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「死」とは何か?

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お礼率 21% (23/105)

人が「死ぬ」とはどんなことか?
人は何を指して「死」と呼ぶか?
を問います。

(尚、安楽死からの続きですが安楽死の方の質問についても引き続き・・・)
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回答 (全19件)

  • 回答No.8
レベル9

ベストアンサー率 32% (12/37)

「脳死」=「死」という風にしか思っていませんが遺族、友達などその人に関わっていた人がその人のことを思い出さなくなったり忘れ去ってしまったら本当に「死」だと思いますね。「心の中で生きている」というのと同じで全ての人がその人のことを忘れてしまうことが真の「死」のような気がします。「死→存在しない」ですからどこかで生きていても忘れ去られてしまったら死んでいるのと同じなんじゃないかと思いました。
天国も地獄もないと思っていますが故人にはいつまでも見守っていてほしいと「あの世」の存在は信じていたいような気がします。(実際ないですがね)
補足コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

返信どうもありがとう。

>「脳死」=「死」という風にしか思っていません

これは他者の死についてですか?ご自分についてのお話でしょうか?
とても肝心なところです。

>。「死→存在しない」ですから
「死」=「存在しない」ということでしょうか?

>天国も地獄もないと思っていますが故人にはいつまでも見守っていてほしいと「あの世」の存在は信じていたいような気がします。(実際ないですがね)

うーん。天国も地獄もありゃしない、しかし無もまた考えられない・・・ってところでしょうか。
投稿日時 - 2001-04-13 22:50:54
  • 回答No.11

さて、死の精神的側面。
絶えず思考し、なにかを探し求めつづける思索の過程こそが人間の生
だとすれば、人間にとって、思考停止し、怒りに打ち震える様は
思索精神の「死」である。
しかし、直情的に怒りに打ち震えるのは生物としてはいかにも人間的
な生命に溢れる行為かもしれない。

というわけで、引き続きあなたの質問に僕はごく真剣に答えたのみです。
コミュニケーションも会話も必要ありません。
ただ、あなたの思索の材料になればと思うのみ。
  • 回答No.7

serpent-owl様へ。
>「自分の死は経験できず、経験できるのは他者の死のみである」
>という趣旨のことはハイデガーが言ってますね
>(『存在と時間』→回答No.4に関連して)。
浅学な僕にはわかりかねるのですが、この部分。
つまり、それは自分が「死んでないから」なんでしょうか?
生きてる以上「死んでる」ことは想像も経験もできないってことでしょうか?
ええっと、つまり「死に行く」ところまでは意識があるから経験できるが、
「死ぬ」と意識がないから経験できないと。こういうことでしょうか?
(この論理には身体を含まぬ魂ってヤツは抜きってことですね)

はい、勝手にこう仮定した上で話を進めさせて頂きます。
そんで、もひとつ、魂とか前世とかいう話はここではあっちにおいといて話します。
ハイデッカーさんが何を言わんとして「経験」なる単語を持ち出したのか
わかりませんが(誤訳かもしれんな)他人の死は死として「経験」
したことになりうるのか?これに疑問を感じます。
「経験」つーのはこうだと思うんです。


キャッチボールをした→野球を「経験」した。

キャッチボールを見た→野球を「観戦(観測)」した。


この二つの間には大きな開きがあります。
『キャッチボールを見た→野球を「経験」した。』
とすると、誰しも「????」となると思うのですが。
じゃ、「他人の死」って経験なの?ってことになります。
となれば、生きている以上、

「死」とは経験しえない。「死に行く」己を経験することが関の山であり、
その先は想像の産物ではないかと思うのですが。

その仮定を置いて読むと、serpent-owlさんのそれ以降の論理は、

死とは経験しえないものであり、なおかつ誰にでも訪れるからこそ、
想像し備える為の作業としての生命活動及び「死の練習」があると
理解できるのですが。

さて、この僕の解釈及び論理は正しいのかしらん?

-----ここまでがserpent-owlさん宛-----------


で、上記の文を踏まえた上で、質問者にアドバイス。

いずれにしても死んだことのない人間が軽々しく、
簡単に「死」を定義しようなんて随分甘いと思いますが。
簡単に定義できるくらいなら、「臓器移植」も「安楽死」も
いまさら揉める訳がない。これも安直に語り得ないものであることの
ごくごく簡単な証明となっていると思いますが。

少なくとも、ここで哲学論議してる人達よりは優秀な人達が
この問題を一生懸命考えてるはずなのにね。
  • 回答No.6
レベル9

ベストアンサー率 53% (31/58)

 「自分の死は経験できず、経験できるのは他者の死のみである」という趣旨のことはハイデガーが言ってますね(『存在と時間』→回答No.4に関連して)。
 それでも生きている「私」の命の問題ですから、人間誰しも「死」については考えずにはおれません。ですから、さまざまな考え方があります。
 一つには、「死」を反省的な観念として持つことが否定的媒介となって人間の営みを生み出し規定する原動力として働いている、と考えられます。砕いて言うと、人は誰しも死ぬことを知っており、意識しているからこそ、それを理解しようと努め、できることなら乗り越えようとする。それが文化を生み出していくということです。
 例えば、人は遺体を放置しません。必ず何らかの仕方で、何らかの儀式を経て、「生きる者が日常生活を送る時空」から切り離します。そして「死者の世界」を想定し、死者をそこへ送ろうとします。お葬式です。中には死者が死者の世界にたどり着くまでの時間を見込んだ儀式もあります。「四十九日」なんかがそうです。あくまでもこれは一例ですが、かくして「死」は生きる者の中に宗教を生み出します。
 もっと広い意味での文化も、間接的にではあれ、「死」を根幹に持つと言ってよいでしょう。唐突ですが、「セックス」なんかはその最たるものです。むろん、セックス自体は文化ではありません。次世代に生命を繋いで個体の死を乗り越えて種を存続させようとする営みは生物全体で共通のことです。
 問題は、性に関わる事柄を禁止したり、限定的に許可したりする仕方が文化を生み出すということです。「衣服」がそうですし、「結婚」もそうです。「性」に関わり、間接的に「死」にも関わっています。この「性」と「死」との関わりから、バタイユは人間の経済活動を考察しています。ここから、「貨幣」もまた死の観念を反映したものと捉えられてきます(日本では岩井克人、今村仁司、中沢新一らが立論しています)。

 プラトンは哲学を「死の練習」と呼んでいます。が、私から見ると、人間の営みすべてが間接的な「死の練習」であるように思えます。
  • 回答No.5
レベル11

ベストアンサー率 17% (31/182)

一般的には「死ぬ」の反対は「生まれる」ではありません。「死なない」です。ああ故に、「生まれる」の反対は「生まれない」です。また、「生まれる」と「生きる」はちがいます。「生きる」の反対は「生きない」です。したがって、あとはもう分かりますよね。
お礼コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

返信感謝致します。


>「死ぬ」の反対は「生まれる」ではありません。「死なない」です。ああ故に、「生まれる」の反対は「生まれない」です。

そうですね。

>また、「生まれる」と「生きる」はちがいます。「生きる」の反対は「生きない」です。したがって、あとはもう分かりますよね。

ほう・・・
「生まれる」と「生きる」の違いをどう考えておられるかお聞きしたい。
また「生きない」とは如何なることでしょうか?
投稿日時 - 2001-04-13 22:11:46
  • 回答No.4
レベル11

ベストアンサー率 17% (31/182)

「人が死ぬ」は『「自分以外」の人が死ぬ』ということだと思います。自分が死ぬ時は、ありません。とおもいます。
お礼コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

>「人が死ぬ」は『「自分以外」の人が死ぬ』ということだと思います。自分が死ぬ時は、ありません。とおもいます。

ではご自分の「死」についてご自分の精神が語るところのそれはなんでしょうか?

>自分が死ぬ時は、ありません。

これはどういった意味でしょう?
投稿日時 - 2001-04-13 22:14:32
  • 回答No.12
レベル11

ベストアンサー率 17% (31/182)

>ほう・・・
「生まれる」と「生きる」の違いをどう考えておられるかお聞きしたい。
また「生きない」とは如何なることでしょうか?

「生まれる」とは「生む(産む)」の受動態である。うわっ!撃たれる!?って感じです。「生きる」は能動態です。言葉の意味は説明しません。言葉を言葉で定義しても、どうどうめぐりになるからです。したがって、この問題を、私はフォーマリスチック(文法的)に整理しようとしています。「生きない」についても、それは「生きる」ということをしていない状態以上でも以下でもありません。「死んでいる」とも「生まれていない」とも限りません。
お礼コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

返信どうもありがとう。

>この問題を、私はフォーマリスチック(文法的)に整理しよう

この結果是非聞かせてね。
投稿日時 - 2001-04-15 03:33:30
  • 回答No.15
レベル13

ベストアンサー率 14% (143/1014)

死には2種類あるんだそうです。
ひとつは肉体の死。これは説明するまでもありませんね。
もうひとつは精神の死。自分の家族、友達、恋人、仕事、信念、財産、等々から決別しなければならないということ。人が恐れているのは精神の死だというのです。
確かに精神の死が伴わなければ肉体の死をこれほど問題にすることもないですよね。
  • 回答No.1
レベル10

ベストアンサー率 33% (34/103)

質問の意図がわからないので叩き台として。
専門的な事は分からないけど心停止とか脳波停止とか、医学的に死亡とみなす基準があって
その基準を満たした状態。
お礼コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

返信どうもありがとう。

> 心停止とか脳波停止とか、医学的に死亡とみなす基準があって
その基準を満たした状態。

なるほど、大多数の人々にとっていまや「死」とは他者からの発信ということでしょうか。
投稿日時 - 2001-04-13 22:30:41
  • 回答No.18
レベル3

ベストアンサー率 0% (0/1)

身体、精神共に自発性が停止したら死ってことで良いんじゃないかと思います。
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