• ベストアンサー

平安時代の自死について

年間3万余人もの自殺者大国。この日本の平安時代の自死は一般的にどんな状況だったのかなと、 源氏物語の浮舟を読んでいて疑問に思いました。仏教の死生観の影響下、貴族階級の人は出家に走る人が多いようですが、キリスト教のように自殺は罪悪と考えられて墓に埋葬されないこともあったのかなどに関してご存知の方がございましたらお教えください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.2

不用意に確定的な事とは言えませんし、古代史は学問も推定と確定を混同している結構いい加減なところがあるので、参考にもなりませんから、、これは大雑把ですが、私の歴史的というよりも精神論的推論としてお聞き下さい。 日本での自死(変換の都合上自殺とします)は、死ぬという行為よりも、そこに至る過程や意義によって評価がなされたと思います。 平安時代には差ほどでもありませんが、少なくとも仏教伝来以降、そして武家社会になるにつれ、死というものが日常的に武士の中に浸透してきました。 つまり、庶民の社会では今とあまり変わる事無く、失望による自殺が多かったと思います。 貴族社会でも武士のような意義を持った自殺はなかったでしょう。それは自殺を悪と考えていたわけではなく、単に避けていただけだと思います。 しかし、平氏や源氏といった武家社会では戦争という命を懸けたやり取りがある中で、次第に「死に方」にも意義を持たせるようになりました。 多分それは意義を持たせなければ、受け入れ難い程の恐怖だったからでしょう。 江戸時代に近づくにつれ、武家の考え方が庶民にも浸透し、身を護るための自殺や名誉の自殺などが肯定されてきます。 しかし一方で、不義による自殺は晒されるなど、死に方による扱いも厳しくなりました(当時から芝居に影響されて自殺するものが多かったのも原因です) しかも、自殺未遂は二重の罪悪です。 明治以降は地方の武家社会の風習が色濃く庶民に広まり、やがて現状の法制化にまで至ります。 つまり、死に方によって名誉とされれば墓も立派になりますが、不義が原因の自殺などでは、善くても無縁墓地、悪ければ死体を捜すまでもなく終わってしまうこともあったでしょう。

otakesan07
質問者

お礼

お礼が遅くなり失礼しました。懇切丁寧な心と一緒に拝読致しました。「いのちの重さはは地球より重い」がお題目のように金科玉条化しつつある現在、”死ぬという行為よりも、そこに至る過程や意義を評価”してきた文化、思いやりで繋がりの中で死をむしろ受容する文化が存在したことを再認識しました。 有難うございました。

otakesan07
質問者

補足

いつの世も人間にとって死は避けられない問題ですが、時代と共に諦めきれずに忌み嫌って遠ざけて大勢に倣う傾向にあると思います。つまり、死の問題を明らかにして個々の問題として対応し、生または意味のある死に還元していくベクトルが弱いと感じています。Willam Brodrick 著「A Wispered Name」を読んでいますが、第一次大戦の西部戦線Passchendaeleの戦いにイギリス軍に参加した若いアイルランド兵を中心とした物語です。湯水のごとき戦死者を目の当たりにして、意味のある死を友とのつながり、ふるさと(Home)との繋がりのなかに求めていく姿に感動しました。苦痛をあらわに懇願しながら泥の中に徐々に沈んでいく兵士を射殺する人の気持ちとそのトラウマは計り知れないと思います。一人の死に反応した周囲の行動、習慣にも思いを巡らして行きたいと思います。

その他の回答 (1)

noname#158647
noname#158647
回答No.1

はじめまして。 平安時代の自死については全くわかりませんが、キリスト教のように埋葬されないというようなことはなかったでしょう。 というよりも日本において庶民は、近世になるまで墓や埋葬についてはどーでもよかったとしか言いようがないのです。 平安時代ではかなり上級な貴族階級でなければ打ち捨てられてお終い、というような状態でした。 庶民を埋葬することが禁止されていたこともあります。 仏教は、まだまだ支配階級のみに許された最新科学の教えでもありましたから。 ですから庶民に出家も、自死も関係なかったのです。 当時は自死よりも飢餓や病で簡単に死んでいたと思います。

otakesan07
質問者

お礼

ご返事が遅れ失礼しました。”庶民は、近世になるまで墓や埋葬についてはどーでもよかった”は目から鱗です。現在問題視されている葬式仏教、墓の問題は、浄土思想に洗脳された上級貴族の伝統の模倣とバレンタインまがいのお寺による庶民の洗脳の結果ですかね。そして現代は”最新科学”による洗脳の時代。表面的には洗脳され続けてきた庶民の姿が浮かんできますが、これからは実際の個々の死について寄り添って見ていきたいと思いました。有難うございました。

関連するQ&A

  • 「蘆屋のをとめ」とは?そして平安時代の自死について

    本居宣長「紫文要領」のなかでの浮舟評呼んでいましたら「薫のかたの哀しをしれば、匂宮の哀をしらぬ也、ゆえに思いわびたる也、かの蘆屋のをとめも、此心ばへにて、身を生田の川にしづめて、むなしうなれり・・・」とありました。この「蘆屋のをとめ」の出典がわかりません。ご存知の方がおりましたらお教え下さい。また、当時の人々は「自死」をどう考えていたのか(身分の高い人は出家する人が多いようですが)、高僧の入滅時の断食も間接的自死と思いますが仏教ではどのように教えていたのでしょうか? 欲張った質問で申し訳ありませんがよろしくお願い致します。

  • 宗教家は、自殺(自死)をどう考えているのか?

    私はカトリックの信者ですが、近年カトリックでは、自死者や遺族に対しての対応が昔と著しく変化してきています。元々、「自殺は他殺と同様、生命をないがしろにし、神を冒涜する行為である。」と言う理由で大罪と位置付け、自殺者の葬儀は受け付けず、公然と差別してきましたが、近年は、自殺に至った事情や精神状況も勘案し、「審判者」たりうるのは神のみであって、人間が自殺者を裁くのは当たらない、という考えの下、自殺者の葬儀も行い、遺族に対してもサポートの手を差し伸べています。 しかし、そのような対応の変化に拘らず、やはり根底に流れている思想は、「自殺者は救われない」というものであり、決して自殺を肯定するものではないことは言うまでもありません。 そこで改めて疑問なのは、キリスト教(カトリックとプロテスタントなど)にかかわらず、他の仏教、神道などの宗教家は、自殺(自死)をどう捉えているのかということです。 勿論、自殺(自死)を肯定している宗教は存在しないと思われますが、 1)彼らは救われないと思っているのでしょうか? 2)自殺の防止や遺族のサポートなどのため、何かなさっていることはありますか? 3)葬儀や法要は普通にやってあげていますか? 又、 4)私の前問「よくも自殺をする勇気があるなと感心しちゃいます!」 http://okwave.jp/qa/q8235185.html のやりとりを読んで、何かコメントがあればご教示ください。

  • 平安時代の貞操観念について・・・

    源氏物語のあらすじを読んでみて、平安時代の「女性の貞操観念」にふと疑問を抱きました。(ちなみに、結構ネットで調べてみましたが、明瞭な答えを得れませんでした・・。) 例えば、源氏は父の女御である藤壺と契ったり、頭の中将の元愛人の夕顔のもとに通ったり、終盤の薫と匂宮と浮舟の関係などなどに関して、なんだか凄く性に関してフリーな感覚を抱きました。 当時の貴族の女性は滅多に人前に出ないし、親は今より娘を大事にする時代のはず。いったい、当時の貞操観念はどのようになっていたのでしょうか。下記三項目が現在の疑問点です。 (イ)そもそも貞操観念はだいたいいつ頃定着し始めたのか。(貞操観念というよりは処女性や穢れという考えでしょうか。) (ロ)(当時の人々に「穢れ」という考えがあったのならば)男性は女性の貞操を気にしてなかったのか。 (ハ)もしも浮気関係が露呈してしまった場合、どうなるのか。 もしまた違う疑問点が出ましたら、補足質問するかもしれません。宜しくお願いします。

  • 日本でのキリスト教徒の埋葬のしかたは?

    日本の仏教のお墓には火葬した骨を埋めます。 海外のキリスト教の墓には火葬せずにそのまま埋葬するようです。 では、キリスト教徒が日本で亡くなった場合、日本の法律では、火葬せずにそのまま埋葬することは可能ですか? それがだめなら、どのように埋葬するのですか?

  • 貴族もランクで・・・・・

    藤原一族の摂関家はともかく枝に当たる他の一門の状況はどうだったのでしょうか?特に平安末期からの状況を教えて下さい。出来れば出家(者)に関して特に知りたいです。 例えば仮に子息の誰かが比叡山で出家した時、家柄により出世、階級が俗世界と同様に違ったとか。 あるいは親鸞は藤原一族ではあるが下級貴族の出身らしですが何故門跡寺院である青蓮院で得道出来たのか。 あるいは貴族といえども結構生活厳しかったから出家したとか出稼ぎに関東へ下ったとか。 その他色々お願いします。

  • 神主さんのお墓は何処?

    神社の神主さんのお墓って何処にあるの? 仏教の人はお寺のお墓、キリスト教の人は教会の墓地、 では、神道の人は何処に埋葬されるのですか?

  • 平安時代の古記録中の『度者を賜う(給う)』とは?

    こんにちは、いつも回答者の皆様にお世話になっております。 平安時代の漢文の古記録(『御堂関白記』『小右記』『貞信公記』など)を読んでいて、どういう事なのか意味がまったくわからないのが『賜度者(給度者)』というフレーズです。 文面から想像するに、天皇・東宮・中宮などやんごとなき辺りの御悩の際や、朝廷主催の公の法会の為などに修法・読経などを行うとその担当の僧侶に『度者を賜う(給う)』らしいのですが・・・。 『度者』=得度者で、近日中に出家した新米僧侶を朝廷のお墨付きで弟子にさせて頂く、というご褒美なのでしょうか? 自分の持っている古語辞典にも『度者』という単語は載っていないため、正式な仏教用語ではないのかもしれません。 『摂関期貴族社会の研究』・告井幸男著の<度者使考>も読みましたが、度者そのものの意味については説明してありませんでした・・・。(史学の専門家の方にとっては知っていて当然の言葉なのでしょうか?) ふとした拍子にこの単語が目に付いてしまい、どこを調べても(正確にはどこを調べたらよいか)わからないので、気になってしかたがありません。 上記の件、ご存知の方、または専門家の方、よろしければどうかご教授くださいますようお願い致します。

  • 宗教の異なるお墓

    主人の両親はキリスト教で、墓石も十字架がついています。 (お墓の中には亡くなった両親のみ) でも主人は無宗教、私は仏教で育った身です。 特に仏教に固執する訳ではないですが、十字架のついたお墓に入る気にはなれません。 主人もそのお墓に入る気はないようです。 お墓をなくす事って出来るのでしょうか? その場合、中の御骨は宗派が違っても他の墓に埋葬しなおす? やはり仏教のお墓には入れられないので散骨?自宅保管? どのような方法があるのでしょうか?

  • とても馬鹿な質問ですが【死後の世界】について。

    馬鹿な質問をしてすみません。死後の世界を実際に見た方がいないのは 重々承知ですが、こんな話を聞いたことがあるよ、といった感じで ご返答いただけると嬉しいです。 2月に4年間お付き合いしていた最愛の人が亡くなりました。 彼は神などこれっぽっちも信じていませんでしたが、 米国の人だったので、彼のお葬式やお墓はキリスト教の形式に 基づいて行われました。私も神様と言われてもピンとこない人間で、 仏教を信仰している意識がない仏教徒なんだと思います。しかし 私が死ねば仏教のお葬式、お墓に入ります。宗教の教えは恐らく それぞれ違いますよね?仏教ならば輪廻転生、キリスト教ならば 天国で暮らすということになるのでしょうか?(よくわかりません) 非常に馬鹿げた話をします。私が死んだ時にどうしても彼と 同じ場所に行きたいのです。宗教が違うと行く場所も違うのか、 彼は天国にずっといるのに私だけもう1度生まれ変わるのか、 ちゃんと彼に再会できるのか不安です。彼は今どんなところに いるんだろう。そもそも天国とか輪廻転生とかは無くて、彼の 魂なんて存在してないかもしれません。でも何か情報が欲しいのです。 もし私が仏教の形式で埋葬されたら彼に会えないとなるなら、 キリスト教になるし、彼に絶対に会える方法を選びたいのです。 すみません、本当に馬鹿な話をしていますが、「こうらしいよ」 「こういうの聞いたことあるな」といった感じでよろしくお願い します。

  • キリスト教・自殺者遺族

    まず、キリスト教において「自殺は悪である」とされているのは知っています。その根拠を教えて下さいという質問ではありません。 年間3万人を超える自殺大国・日本。この中には多分クリスチャンの方もいらっしゃると思います。悲しみにくれる遺族に、牧師さんや神父さん、あるいは同じクリスチャンの友人は、どのような慰めの言葉をかけるのでしょう。それが知りたいのです。まさか「あんたの息子(娘)は罪人だから地獄行きだよ」とまでは言わないと思うのですが。 なお、私自身知人を自殺によって亡くしており、苦しんでいます。できれば死者を冒涜するような発言は避けていただきたいと思います。 ちなみに、何故「キリスト教」についての質問なのかというと、 1)日本の他のメジャーな宗教(仏教・神道)に比べ、より明確に自殺を悪としている。 2)自分は無信仰だが、小さい頃通った日曜学校に好印象をもっている。 という理由からです。

専門家に質問してみよう