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吉良邸討入前にそば屋の2階に集合

百 楽天(@100rakuten)の回答

回答No.2

 kusirosi さんが書かれたことに、少し加筆さ・訂正せていただきます。 >元禄年間の江戸には、  二階に四十七人入るような立派な そば屋は、まだない。  元禄年間の江戸には、店舗を構えて座敷あるいは上がり框で客にうどんやそば切を供することを専業とする者はなかった。 >実際には吉田忠左衛門他数名が、移動の途中で、うどん や そばがき を食べたということらしい。  寺坂吉衛門が書き残した記録(寺坂信行自記)には、次のように書かれています。  吉田忠左衛門らは米沢町の堀部弥兵衛の借宅に立ち寄り、そこでしばらくの間、討入の門出の祝儀として盃などを酌み交わしました。  その後、思い思いに、本所林町の堀部安兵衛、徳右衛門町の杉野十平、相生町の前原伊助の三軒の店(たな)に別れて入った。  で、ココです。  原文に続いて現代語訳も示します。  「忠左衛門・沢右衛門其外六、七人ハ両国橋向川岸町亀田屋と申茶屋に立寄申候そは切なと申付、緩々と休息」  吉田忠左衛門・沢右衛門その外六、七人は 「両国橋向川岸町亀田屋と申茶屋に立寄申候そは切なと申付」、休息した。  「八ツ前安兵衛宅江参、内蔵助父子一所に装束致し候」  八ツ前(午前2時頃)に一行は安兵衛宅に到着し、大石内蔵助親子とともに討入り装束で身を固めた。  真夜中の移動です。  その途中にある 「両国橋向川岸町の亀田屋という茶屋」 で 「そば切なと」を注文したとは。  米沢町の堀部弥兵衛宅を出て両国橋を渡る。両国橋の向こう、川岸にある町の亀田屋という 「茶屋」 で・・・  両国橋を渡ると広場がありました。右手は当時は 「御石置場」。その先を右に折れて竪川の方に歩くと、竪川の川岸に一箇所だけ町のようになっているところがあります。  竪川に架かる一之橋(一つ目の橋)の手前。  ここはのちに江戸の岡場所のひとつとなった場所です。  この当時は 「岡場所」 という言葉はなかったのですが、無許可の風俗営業の店があったのです。  吉田忠左衛門ら一行は履物を脱いでこの茶屋に上がり、そば切などを食べながら茶屋女とともにひと時を過ごしたのでした。

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