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論理学について質問があります。

http://2nnlove.blog114.fc2.com/blog-entry-3675.html このサイトで論理学についてわかりやすく解説しているのですが、途中の ~ えげつない契約の例 ~                                                                           ・当社が美筆町に直営店を出したならば、当社は御社に違約金を支払う。 美筆やる夫 「市場を荒らさないと約束するための契約かお。 『当社が美筆町に直営店を出した』が前件、 『違約金を支払う』が後件だお。 これ、えげつないかお?」 長門有希 「えげつない。 この複合、命題を真であらしめるためには、なにも違約金を支払わずとも、 直営店を出さなければよいわけなので、代理店を出せる。 つまりこの条項だと違約金を免れながらさらに 代理店を通じて市場を食い荒らすことが可能」 こうあるのですが、どうもピンときません。 つまりここでいいたいのは「直営店を出すとは言っていないでしょ。これは代理店です」ということですか?それはえげつないというより、まぁそんな屁理屈は、論理学云々なくても別に誰もが思いつくだろうし、えげつないと言えばえげつないけど、世の中そんなモンだろうとは思うのですが。 つまり、ここで聞きたいのは 実はそうではなくて、論理学という視点から、私はもっと全然別の見方を見落としているのではないか?そしてそれはやはり、えげつないのではないだろうか?ということです。 どうでしょうか?   

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noname#208901
noname#208901
回答No.2

長門ゆきのえげつない理由は、論理学の立場じゃなくて 論理学からだともっと別の見解があるのでは?ってこと でしょうか。 当社が美筆町に直営店を出す をA 当社が違約金を支払う      を B とおきます よってA ならば Bとなりますよね。 対偶を考えてみます。 notBならばnotA ですから、当社が違約金を支払わないならば、 当社が美筆町に直営店を出すことはない。 ここで論理に内在する問題 代理店は直営店ではありません。 これは論理学とかにかかわらず言えることです。 だから、当社が美筆町に代理店を出す。は Aではないですから、not Aになります not A ならば B が真であるとは限りません。 ここで、えげつないというのが入り込んでますね。 えげつないっていうのは、あくどい。人情味がかけている ってことですよね。 上のようにnotAの場合にはBであるとは限りませんから、 違約金を支払わないでもOK、で代理店を出すことはできます。 論理的には全く問題ないです。 長門がえげつないっていうのは、むしろその契約を結んだ 背景が重要になりますね。なんでその契約を結んだんでしょうね。 それは、直営店を出すと、市場を食い荒らす。という隠れた前提があるためです。 そして、これが真なんですね。 で、この論理の面白いところは、当社が代理店を出すと、代理店を通して 直営店が市場に介入できるから、直営店=代理店ということを長門が 非難しているというところです。 論理学では、代理店が直営店ではない以上、そうであるかないか、の (2)文法の世界ですからね。代理店は直営店でもあって、代理店でもある。 なんていうのが、そもそも論理として成り立っていない。との指摘なのです。 つまり隠れた前提 (1)美筆町に当社が直営店を出すと、市場を食い荒らす。 (2)直営店は代理店とは違うものである。 つまり論理を成り立たせるためには、こうかかなければならない。 (3)当社が市場を食い荒らすならば、当社は違約金を支払う。 このように書けば、市場を食い荒らす主体が代理店であっても 直営店であっても、違約金を払わせることができる。 つまり、違約金を支払う原因が、直営店を出すか出さないか、 という一歩手前の段階を条件にしてしまっているがために、 別の選択肢を相手に与えてしまっているのだから、 契約を結んでしまった方も悪いと思いますよ。 (たださらにつっこむとね。市場を食い荒らすのが本当に 当社がやったことなのか、の判断をどこでするのか。と考えたとき、 本当に当社がやったことなのか、について証明をしないといけません よね!直営店を出した時、を基準としたのは、きっとこのような背景 があったのでは?だとすれば単純に店を出した時、という条件にする のが、最も無難でしょうね。) 話があっちこっちいってる印象がしますが、 長門がえげつない。といったのは、上の(1)(2)を真だとあらかじめ わかってるからです。で、(3)が必要なのにそれを回避していることです。 論理学だと、そうであるかないか。なので代理店は直営店ではない。 というのですから、全く問題にはならないのです。そして、隠された条件 が示されていない以上、論理的な欠陥というものはそれを指摘される までは表に出ることはありません。 私は論理学を専攻してるわけではないのですが参考の一助となれば 幸いです。隠れた論理が、きちんと論理式の考慮に入るのかどうか については自信がありません。長門がとらえた1.2.3の部分ですね。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8016/17133)
回答No.1

論理学の基礎を解説してるだけなので,特に難しいことは書いてありません。 「もっと全然別の見方を見落としている」なんてことはありません。そのままです。

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