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平安時代の出家の手順

平安時代、比叡山延暦寺で僧になる貴族の物語を書いています。 貴族と従者が二人で出家し、貴族は学生、従者は堂衆になるという設定です。 この場合、それぞれの出家の手順はどうなるのでしょうか? また、出家後それぞれの日常生活(一日の流れ)はどういうものになるのでしょうか? よろしくお願いします。

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回答No.2

こんにちは。 >>・戒師になる僧侶は、位はどのあたりの人なのでしょうか? 「大僧正」「権大僧正」「僧正」「権僧正」の位です。 大きな寺になると、「大僧正」も何人かいます。これらの「大僧正」の中から「座主」が選ばれます。 >>・自分で調べたとき、寺によって年分度者の数が決められており、比叡山で得度式を受けられるのは年に二名ほどだということが書いてあったのですが、出家と得度は別物なのでしょうか? 年分度者が決められたそもそものきっかけは、僧侶になると租庸調の税金、特に「庸」の労働免除などがありましたので、もし、極端に言って日本全体が僧侶になってしまうと朝廷への税金が入ってこなくなってしまいます。そこで、天皇の権限で各年の得度者数を決めていました。 しかし、あなたの設定のように貴族などが仏門に入る時は、「特恩度僧」など天皇の「特別許可」で得度が行われました。 ちなみに、当初は「南都六宗」(法相宗、倶舎宗、三論宗、成実宗、華厳宗、律宗)で一年に10人との決まりがありましたが、天台宗は最澄が唐から帰京して、天皇に認められ、806年には天台宗からも2人が排出できることとなりました。 また、「出家」も「得度」も基本的には同じく剃髪をし、仏門の入ることを意味しています。 しいて言えば、「出家」は誰でもなれる。そして、寺に入るかいなかは個人の自由で「在家出家」と言って在家にありながら僧侶としての念仏を唱えたり、僧侶としての道を模索する者もいます。分かりやすく書くと、江戸時代に将軍が死亡すると、正室は髪を短く切り(薙髪・ちはつ)をし、城の中で日常生活をしながら菩提を弔う・・・これが「出家」です。 「得度」は、本当の僧になる儀式で、仏教教団の10名の先輩構成員(三師七証)の承認があり、戒律を護る事を誓えば僧侶として認められました。 *三師七証とは、3人の高僧の立会いと7人の先輩僧侶の承認を得て、戒律を護る「誓約書」にサインすることです。 この得度式は、戒壇(かいだん)と呼ばれる戒律を授けるために設けられた式場(道場)で行います。

aomame6
質問者

お礼

お早いご返答、ありがとうございます! 色々な本を読んで自分なりに勉強したつもりだったのですが、曖昧になっていた部分がたくさんありました。 わかりやすく、詳しいご説明のお陰で、疑問がすっきりしました! 本当にお詳しいですね。すごいなあ! 私ももっと勉強しなければ… 本当にためになりました。ありがとうございました!!

その他の回答 (1)

回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>平安時代、比叡山延暦寺で僧になる貴族の物語を書いています。 いいですねぇ。作家志望とは同士を得た感じがして嬉しいですね。 >>貴族と従者が二人で出家し、貴族は学生、従者は堂衆になるという設定です。 平安時代は、貴族が僧侶になるには朝廷(天皇)の許可が必要でした。 (1)貴族はいずれ高級官僚になるかも知れない人材が僧侶として「世捨て人」になることが惜しまれました。 (2)平安時代では、政治も祭祀(神社や仏閣を含め)もすべて天皇の裁量に関わっていました。例えば、国分寺を全国に造るよう宣下をしたのは聖武天皇でしたよね。つまりは、政治も祭祀も天皇の権限の元にあったのです。 (3)ですから、平安貴族は家人だけに別れを告げて比叡山に昇ることはできなかったのです。 少々苦言を呈しますが、気を悪くしないで読んでくださいね。 (1)あなたはどの天皇の時代で何という貴族が比叡山に昇ろうとしている設定でしょうか? (2)もし、これが本物の天皇でなく、また、ありもしない貴族を主人公とするならば、「戯作」というよりも「偽作」になってしまいますよ。 (3)私も、自称「歴史作家」として、本も出版されましたが、「偽」の部分は「偽」であり、時代的背景や時代考証は、それなりにしっかりと踏まえて書いています。 (4)時代考証をきちんと踏まえてこそ「歴史小説」なり「時代小説」になるのですよ。 さて、話は戻ります。 >>この場合、それぞれの出家の手順はどうなるのでしょうか? まず、貴族の場合: (1)比叡山に入ると、貴族は僧侶になる「許可書」を差し出します。 (2)日取りの良い日まで宿坊で暮らしますが、いよいよ日が決定すると、本堂で座主が読経をする中で「戒師」がハサミで髷や大雑把に髪をきります。そして、剃髪の儀式へと移り、貴族は剃髪と同時に「戒名」をもらいます。 *「戒師」(かいし)とは、いわば新しい僧侶の師匠に当たります。 *「戒名」とは、新しく僧侶となった人の「○○坊」といった僧名です。 (3)そして「位」は、律師に任じられます。 *多少、宗派によってもちがいますが、大方の宗派では、 「大僧正」「権大僧正」「僧正」「権僧正」(ここまでが紫または緋の衣)、 「大僧都」(だいそうず)「権大僧都」(ここまでが松籠色・まつろうと言って緑の衣)、 「僧都」「少僧都」「権少僧都」(ここまでが萌黄玉虫の衣)、 「大律師」「中律師」「律師」「権律師」(ここまでが茶または赤の衣)、 「教師」「準教師」(黒の衣) 従者は、剃髪の後「準教師」にしかなれません。 その後、「律師」も「準教師」も「十界修行」に入ります。 (1)床堅(とこがため)=地獄行・・・自らを丸太で打って自身が大日如来であると観じること。 (2)懺悔(さんげ)=餓鬼行・・・修行者が罪を懺悔すること。 (3)業秤(ごうのはかり)=畜生行・・・修行者を縄で縛って吊り上げ、罪業の重さをはかる。 (4)水断(みずだち)=修羅行・・・飲み水など飲水を断つ。 (5)閼伽(あか)=人間行・・・(水断終了後、水で修行者の煩悩を洗い流す。 (6)相撲(すもう)=天行(てんぎょう)・・・修行者同士が相撲を取る。 (7)延年(えんねん)=声聞行(しょうもんぎょう)・・・舞を舞う。 (8)小木(こぎ)=縁覚行(えんがくぎょう)・・・護摩にもちいる木を集める。 (9)穀断(こくだち)=菩薩行・・・穀物の摂取を断つ。 (10)正灌頂(しょうかんじょう)=仏・・・修行者が先達(せんだつ)から灌頂を受け秘印を授かって仏になる。 この修行では、煩悩にまみれた新参の修行者(新客・しんきゃく、または、初入峰者・はっにゅうぶしゃ)に、まずは生まれながらに仏性(ぶっしょう)を宿していることをおしえた上で、その仏性を覆い隠している罪業を自覚させ、厳しい修行により滅除(めつじょ)し、仏に生まれ変わらせることを目的としている。この修行には3~6ヶ月かかります。 こうして、僧侶と認められると、貴族も従者も朝夕の念仏を唱え、時間がある時は「写経」などで自分を鍛錬します。 貴族は「学僧」となり従者は在世へ托鉢に出たりしました。 字数制限があるので多少は省きましたが、僧侶になるまでには色々な苦行があるのです。

aomame6
質問者

補足

詳しい説明、ありがとうございます!とても勉強になります。 時代は平安末期の院政期で、架空の貴族を主人公にしようと思っていたのですが…(汗)あまり適当なことを書いては、bungetsu様のように詳しい方には嘘くさく見えてしまいますね(汗) 申し訳ありませんが、もう少し教えてください。 ・戒師になる僧侶は、位はどのあたりの人なのでしょうか? ・自分で調べたとき、寺によって年分度者の数が決められており、比叡山で得度式を受けられるのは年に二名ほどだということが書いてあったのですが、出家と得度は別物なのでしょうか? お時間があるときで結構ですので、よろしくお願いします。

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