圧倒的に多いです。 しかしこれは明らかな嘘で、子供に体罰を与えていない親や教員などほぼ皆無ではないでしょうか? 体罰とは子供をこらしめのために,身体的な苦痛を与えることであり、そこにはツネッたり、体を押さえつけたり、ひっ叩いたりすることです。また場合によっては怒鳴りつけることも体罰に含まれることもあります。 とにかく「子供をこらしめるために罰として身体的苦痛を与えることは体罰」であるとし、犯罪事として取り締まるように様々な人が推進しています。 まだ犯罪化前にありますがアンケートなどで「自分は子供に体罰はしていない」という嘘を付く人がやたらと多いのですが、これはなぜなのですか?    

  • 子供を叱らずに育てることは可能か?

    こんにちは 虐待されて亡くなる子供、後を絶ちませんね・・・ どれだけの子供が犠牲になっても、一向に減る気配さえありません。 この逆の、極端な話。 子供が間違ったことをしても、親、教師、近所の人などがまったく叱らず叩かずして、間違いを正して、子供をまっとうな社会人へと育てあげることは可能だと思いますか?

  • 躾という名目の体罰 なぜ自分の育て方を先に反省したり改善したりしないのでしょうか?

    子供の性格は、育つ環境でずいぶんと変わってくると思います。 親が、自分の躾の悪さを棚に上げて、子供を体罰や脅迫のような言葉等で抑えつけても、子供が素直に育つとは思い難いです。 我が子は成人に近い年齢ですが、今まで一度の体罰も怒鳴りつける事も無く育っていますし、 私の知る限り、子供が小さい頃から、周囲のご家庭でも体罰をした経験があるといった話は聞いた事がありません。 ですから、体罰をしたり、怒鳴りつけたりする親の考えが理解できず、私共夫婦から見ると、虐待に見えてしまいます。 体罰や大声での叱りつけを躾だと名目づける人は、なぜ自分の育て方を先に反省したり改善しないのでしょうか?