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現状と「遅れた意識」とのギャップ

普段みなさん自身が思う「自分の心」とは、長い経験に基づいた「思考パターン」である可能性が高いと思います。脳細胞の神経ネットワークに「思考パターン」ができる以上、それを改善するのは困難。ここで言う改善とは、既に世界的に助け合っているにも関わらず「意識としては競争」している現状からの脱却、を言います。 どうすれば「遅れた意識」を現状に合わすことができるでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • heartmind
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回答No.6

本当の助け合いとは、個人ではどうにもならないハンデをシステムで 補って、土俵を同じにすることのような気がしています。 確かに、助け合いは良い言葉ですが、 施設の子がかわいそうと思われることがかわいそうなのです。 ほどこしではなく当然の権利を補うシステムがあれば、胸をはって 同じ土俵の同志になれます。

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その他の回答 (5)

回答No.5

 推理してみました。  「助け合いと競争」  たぶん、助け合いながら競争している社会に、矛盾を感じての疑問だろうと。    私も思います。  この人間の社会はまるで、「ジキルとハイド」のようだと。  でも人間の歴史を見ると、以前よりはマシになっているようにも思います。  少なくとも助け合いの精神は成長しているのではないでしょうか。  とは云っても、向こう三軒両隣的心は失われつつあるようでもあるし、・・・・・なんか複雑。

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回答No.4

 捕捉質問です。  たぶん、OtamaFさんは、得られた回答に少しばかり失望しているのではないでしょうか。  それはOtamaFさんの疑問に思う点が、質問文に的確に反映していないからだと思います。  質問文を読むと、意図する疑問が不明確、解かりにくいのではないでしょうか。  さらに、意図する疑問を述べることで、望む回答が得られるのではないでしょうか。

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  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.3

競争心の生まれる根底に 「少ししかない」という意識があると思いますので、 すべてのものは充分にあり すべての人間が同じだけ幸福になれる という考え方が 価値感になる必要があります。

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  • JoyWorld
  • ベストアンサー率13% (6/45)
回答No.2

世界的に助けあっているし、競争もしているのだから、別に遅れていないと思いますが?

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  • okimaru
  • ベストアンサー率0% (0/27)
回答No.1

そうですかね? ネット社会をを中心に競争という概念は薄れてきている感じがしますけど。 あと50年もすれば。競争という概念はさらに薄くなり、共有、共栄、個性の意識が出てくると思います。 ネット社会はもうほとんどが「フリー」です

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