• 締切済み

大昔に意味が変化した言葉

現代ではよく 「言葉は生き物」 「用例や使われ方によって意味が変化し、誤用とされていたものが正しい用法として認識されてゆくこともある」 などといわれますよね。 そこで気になったのですが、大昔にも同じような問題は起きていたのでしょうか? 例えば、平安時代や鎌倉時代に誤用が問題になっていたが、後々に正しい用法として認知されるようになった言葉などは存在するのでしょうか。

みんなの回答

  • toshineko
  • ベストアンサー率44% (258/575)
回答No.3

結構……建物や文章の構造のこと → 計画・準備・支度 → 良い・立派である すこぶる……少し → 大いに・かなり 浮世……憂きことの多い世の中 → はかない世の中 → 当世・現代風

  • banzaiA
  • ベストアンサー率16% (100/595)
回答No.2

たとえば 「新たし」(あらたし) と 「新し」(あたらし) のようなものですかね。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

    僕はあまり知りませんがさしあたり二つ 1。あした     朝、と言う意味が変わって、「次の日」という意味になった。 2。ゆふへ     夕方、という意味が変わって、「前の晩」という意味になった。

関連するQ&A

  • 言葉の変化のスピード

    日本語の言葉の変化のスピードについてお尋ねします。 万葉平安の頃の言葉を聞いたら、現代人には意味が全く分からないか、違う意味に捉えてしまうと思います。わずかに千数百年前の言葉です。 それに比べれば、外国語はこれほどの変化はしていないのではないでしょうか。例えば英語は、500年前のシェークスピアがそれほど意味不明ではなく読めます。古めかしい言い回しや現代では使わない表現がある程度でしょう。その倍と考えての類推ですが、どうでしょうか。

  • いつの時代まで言葉が通じるのか?

    言葉というものは時代の中で変化するものです。 平安時代ごろは現代と母音の数すら違っていたと聞きます。 ましてや縄文時代や弥生時代なら現代人からすれば全く別の言語でしょう。 では現代人がまず支障なく日常会話で意思疎通が可能なのは、何時代くらいからになるのでしょうか? もちろん地域によっても違うでしょうが。

  • 「おもむろ」に代わる言葉は?

    今の時代、「おもむろ」という言葉が多く誤用されていますが、 (正しくは「落ち着いて、ゆっくりと事を始めるさま」) それでは世間で広く使われている意味での「おもむろ」 (「思い出したように行動する」のような意) に代わる、正しい用法の言葉は何かないでしょうか?

  • 「渾身の」という言葉の使い方

    「渾身」を辞書で引くと、「からだ全体。満身」とあり、用例として「渾身の力をふりしぼって」などと出ています。「からだ全体」の「力」を振り絞るのですから、意味は通じますね。 しかし、現在使われている用法のほとんどが「渾身」=「全ての○○を振り絞った」というニュアンスで使われていると思います。 例「渾身の一作」「渾身の問題作」 これだと「全身の一作」……意味がまるで通じません。誤用なのは明白です。 これはまあ、「コンシン」という音から来る「コン」→「込める」「入魂」のようなイメージから来る「誤用の通用」(←という言い回しもなんかヘン)だとは理解できます。 それではいつごろから「渾身」が今のような使われ方をするのが多数派になったのでしょうか。 ちなみに青空文庫を検索しても、現在のような誤用をしているものはありませんでした。 また、私の小学生時代(約35~40年前)にも、ほとんど見かけなかったと思います。 やはり、ワープロの普及や、ネットの普及によって素人の言葉遣いが世に蔓延するようになり、言葉を知らないマスコミ業界人が増えた……という時代に沿っての現象なのでしょうか。 いろいろな視点からのご意見をご教示願いたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「確信犯」という言葉の意味について

    国語辞典を見ると、「確信犯」の意味は 「自らの信条に基づいてなされる犯罪」と成っていますが、 最近の文書を見ると 「初めから犯罪だとわかっていて行う行為」を指す 言葉として使用されている例が多く見られます。 既に言葉の意味が時代の流れによって変化しているのでしょうか? または、単に字面からの誤用が多いだけでしょうか?

  • どうも気になる言葉の誤用

     お願いします。  ネット見てて、どうも気になる言葉の誤用がふたつあります。  ひとつは「~せざるおえない」です。「~せざる終えない」「~せざる負えない」などの派生形があります。  もうひとつは「永遠と~する」です。  見て下さっている方はお分かりだと思いますが、前者は「~せざるを得ない」、後者は「延々と~する」が正しいです。  すんごく頻繁にこの誤用を見かけるのは某知恵袋なんですが、まあ、はっきり言ってあそこは使っているユーザーのレベルがアレなのでほっときますが、自称「保守」が集う2ちゃんねるまとめブログとかでもちょくちょく見かけるんですよ。保守が言葉をぞんざいに扱ってどうしようというのでしょう?  言葉というのは時代と共に変化するという意見を言う人もいますが、このふたつの誤用は現在流通している書籍などでも普通に正しい用法が載っていると思います。誤用を覚える方が難しい。多分、著述業の方が「~せざるおえない」「永遠と~する」と書いたら、校正ではねられると思います。  正確に文献研究したわけではありませんが「しだら」が「だらし」に変わるのでも、明治時代から昭和時代くらいの時代は経ていると思います。明治時代が舞台の落語に「しだらしがしだらじゃで、こんなことも言わんならん」という台詞が出てきます。これは「普段の行いが行いなので、こんなこと(説教)も言わなければならない」という意味です。現代は行いがよくないという意味で「だらしない」という言葉になっていますが、主に性的な意味で素行がよくない女性のことを「ふしだら」と言うかたちで「しだら」も残っています。  言葉というものはこれほどゆっくりにしか変わらないものなのに、上のふたつの誤用は多過ぎはしませんか?  もっと言うと「~をすることが望ましい」という意味での「~すべき」というのもありますが、これはテレビが戦犯だとわかっています。字幕で「~すべき」と出すから。もちろんこれは本来「~すべし」ですね。同じ言葉の別の活用で「~すべかる」と書いたらみんなこれは変だなと思うと思うんですが「~すべき」はいつの間にか慣らされてしまった。でも自称「保守」がドヤ顔で「~すべき!」とか言ってたら「この人本当は保守なんかに興味ないんだろうな」と思います。  初代ウルトラマンの脚本家だった金城さんは沖縄の出身でしたが、沖縄が本土同一化教育を強力に推し進めた結果、おばあちゃんの言ってることが孫にわからないという事態が生じ、沖縄文化が断絶したことに悩みを抱えていたようです。  こんなことを気にしている私の方が変なのでしょうか?

  • ある言葉に当てる漢字はどれが正式である等あるものでしょうか?

    例えば、穴を「あける」は、 辞書をひくと「開ける」が正しいようです。 (用例で書いてある為) ただ、「明ける」と書く人もいます。 どちらが正しいのでしょうか? 言葉は生き物と言われていると聞いたことがあり、 時代の流れで変化している過程なのか、 ただ間違えた人に他の人が右に習えをしたのか、 それとも両方使い方によって正解なのか・・・。 明らかに”この漢字しか使わない” という言葉もありますが、 ここのカテゴリに質問がありましたが、 「穴」と「孔」の使い方の違い等 誰がそれを決めているのでしょうか。 若しくは、それが何%の国民が使っているから それを正式な漢字としよう、などを判断している人。 それとも数学みたいに答えが一つではないのが 国語だ・・というべきなのでしょうか。

  • 【古語】平安時代~鎌倉時代の結婚祝いの表現

    平安時代後期から鎌倉時代くらいにかけて、誰かの結婚を祝うのによく使われていた表現は何ですか? たとえば現代だったら「ご結婚おめでとうございます」などと言う所を、当時の言葉では何と言っていたのでしょうか。 文語でも、口語でも構いません。 (友人の結婚式の余興で使おうと思っています) よろしくお願いします。

  • 誤用になった言葉?

    「申された」「参りましょう」は、敬語の本などでは誤用とされていますよね。 でも、時代小説のセリフで使われますし、ご年配の方も普通にお使いになります。 実際のところどうなのでしょう? あと、「申し訳ございません」「とんでもございません」など、以前なら問題なく使えた言葉も、最近は誤用とされるようになりました。 上記の言葉は、所謂文豪と呼ばれる小説家も使ってたのに、最近になって突然誤用扱いになって、不思議に思っております。 最近は、二重敬語はダメ、「お」「ご」を付けすぎるのもダメなど、なんでも誤用扱いをするような風潮で、逆にどう言えばいいのか困ってしまいます。 こういったことは、最近になって出来た決まりによって変化したのでしょうか。 それともずっと昔から問題視されていたものの、放置されていたのでしょうか。 正しい敬語だとか、ビジネス敬語などを謳った本を読んだりもしたのですが、いまいち納得出来ません。 敬語、言葉遣いにお詳しい方、ご回答よろしくお願い致します。

  • 日本文学の好みに関して

    日本文学で上代~平安・鎌倉時代迄が苦手で好きになれない方っていますか? 私は何度現代語訳を読んでも開始1分で飽きます。まだ明治~昭和の文豪の文学の方が飽きずにぐいぐい読んでいられます。 私の友達にも国学院大学の文学科で勉強している人がいますが、古事記~平安時代までがものすごく嫌いで勉強したくないと怒っている友達がいます。 彼は太宰治や宮沢賢治の書籍が大好きでそればかりを熟読してましたが、まさかそんな大昔のが出てくるとは思っていなかったそうです。 大昔の古典文学って不人気なのでしょうか? やはり皇族が読む類いなのでしょうか?