「渾身の」という言葉の使い方

このQ&Aのポイント
  • 「渾身」は、「からだ全体。満身」という意味で使われますが、現在の用法では「全ての○○を振り絞った」というニュアンスが主流です。
  • 「渾身の一作」「渾身の問題作」などのように使われますが、「全身の一作」という意味になり、誤用とされます。
  • 「渾身」の現在の使い方が一般的になったのは、ワープロやネットの普及により素人の言葉遣いが広がった結果だと考えられます。
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「渾身の」という言葉の使い方

「渾身」を辞書で引くと、「からだ全体。満身」とあり、用例として「渾身の力をふりしぼって」などと出ています。「からだ全体」の「力」を振り絞るのですから、意味は通じますね。 しかし、現在使われている用法のほとんどが「渾身」=「全ての○○を振り絞った」というニュアンスで使われていると思います。 例「渾身の一作」「渾身の問題作」 これだと「全身の一作」……意味がまるで通じません。誤用なのは明白です。 これはまあ、「コンシン」という音から来る「コン」→「込める」「入魂」のようなイメージから来る「誤用の通用」(←という言い回しもなんかヘン)だとは理解できます。 それではいつごろから「渾身」が今のような使われ方をするのが多数派になったのでしょうか。 ちなみに青空文庫を検索しても、現在のような誤用をしているものはありませんでした。 また、私の小学生時代(約35~40年前)にも、ほとんど見かけなかったと思います。 やはり、ワープロの普及や、ネットの普及によって素人の言葉遣いが世に蔓延するようになり、言葉を知らないマスコミ業界人が増えた……という時代に沿っての現象なのでしょうか。 いろいろな視点からのご意見をご教示願いたく思います。よろしくお願いいたします。

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noname#134289
noname#134289
回答No.2

例「渾身の一作」「渾身の問題作」・・・はじめて見ました。 私は「渾身の力を揮う(ふるう)」の「渾」と「揮」が字が似ているので、両者を混同して「渾身」を「身を揮う」⇒「全身の力を振り絞る」と誤解釈し、「渾身の一作」となったのではないかと思います。 すなわち「渾」に「力を揮う」と言う言意味があると誤解している。

ASAYOSHI
質問者

お礼

〉「渾」と「揮」が字が似ているので ああ、そうですそうです! この問題を考えるとき、いつも何かずっと、「喉に小骨が刺さったような」感じがしていたのです。これが小骨の正体だったんですね。今はじめて気づきました。 誤用の原因は、まさにこれかもしれません。 すっきりしました。どうもありがとうございました。

その他の回答 (1)

noname#212854
noname#212854
回答No.1

《例「渾身の一作」「渾身の問題作」  これだと「全身の一作」……意味がまるで通じません。誤用なのは明白です。  これはまあ、「コンシン」という音から来る「コン」→「込める」「入魂」のようなイメージから来る「誤用の通用」(←という言い回しもなんかヘン)だとは理解できます。
》  あなた自身が指摘している、ここら辺がミソのような気がします。  一所懸命が一生懸命になったのと、類似した現象では無いでしょうか?  素人の言葉遣いの方が、万人向けで誰にでも使いやすいという利点もあるような気がします。

ASAYOSHI
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 〉素人の言葉遣いの方が、万人向けで誰にでも使いやすいという利点もあるような気がします。 たとえば、ほんの20年くらい前まで「重複」を「ジュウフク」と読むのは間違いだとされていましたが、いつの間にか許容されてしまったようです。これなどは、「私自身は気持ち悪いけど、納得できないこともない」部類です。 しかし「渾身」の場合は、「意味を知っていれば、現行のような使い方はできるはずがない」ので、通じればよいというものでもない、と感じてしまうのです。

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