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経済 長時間労働が必要な理由について

生活保護程度の生活で良いと割り切っても長時間労働を強いられている例が多いように思います。 人類史を振り返ってみても現代ほど安価に食料が生産(トラクターやコンバイン、化学肥料や治水があるため)できる時代は無いと思います。 にもかかわらず、最低限の生活で良いと割り切っている人でもかなりの時間労働が必要に思います。 なぜでしょうか? 医衣食住を最低行えるだけの労働時間はどの程度必要なのでしょうか? また、余剰労働時間で発生した利益はどこに行っているのでしょうか? 当方経済は苦手な為、ずばりの回答でなくても良いので、参考になるお話も含めて教えて頂けると幸いです。 宜しくお願い致します。

  • 経済
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  • ベストアンサー
  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.15

> 命題につきましては、 > 「最低限と考える生活のレベルや欲望が以前とは比べものにならない程に増加し、それに技術や生産性が追いつかず、結果として労働時間が延びてしまった。」 > このようになるのでしょうかね? 概ね私の考えはその通りですが、一点だけ指摘しておきたいのは、技術や生産性が伸びればのびるほど欲望も増加する、という点です。 例えば、洗濯機がない時代には、洗濯は洗濯板で行っていました。洗濯機の登場でこの労働から解放されたわけですが、最初は脱水が出来ず、ローラーで絞る機構が付いていました。次に二槽式が登場し、洗った後に脱水側に洗濯ものを移して脱水するようになりました。この後全自動(一槽式)が登場し、移し換えずに脱水が出来るようになりました。しかし、まだ服を乾かす必要があります。すると、乾燥までやってくれる機種が登場しました。 この流れを簡単に書けば、 洗濯機の登場 → 脱水もしてほしい → 二槽式の登場 → 移し替えるのは面倒だ → 全自動の登場 → 乾燥もさせてほしい → 洗濯乾燥機 となります。最初の段階で、洗って乾燥までさせてほしい、と考えていた人はほとんどいなかったでしょう。楽をしようという要求まで欲というのはナンですが、技術の進歩が欲を発展させたわけです。 > これの命題の回答が何割くらいで、残りが何割くらいあると思われますか? 欲をどこまででとるか、で大分答えが変わると思います。例えば私は、長生きするのを欲の中に入れていますが、長生きは欲ではないと考える人もいるでしょう。 社会的にみれば、この命題が9割以上だと思います。 ただし、個々人の範囲でいえば、この割合は大分減る可能性が高いです。特に現代日本の20代から40代くらいまでであれば、高齢者の分も負担する必要があるため、その分だけこの割合は低くなります。

noi_hh
質問者

お礼

一つの命題に納得できる回答が付きとても参考になりました。 また、私が想像できなかった回答であったことも、とてもうれしく思います。 回答いただきありがとうございます。

その他の回答 (23)

回答No.13

zakky74でございます。 非常に納得のいくものであり、同時にnoi_hhさんは情報も豊富であり、尚且つ論理展開により思考を巡らせる知恵ある方だとお見受け致しました。また僕に説明不足がある事にも気付きました。それで僕がお伝えしたかったお金そのものの価値が落ちているという事は、少し違うイメージで伝わっている印象を受けました。 それ故に、再度投稿をしようと思いましたが、その前にnoi_hhさんが取り上げられているご意見を拝借しながら、お金そのものの価値の低下について改めて触れてみようと思います。 宜しくお願いします。 今の経済の知識だけを見ていては本質は見えません。それ故に、貨幣の無かった時代を取り入れながら経済の本質を明らかにした上で、もう一度貨幣を見つめなおすというのが狙いでございます。 取引の基本はどこにあるのでしょうか?取引の基本は物々交換の時代からずっと ・双方の認定 ・問題解決や喜び感動を得る でございます。双方だけではなく、多角的な方向となる市場においてはそこに参加する全ての人間の認定がそこに入る事です。重要な事は、「全ての人間の」でございます。 ただ、全員が全員の認定を取り付けるには全員が集まらないといけないので、信用により委任という形で任せたり、その規模が更に大きくなると代表制にして・・・と形態が変異してきます。 ですが、この形態が変異し過ぎて「全ての人間の」認定が無視されている状況が起きているとすれば、程度の如何ではなく大きな問題だと思いませんか? 質問者さまのお考えは非常によく理解できました。確かに、ジンバブエやEUなどの例を引き合いにされる事はよく理解出来ますし、その通り!と僕も頷くところですよ。 ところが僕の考えの出発は、こことは少し違います。 > 確かに、信用創造によりお金は増えています。ただ、これには裏付け(無い場合は人々の盲信かも)がありその上に成り立っているように思っております。 「信用創造により・・・」と仰られるところですが、ここでいう信用の主体とは一体誰の事を指し示すのでしょうか?ジンバブエで言いますと大統領と何人かの側近の事でしょうか?EUですと何かしらの委員会か何かで取り決めが行われた人数分となりますでしょうか? ですが僕は、そのどちらも違うと思っております。 信用の主体、即ち信用を置く人間とは取引に参加する「全ての人間」なのではないでしょうか?ジンバブエの大統領やEUの何かしらの委員会といった人たちは、その逆となる信用の対象なのではないでしょうか? 質問者さまが仰られたジンバブエが安定せず、EUが安定している(っぽく見える)のは、信用を計る際に、その量がジンバブエは圧倒的に少なく、EUはそれに比べて圧倒的に多いという相対比較によって、安定・不安定を判定されたのだと思います。 ですが僕がお伝えしたいのは、ジンバブエ・EUなどの相対比較によっての信用の量よりも、重要な事は取引に参加する「全ての人間の」認定がそこに入っているかどうかという絶対比較なのではないでしょうか?という事です。その絶対比較から来る観点から観たら、どちらも同じ不安定です。 ジンバブエやEU諸国の国籍を持つ市民たちは勿論、僕や質問者さまの認定がかき消される事は取引の基本を裏切ります。認定は、何よりも大前提でございます。 つまり、どちらも取引の基本からは外れており、どちらも真の信用創造による紙幣印刷とはなっていないという点を指摘しておきたいのです。 政治権力や支配権力を持った僅かの人間だけの取り決めによって、貨幣が決定されています。その時点で、取引に参加している「全ての人間の」認定が省かれています。 認定が掻き消えている分だけ、取引全体の信用が大きく崩れ、その分だけ取引全体の能力に疑問が付きます。それ即ち貨幣そのものの価値に疑問が付きます。先刻お伝えした流れ、物々交換→金貨→紙幣の様に変異する度にその傾向が段々と強くなっております。 物価が考えの出発となりえそうな気がしますが、物価さえも生み出す認定を考えの出発とするならば、如何に物価そのものが危うく変化するものであるかがお分かりかと思います。 つまり1万円札と金を交換できるから価値が同じであるという観点も揺らぐ事がお分かりでしょうか? 認定が掻き消えている事に加えまして、貨幣そのものも物が持っている∞の価値から、金貨も持つ有限の価値に代わり、気付いたら紙切れになっている。何とも不可思議なマジックです。 以上、お金の価値が下がるのではなくお金そのものの価値が下がっている事を「認定」の観点からお伝えしましたが文字数の制限がなければ「問題解決や喜び感動」の観点からも書きたかったです。

noi_hh
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 何度か読み返してみたのですが、残念ながら少々理科が難しく、勘違いで返信しているかもしれないことあらかじめご了承下さい。 >物価さえも生み出す認定を考えの出発とするならば、 >如何に物価そのものが危うく変化するものであるかがお分かりかと思います。 残念ながら、認定の意味がいまいち理解できませんでしたが、ヤフオクや株式相場、為替相場のように変動するという意味でしょうか? まさに、これこそが、物価ではないでしょうか?地球中から多くの人が参加して、高い、安いと言いながら、今の価格が決まる訳ですので、かなり信用できる指標かと思います。 当然、もちろん、裏付けもなしに、通貨を連発すれば価値は失います。(ハイパーインフレ) 特に、ドル・ユーロ・円については、変動はありますが平時が長く平時には安定していますので、物価という尺度は、今も昔も変わらず機能していると思います。仮に、金貨と通貨に大きな差を多くの人が認めれば平衡を保つ方向にお金が移動すると思います。それこそが、物価という考え方かと思います。 つまり、通貨が将来その価値を失い、金(ゴールド)を買えなくなるリスクすら織り込んでいる価値という意味です。 また、金貨についても、将来、金元素を安価に製造可能や大量に採掘できる所が見つかれば、単純労働者の賃金程度には下落すると思いますので、この場合も物価を考えるには、通貨の方がやりやすいかもしれません。 ご存じかもしれませんが、ご指摘のような不安さはぬぐいきれませんので、資産運用では性質の異なる、資産を分散して保有する考え方はあります。詳しくは、資産三分法やポートフォリオなど有名かもしれません。

  • nasi000
  • ベストアンサー率19% (100/514)
回答No.12

デフレで社会から職が減っている、デフレでリストラなどによる消耗戦があちこちで起こっている、経営者が高度経済成長期の根性論、精神論を是にしている。こんな事の悪循環で、本来の儲けにほとんど繋がらないが精神論としての仕事は多く行われており、同時にそれを行わない人がリストラの対象になっている といった状況です。 例えば、お金をかけて人を雇っているからといって、必要もない掃除をさせている経営者とか、必要もないのに会議を行わせたり、必要もないのに根性セミナーを行わせたり、必要のない仕事をさせサービス残業を増やす経営となっている会社が相当数ある。 例えばタクシー運転手、少ない客を多くのタクシー運転手が取り合っている状況。更には規制緩和でタクシーが増え、更なる消耗戦に突入。そんな現場では根性の長時間労働を行った人が多くの客を取る事となる。日本にだけ異常に多い過労死の原因がここにあり、それに頼る経営者が多すぎるうえ、そのような悪循環は「悪貨は良貨を駆逐する」という状態をつくりだしてしまっている。

  • Nouble
  • ベストアンサー率18% (330/1783)
回答No.11

私は自身に学がないと思う方なので 5手以上先を読むべき内の 2手位しか読めていないと思いますので ほんの触り、つまりヒント程度しか答えられていないと思いますが、 私が数秒だけ考えて出した 特に最近のみに範囲を限定した答えは 結論から先に言うと 「経営者の知識レベルが下がって馬鹿になって 賃金を下げても社員が逃げない!と、変に悟った」 というものです。 経営陣のお知り合いが多いとのことで、 私が言うまでもなく そういう方々がどういう基準で 賃金を決めているかを よくご存じだと思いますが、 敢えていうと、 「全社員の内の有能な社員を逃したくない恐怖」 タイプと 「社会貢献欲に駆られる」タイプ それ以外 という基準に分かれると思います。 これらはすっぱり別れるものではなく それぞれは個々個人の意志決定の中でその時々において そのウエイトを変化させて常に重合して存在しているものと思います。 この上記意志決定の内の恐怖の部分が リーマンショック以降の経済的機器を背景にした賃下げを期に 「あ!こんな低賃金にしても働いてくれるんだ!!」 「これじゃあもしかしたら【景気が悪い景気が悪い】と言ってさえおけば 例え儲かっていても、更に低賃金でも働いてくれるのじゃないか?」 という考えから この恐怖の部分が薄らいだ このことに起因する部分がぬぐえない と、考えるのです。 人件費を削減しその分を資本家に配分して 自己に友好的な資本家を集めれば 短期的には経営は安定し ひいては経営陣自身の身も安定します。 しかし無論 幸之助氏が行った通り、 「社員も消費者の一部」です 消費者に十分な資金が回らなければ 消費が行き詰まり引いては会社も儲からなくなります。 それが1国の国内だけの問題なら 海外に販路を求めれば事は済みますが、 世界的に起こればそうも言ってられません。 当たり前の話ですが企業と消費者は繋がっており運命共同体なので 上記の考えは ただの臆病者で愚か者である”ゲス”の保身でしかない と解りますが、 この事すら解らない程に経営陣の能力が下がってしまった。 とまでしか 私のレベルでは手数を読めず そうとしか思えず、 この先が読めないので、私は私自身に学がないと感じます。 まあ経営陣をそうまでして保身に走らせる周辺環境があるからこそであり、 また そういった保身をする“ゲス”が生き残る環境があるからこその 現状だと思いますけどね。 無論、 過去に勝○氏が述べた通り 富のの再配分は必要で それを実現するには 富の集約が必要になることは 正しいと思います。 なぜなら 略取と富の集約は より多くの税という形の社会資本を集める可能性を孕み、 それは即ち、 その資金を必要とする「絶対最小不幸社会」を支えます しかし本当の幸せというものは 「自立できてこそ、自立できていると誇りを持ててこそ」だと思います。 それは 「お恵みを頂いて最低限の生活を”おくらせて頂いている”」状態とは真逆です。 とはいうものの 私自身「絶対最小不幸社会」という考えは むしろ肯定的です、 それは 経済活動上 常に離職者の存在があるからこそ その上に企業の雇用調整が成り立ち その上にこそ会社経営が成り立っている、 だからこそ就業者が存在しうる と知っていりからであり 結果的に、 富の再配分・絶対最小不幸社会の実現は 社会機構を支え新陳代謝を促す上で絶対に必要だ と思えるからです。 だからといって 10時間週に5日働いても一家を支えられない程の 今の賃金体系は 富の集約が起こりすぎた状態だと思いますし、 ひいては 先に説明した通り 企業は自らの首を絞めていると思いますし、 そんな馬鹿な経営陣のサイドに付く資本家も リスクを深めていると思いますよ。

noname#122463
noname#122463
回答No.10

企業は、労働基準法に基づいて、就業規則を作成し勤務時間を決定します。 そうすると、だいたい7時間30分~8時間くらいになります。 医衣食住を最低行えるだけの労働時間はどの程度必要なのでしょうか? >>1日8時間です。 また、余剰労働時間で発生した利益はどこに行っているのでしょうか? >>知りません。 だいたいが、時間給ではありません。月給制です。 給料の昇給により、高収入を維持していますが、限界ですね。 実際、円高で、国内生産できません。

  • dai1000
  • ベストアンサー率24% (170/699)
回答No.9

100万の総人口のうち生産年齢人口は50万の社会。 100万の総人口のうち生産年齢人口は100万の社会。 二つは、技術水準なども他のすべてがいっしょで、完全雇用だったとします。どっちが、生産年齢にあたる人は働く時間が長くなると思いますか? 働かない人たちが多い社会の方が、生産年齢にあたる人たちの労働時間を長くしないと、生活水準を同じにできないと思います。 定年を迎えた老人が多い社会では、生活水準を同じにするには、生産年齢に当たる人たちの労働時間が長くなるのは当然だと思います。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.8

> 人類史を振り返ってみても現代ほど安価に食料が生産(トラクターやコンバイン、化学肥料や治水があるため)できる時代は無いと思います。 まずこれが、なんというか、間違いの元です。 まず、人間が生きる最低限度の食料を得るためだけに費やされる時間は、おそらく現代は長い部類に入ります。おそらく縄文時代から弥生時代くらいの方が短かったんじゃないかな? 理由は簡単です。現代は人間が多すぎて、食料を生産するために多大なコストをかけなければならないからです。かつては、生産のためのコストはほとんど必要とせず、そのあたりに生えている木の実や、そのあたりにいる鳥獣魚類を獲ることだけでも充分な食料を得ることが出来ていました。 さて。 最低限の生活、というものを考えた際、現代では食料だけではなく、様々なものが必要となります。衣食住+医を質問者氏が挙げている通りです。 現代では、これら食料以外のものを得るためにも生産活動が必要となります。例えば衣服は、石油から化学繊維をつくり、布にし、衣服として仕立てます。家も、ただ建ててそのまま、という訳ではなく、水道光熱費から壁等の補修費までかかります。縄文時代から弥生時代であれば、衣は狩猟の副産物である毛皮であり、住は家賃がゼロ(みんなで建てて補修)という暮らしでした。 医療も、現代では様々なもの、例えば投薬治療から手術を伴う治療方法まで様々ありますが、縄文時代から弥生時代までは、精々薬草を当てるか、祈るか程度のものです。 > また、余剰労働時間で発生した利益はどこに行っているのでしょうか? 上記で見ていったように、「余剰労働時間」なるもの自体がほとんど存在していません。食料の生産以上に使用されている労働の大部分は、食料以外に必要な何かを生産するために使用されています。 確かに、生活に必要以上の物を浪費し続けることを許すだけの余剰労働は存在しますが、大抵の社会では、控え目に言ってもその規模はごくごくわずかです。 稀に、戦争や大災害に対する復興や宗教的大建築の建築等の大きな浪費が存在します。 因みに、縄文時代から弥生時代は、生活に必要な労働時間は精々1日3時間程度、と言われています。 現代であれば、1日8時間程度ですかね?

noi_hh
質問者

補足

回答いただきありがとうございます。 新鮮な切り口での回答いただきありがとうございます。 >因みに、縄文時代から弥生時代は、生活に必要な労働時間は >精々1日3時間程度、と言われています。 確かに、弥生よりも前の、縄文時代などでは戦争が発生するほどの人口すらおらず、また、生活の質も胃袋の大きさと死は必然と思える程度の欲しかなく労働時間は短時間で済んでいたのかもしれませんね。 ただ、それでも、住居を作ったり、広大な土地に植物があり、それを集めて(簡易な)調理をしたりと、1日3時間の労働というのは想像ができません。例えば、最低限の生活に、猿やチンパンジー、熊など野生動物を想像しますと、1日3時間程度では成り立ちそうにありませんし、現代に同じような環境を想像することが難しいです・・・現代であれば、廃棄物漁りだけしていても、縄文時代くらいのレベル(生きるだけ)であれば生活が成り立ちそうな気もします。海が近くにあれば、高性能な糸と釣り針、更には網や養殖技術がありますので、技術の進歩を考えた場合、1日3時間以下でもやっていけそうな気もします。 例えば、2日労働で1万円を確保。あとは、1ヶ月1万円の自炊生活でも縄文時代のカロリーは十分に摂取できる気がしてきますね。 しかし、それでも、2日くらいは労働が必要に思います。技術の進歩はまだこの程度なのでしょうかね? ところで、縄文時代ではなく、大正~昭和にかけての農家であれば、いかがでしょうかね? 人口も比較的増え生産性はまずまず。 現代は、人口は多いですが、生産性は相当な物です。 しかし、その頃と比べて、生活が楽にはなったと聞きますが、格段に楽(程度ですので、もしかすると、想像以上に楽でもそう体感していないだけかもしれません)になったとは聞きません。 以上をまとめますと、最低限と考える生活のレベルや欲望が以前とは比べものにならない程に増加し、 技術や生産性が追いつかず、結果として労働時間が延びてしまった。 このようになるのでしょうかね? 数字が欲しいところですが、数値化も難しく、なんとなく、納得がいくような、納得がいかないような気持ちです。 特に、技術が格段に向上(例えばトランジスタの数や産業革命以降のオートメーション化)していますので、それを遙かに上回るほどの欲望の中に人々はいるのか・・・?

  • dai1000
  • ベストアンサー率24% (170/699)
回答No.7

>しかし、現代は、1日ほどコンビニでお金を稼いで、それで肥料を買えば、同等の仕事をしたことになります。 お金で測定することは今の命題では関係ないですよね。 今の話は時間です。 肥料を消費者に届けるまでにかかった人のすべての人の総労働時間と、一人で肥料を用意するまでの時間との比較ですよね。 >以前から、社会福祉や教育はあったわけですので、これらだけで説明にするには、まだまだ、役不足なのではないかと思っています。 では、役不足になるという根拠はなんですか?

noi_hh
質問者

補足

回答いただきありがとうございます。 仕事時間と言うよりも、正確には、仕事量と言った方が適切でした。お詫びして訂正いたします。 と申しますのも、例えば、単純労働のアルバイターが1時間働く場合と、アルバイターを上手に働かせる仕事を1時間で作る人がいた場合、同じでは成り立ちませんので。 また、総労働時間ではなく、総労働量=総合計金額として頂いた方が、今の命題にマッチいたします。 >では、役不足になるという根拠はなんですか? こちらに付いては直感です。 現代の技術は指数級数的に進歩していますが、老人の数や質までもが、それ以上に増加しているとは思えないためです。

回答No.6

60円や600円という形で、昔と今とを比較されている話は確かに納得がいきます。そうですよね、本当。 ただ、質問者さまが取り上げられている60円や600円というのは物価でございますよね?そして僕が申しているのは、お金そのものの価値が低くなっているという事です。 そして、そのお金そのものの価値が低くなっている点について、説明が足りなかったなぁと思いまして、ここに付け加え致します。まず再確認しておきますが、明確にお金そのものの価値は毎日という勢いで低下しております。 大雑把には、24.4倍にも膨らむ膨大なお金の量から見て取れます。 経済で正常な状態はどういう事かといいますと、商品の量に対するお金の量が約1.0倍である事ですよね?商品の価格に見合った分だけのお金の量がある時に正常でございましょう。 それが今は、お金の量が膨大に多くなって何と24.4倍もの量にまで膨れ上がっていると言うんです。まったくもって異常な状態でございます。お金が世界中に溢れすぎてしまっているこの状況を見て、お金の価値が下がっていると言っています。 次にお金そのものの変異について触れる事で、お金の価値が下がっている事を見てみます。 昔、お金がなかった時代がありましたよね? お金がなかった時代は、モノとモノをそのまま交換しておりました。なぜ交換するかと言いますと、それが欲しくて仕方がないからです。それがあると、何かしらの問題を解決してくれます。問題の解消に繋がったり、感動や喜びに繋がったりと、とにかく幸せに向けて一歩でも進む事が出来るので、そのモノを欲しいと思います。 モノとモノが交換される時に、双方が納得する事が必要ですよね?そして、双方が同時に問題が解消されたり幸せに一歩近づいたりする事が必要ですよね?お互いに、そうした必要性と幸せ感を得れるという事を認定するときに交換は成立します。 この時の満足度はどちらにとっても非常に高いです。 ですが、モノの中でも一方は腐ったり一方は腐らなかったり、他にも色んな現実的課題からモノとモノをそのまま交換するよりも、腐らなくて価値を見積もる事が出来るならば、直接的な交換をするよりもその代替物を通して交換すればいいじゃないか?という事に気づき、そうして開発されたのが貨幣です。双方に、あるいは社会の枠組みの中でそういう認定があるならば問題はありません。 金・銀・銅などの様に金属そのものに価値をもたせて金貨・銀貨・銅貨などの様にしたんですね。そして、貨幣1枚とどれくらいの交換度があるのか?という認定(取り決め)によって交換がなされます。 金・銀・銅などは金属そのものに価値がありましたから、例えば金貨一枚そのものも値があると思いませんか?銀貨一枚もそうですし、銅貨一枚もそうです。 やがて、貨幣が紙幣へと変わる時代へと突入します。 そうすると紙幣一枚は材料が紙でございます。一枚の紙切れが燃えたところで20円くらいの損失です。一万円と書いてありましても20円くらいです。マジックとはこの事です。金貨一枚が無くなった事とはまるで次元が違いますね。 そして、金貨はポンポン生み増やすことはできませんが、紙幣はどうですか?ほぼ無限に生み増やすことが可能となりましたね?実質は∞の蓄積ができる様になっているのが少し前から今に至る紙幣というお金の性質です。 そして、今はどういう時代でしょうか? モノが商品であった時代から、紙切れが商品になる時代にまでなっており、紙切れに価値が付き、紙切れに膨大なお金が付く様になっています。小切手などもそうですね。わかりやすいのは金融商品、金融派生商品です。これらには膨大なお金がバーチャルに加算されていきます。 そんな中、無尽蔵に紙幣を生み増やす政策を連発出来てしまう時代です。 地球の裏側にあった商品を、この日本で手に入れる事の出来る大切な交換券として価値あるものだ・・・という認識をしている日本人はいったい何人いるでしょうか?その紙切れ一枚に、とてもとても感謝をしながら手に入れる時も手から離れる時も感謝感動が起きている日本人は僕たちの周りに何人いるでしょうか? お金そのものの価値が著しく低下していくという事の説明をしているつもりですが如何でしょうか?

noi_hh
質問者

補足

とても、丁寧な回答いただきありがとうございます。 >お金そのものの価値が著しく低下していくという事の説明をしているつもりですが如何でしょうか? 確かに、信用創造によりお金は増えています。ただ、これには裏付け(無い場合は人々の盲信かも)がありその上に成り立っているように思っております。 例えば、誰もが納得できる、裏付けを用意できず印刷してしまうと、ジンバブエドルのように価値が無くなってしまいます。しかし、今の先進国の通貨(ドル・ユーロ・円)は不安定ではありますが、信用創造によって無制限に生み出される量と比べると、非常に安定しているように見受けられます。 確かに、以前のように、一見、金や銀の物々交換の裏付けが無いように見えますが、今も昔も、物価に照らし合わせれば、同様の仕事量で同様の金地金や銀地金が手に入れられると思いますので、物価の解釈は正しいのではないかと思っております。 確かに、政府は金への交換は止めてしまいましたが、ヤフオクから街中の貴金属商、更には取引所で買うこともでき、いずれにしても、金兌換時代と変わらず同量の金を手に入れることができると思います。 また、今も、昔も、例えば、1万円くらいの価値のある仕事を双方がしない限り、1万円の交換(売買)は成立しません。無条件に5000円で譲って欲しいとなると不成立に成ります。やはり、以前同様、お金には価値がある様に思います。 これらの例から、仕事量が円(信用創造による通貨)に置き換わってはいますが、物価を考慮した場合、通貨価値と仕事量には以前同様等価だと思うのですがいかがでしょうかね? ただし、現代は、あまりに間接的、事務的になりすぎており、以前ほど交換(売買)に新鮮みが無く感動は薄れてはいると思います。身近な例ですと、地球の裏側の商品でも近所の本屋で売ってる本でも、ネットショップでクリックするだけで玄関まで届けて貰えます。胡椒を探して世界を航海していた時代などと比べると、どうしても感動は減っているとは思います。

  • dai1000
  • ベストアンサー率24% (170/699)
回答No.5

>化学肥料の代わりに、遙かに時間の掛かる、方法で集めていました。 化学肥料を作って消費地にまで届けるには、それに関わるインフラ設備の保守点検が必要になりますよ。一度作ってしまえば終わりではないんです。 高速道路・電力設備・資材の生産設備・鉱山など産業の総合力で成り立っています。 それは超大な労働コストの上に成り立っているものです。そしてそれは、化学肥料だけではないのですよ。生活水準が上がったためにあらなた産業が起きたはずです。 >また、社会福祉についてですが、現在過保護と言えば、過保護ではありますが、昔も、その時代にあった福祉はあったわけですし、これが圧迫の理由には成りにくいのではないかと思っています。 そもそも、昔は老人というものの数がすくなかったのですから、当然、以前とは比べものにならないくらいの負担になってると思います。寿命が伸びたことは負担も増えるということですよ。しかも、その老人たちの生活水準は以前より遥かに良くなっているわけです。 それを支えるのには生産年齢人口にある人たちが労働時間を増やすしかないと思います。また、子供の教育期間も徐々に長くなっているわけですから、長時間になるのは当たり前だと思います。

noi_hh
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 >化学肥料の代わりに、遙かに時間の掛かる、方法で集めていました。 インフラやその維持などを含めた全ての、総合的な価格が、店頭で売られている肥料代金だと思います。 つまり、同じ肥料を独力で用意する場合、1ヶ月間行く必要があるとします。 しかし、現代は、1日ほどコンビニでお金を稼いで、それで肥料を買えば、同等の仕事をしたことになります。 つまり、昔と比べて、労働時間が1/30に成ったわけです。 しかし、昔と比べて労働時間が大幅に減ったとは思えません。 話を非常に単純にしていますが、差し引き、29/30の労働時間はどこに使われているのか気になっています。 >社会福祉・教育・生産人口減など 比率の増加は多分にあると思いますが、以前から、社会福祉や教育はあったわけですので、これらだけで説明にするには、まだまだ、役不足なのではないかと思っています。

回答No.4

仰る通りです。ホント不思議な事ですよね。 農業革命・産業革命・IT革命と起きるに連れて、全ての時間・空間のキョリは短縮されております。これらの革命が起きる前でしたら、地球の裏側の情報を知るまでに一体どれだけの時間を空間移動を要する事でしょうか?そこに掛かる労力と比較すれば、今の時代は圧倒的に時間・空間のキョリが短縮されており、全てを手にする事、全てが為される事は圧倒的に僅かな時間で済む筈でございます。 なのに、この労働時間は何? ごもっともな疑問ではなかろうか?と思います。 理由の一つには、今の時代は特にそうですがお金によって全てが計られている事がありますよね?何をするにもお金です。商品一つひとつはもちろん、多様なサービスにもお金が掛かります。人間、何かをしようと思えばお金が無ければさせてもらえないという文明にまで仕上がってきました。 そして、仕事の量もお金です。 さて、お金の価値ですが、農業革命・産業革命・IT革命が起きるに連れて、そして今も尚、更に加速しているのですが、益々落ちているという事をご存知でしょうか?お金の価値は凄まじい勢いで毎日おちて生きます。お金らしいお金の機能も、日に日に衰えています。 僕たちが目にする100円は、昔の100円ほどの価値がございません。 そうイメージしてみれば理解・納得が出来るのではないでしょうか?今は世界中でお金の価値が激しく落ちている様な状態です。ですから、必要最小限の事でいいんだと思ってはいましても、お金の価値が随分と下がっているので、必要最小限の事をやるにしましても相当にお金を稼がねばなりません。 労働時間が多くなるのはそうした背景があるからです。 経営をしようと思えば、21世紀これからの企業経営とは一体何なのか?について学ばねばなりません。ただ経営したいから会社を経営するというレベルでは、今も下がり続けるお金の価値とうまく付き合っていく事は出来ないばかりか、本当に時代に必要な商品を提供する事は無理です。 お金の価値が下がっている事を解決する一番の近道は、価値の高い商品・技術・産業をポンポン生み増やす事です。それが無い限りは、今までの古い低付加価値サービスのみが市場に溢れ、消費意欲がないのに無理矢理商品を生産するという異常な供給過剰に陥ります。 社長さんたちが多いのでしたら、次の質問をなさってください。 あなたの会社の商品は、今の時代なくてはならない商品ですか?これからもなくてはならない商品ですか?他のどの商品がなくなっても、あなたの商品だけは無くなったら困るという商品ですか? その問いに対してYesと返ってくるのでしたら企業価値は素晴らしいものです。従業員の方も幸せです。仕事をすればする程、その方たちは幸せになり笑顔がこぼれ、周りの人たちから憧れられて、益々発展する事でしょう。 もしその問いに対してNoと返ってくるのでしたら企業価値はありませんから本来でしたら徹底するべき事業です。そうした事業が多いから、お金の価値が益々下がり、働いても働いても幸せになれず、望外な時間を働かねば満足に食べていけない人たちが増えるんですね。 以上、お金の価値という観点からのお応えにさせて頂きました。

noi_hh
質問者

補足

非常に長文の回答頂きありがとうございます。 >お金らしいお金の機能も、日に日に衰えています。 ちょっとこの点がよく分かりません。もう少し分かり易く説明して頂けると幸いです。 私が考えるに、近年はデフレのためお金の価値は上がっているように思います。また、長期ではインフレの為、定期預金を比較すると大した差は無く、一般にインフレ率に応じて給料はアップしますのでこれは論点がずれているのではないかと思います。 例えば、昔ざるそばが60円であれば、今は600円ですが、その60円を定期預金などしていれば、今は600円程度になっているという意味です。また、理論値となりますが、その頃の単純労働者の時給は60円程度となり、現在の600円と大差がないのではと推測します。 >企業価値 「企」業と言うくらいですから、おそらく、どの会社も頑張ってYesというでしょうが、実際は非常な競争の中にありますので、そのYesがNoに変わるのは明日かもしれず、決して安泰ではないでしょう。ま、水道局の様な会社もありはしますが・・・。 また、その方法が非常に優秀であれば、ある程度時間が経てばすぐに同じようなことをする企業がすぐにでてきますので結局はパイの奪い合いになり、一般労働者程度の収益しか生まれていないように思います。

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    労働の必要性について お金持ちは、既に労働が必須条件ではありません。 中国人やロボットに仕事をさせて日本人は甘い汁を啜っています。 生活保護はベーシックインカムといってもいいほど貰えます。 労働者だって、本当に必要とされてるサービスや生産に従事できてる人はごく一部で、ほとんどの人は余剰な生産を行っています。詐欺まがいな職に就く人もいます。 労働を絶対的な価値観とすること自体、やや盲目的な気がしませんか? ニートの言う「働いたら負け」はとても深い意味があると思うのです。

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    剰余労働の創出について(マルクス経済学) お世話になります。 労働者階級の総労働時間をT(時間)、賃金率をw(円)、生活物資ベクトルをB、価格ベクトルをPとおくと、 価格についての等式 Tw=BPが成り立つ。 T=B(P/w)で、P/wを支配労働量と言う。(労働量=労働時間と定義している) いま、投下労働量(商品1単位の生産に直接間接必要な労働量ベクトルをtとして)、t<(P/w)と仮定すれば、 T>Btとなり、M=T-Btとおく。 純生産物はT(時間)に対応し、労働者の取得するのは、Btであるから、この差のMこそ剰余労働時間であり、 Btは必要労働時間とよぶ。また、T=M+Btより、 総労働時間T=必要労働時間+剰余労働時間となる。 以上を大学の講義でやったのですが、 なぜ、t<P/w(すなわちT>Bt)となるのかがわかりません。 つまり、Tw=BPについて、左辺は労働者のもらう全賃金であり、右は、総需要価格・総供給価格ですから、 用はGDPの3面等価が成り立つわけですよね。 ならば、T=Btすなわち、その個々の物資を作る時間を足したものが、総労働時間になるはずですよね?? なぜ、余剰がでるのかわかりません。 どなたかわかりやすくご教授いただけると幸いです。 よろしくお願いします。

  • 適切な労働時間

    現在では24時間の内の1/3である8時間が適切な労働時間であると定められています。 私はこの1/3という見方はとても良いと思います。 仕事だけが人生ではないですから、これがもし1/2の12時間労働になってしまうと なんのために生きているのか疑問が出てくることでしょう。 しかし、この8時間というのは長すぎるとも思います。 というのも、健康的な睡眠時間を8時間としたとき、24時間の内の8時間の睡眠時間は 我々の意識は存在しないからです。 つまり、我々が持っている時間は24時間ではなく、実質的には16時間なのです。 そのため8時間労働ですと、一日に持てる時間の内の最低でも約半分を労働に費やしていることになります。 これではまるで仕事のために生きているような生活です。 一日の内の1/3が仕事に費やす時間として適切であるなら、我々が一日の内に持てる16時間を 分母に据えて算出される、5時間20分が適切な労働時間であると思うのです。 皆さんはどう考えますか? 回答よろしくお願いします。

  • 契約社員の労働時間について

    現在契約者として働いているのですが、労働時間が少なすぎて困っております。 契約内容 ・時給:1000円 ・基本勤務時間:一日8時間 ・労働時間:一ヶ月で約180時間(口頭で) 上記のハズなのですが、入社して10ヶ月経つ現在でも1月の労働時間は 140~150時間程度です。 法律的に契約社員の最低労働時間は定まっていないのでしょうか? 現状では「使い勝手のよいアルバイト」程度の扱いをされており、労働時間帯も不定なので生活に困っております。 近い内に労働時間の延長を交渉したいのですが、何か良い交渉材料はないものなのでしょうか? ご助言をお願い致します。 ちなみにこの会社は正社員昇格制度ありを謳っておきながら、その約束を土壇場で反故しました。 口頭約束だったのでどうにもできませんが・・・。

  • 日雇い労働者の給与計算及び時間外労働について

    労務管理や法律に詳しい方のご意見を伺いたく、質問させていただきます。 現在、直接雇用の「日雇い労働者扱い」として、同じ職場で週4日程度働いています。 給料は時給計算で週払いです。 朝、事務所に集合し、着替え・仕事の説明後、現場へ移動します。 時給は現場での作業時間しか発生しません。タイムカードは着替え後に打刻し、それから現場までの移動時間には、「移動手当」と称して300円/時間が支払われるのみです(時給に上乗せされるのではありません)。 また時々、8時間を超える現場での労働もあります。 そこで疑問なのですが、 1.着替えの時間、移動時間も、指揮命令下に置かれて拘束されているわけですから、 労基法上の「労働時間」に該当すると思うのですが、いかがでしょうか。 2.1.で該当する場合、500円では最低賃金を下回っているので、最低賃金法違反ではないでしょうか。 また仮に、最低賃金以上でも、現場での労働時間以外の時間帯に、別の(安い)時給を設定すること自体は適法なのでしょうか。 3.日雇い労働者は労使協定を結べないのに、法定労働時間を超えて労働させることはできるのでしょうか。 (なお、日々労使協定を結ぶとか、労基署に届けるというのは現実的ではないので考慮しません。) 過去の質問をさらってみましたが、これというものが見つかりません。 どうぞよろしくお願いします。

  • 日本における週35時間労働の実現 (労働時短)

    日本における週35時間労働の実現 今の日本人は生きる上で、働くことが正義と言う考えを持っており、 結果長時間労働の末、人々は疲れきり、3万人以上の自殺者を出しています。 そこで、私は人は何のために生きているのかと言う根本的なところを重んじ、 人々は幸福を感じるために生きているのであり、あくまで『 幸福で豊かな生活を実現するための手段としての労働 』を考えるようになりました。 フランスの35時間労働はフランスのみでやったからうまく行かなかっただけであり、国際レベル、最低でもEUとして経済圏単位で取り組めばもっとうまく行ったはずです。 世界がより穏やかで幸福に包まれた社会を作るためには、日本も含め週35時間労働などの労働時短を行わなければならないと思います。 ただ苦労するだけではなく、ただ稼ぐことだけではなく、人としてたった一度の人生を幸福に生きる者が正義の世界を作ればもはや長時間労働だけではなく、戦争だって、宗教対立だってばかばかしくなると思います。 そんな世界を実現していくにはどうすれば良いでしょうか。

  • 衣食住は人が最低限必要な生命維持、では子育ては何?

    衣食住は人が生活していく上で最低限必要な生命を維持するためのものとのことですが、では子供を作り育てることとは何ですか? 遊び ですか?

  • 農業 乗用トラクター 購入。

    田んぼは所有していますが、当方宅には【コンバイン】、【トラクター】という類のモノは有りません。以前は親戚等と農作業を共同でやっていましたが、今はもう有りません。他の方に依頼をし、田植えと刈り取り、精米はやって頂いているようです。ですので、当方自体に【トラクター】、【コンバイン】と言うモノが、【何に】、【何時】、【どの機械がどれ?】等をさっぱり知りません。何とか解かろうとするのですが、トラクターとは【耕す】ものの他に、牽引して後ろに装着した機械で用途が変えられ、コンバインは稲を刈り取るモノと言う認識です。最低でも2台は必要なのか?、やり方次第で1台あれば十分なのか?を教えて下さい。また、自動車の整備士ではあるのですが、ホントに素人同然でして、転回?やロータリー式?等(ロータリーエンジンは解かりますし、引っ張る機械はPTOで動くというのも解かるのですが)専門用語もさっぱりです。まだまだ難問は山のように有り、山のように出て来る事と思いますが、こんな人間がヤフーオークションに出しておられるような中古のトラクターを購入して使用するなど、夢のまた夢でしょうか?【なんとかなる】との楽観的希望だけの、ヤル気はあるのですが。

  • 農業は大変と言うけれど本当のところはどうなんですか

    就農に興味をもっている人間の素朴な疑問です。 一般に、農業は大変だとか、農業では食べていけないとよく言われ、実際農家の方でも離農する人も多いようです。 しかし、農家の方はほとんどが持ち家だと思いますし、食糧は自分たちが作るプロですし、農作業にはスーツは要らず、上下980円のジャージで十分でしょうし、田舎に住むなら見栄を張ってブランド物などを身につける必要もないと思います。 つまり、最低限生活するのに必要な衣食住にほとんどお金がかからないと思うのです。 ですから、子供を大学に行かせたり、何百万円もする農機具を買ったりするなら別でしょうが、そうでなければ、月々ほんの数万円もあればじゅうぶん生活できるのではないでしょうか。 自給自足程度に作物を作って、あまったものを売るようにすれば、大金はたいて機械や肥料や苗などを買わなくても、また、きつい長時間労働をしなくても、のんびりと生活できるのではないかとおもうのですが、それは農家の実情を知らない人間の甘い考えでしょうか。 農家の方、あるいはその実情を知っている方、こんな私の素朴(無知?)な疑問にどうかお答えください。 よろしくお願いします。

  • 塾アルバイトの時間外労働の賃金請求について

    塾アルバイトの時間外労働の賃金請求について 今日、塾のアルバイトの面接を受けてきたのですが、 「サービス業でもあるから、カリキュラムや報告書を時間外労働として書いてもらいますけどいいですか?効率のいいアルバイトではありませんよ?」 と言われ、同意してしまいました。 後に友達に聞いてみると、塾の時間外労働はとても多く長くて、賃金が支払われないのでひどい時はトータル換算して時給500円程度になると言われ、普通に同意したことを今後悔しています。 時給は850円です。 まだ採用されていない状態ですが、もし時給がトータル換算で700円以下(最低賃金程度)になるようなら、アルバイトを拒否したいです。 (1)調べたところによると、パートタイム労働法により、契約内容を文書によって明示することが義務になっているようですが、もし契約内容に「時間外労働による賃金の発生は無いという事を認める」というような内容があれば、労働局を通して賃金請求をしても契約内容が優先されるのでしょうか? (2)最も簡単な方法として、10日ぐらい働いてみて、時間外労働が多ければアルバイトを辞めるという方法がありますが、問題は無いですか?契約内容に「最低12カ月働くことを同意する」的な内容があると、辞められないですか? 10日間の時間外労働程度であれば、請求の手間の方がかかるので気にしないということで。