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安楽死と尊厳死。
医学部を目指す高校3年生です。 漫画の話で恐縮ですが、手塚治虫さんのブラック・ジャックを読んでいて、ドクター・キリコvsブラック・ジャックみたいになってたので、安楽死・尊厳死について調べようと思い、PCをつけたものの・・・とても難しい話になってきたのでどなたか考えをお持ちの方に直接、色々な意見を聞きたいと思って質問しました。 調べたところ・・・ 「安楽死」・・・第三者が苦しむ患者を死なせること。 「尊厳死」・・・患者自身が自らの死に方を選ぶこと。 僕は医者の仕事は“人を助けること”だと思っていたので大きなショックを受けました。んー、この問題については、“どちらが正しいか”という答えがあるような気がするので、どなたか考えをお持ちの方、よろしくおねがいします。
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- funnyteil
- ベストアンサー率14% (7/50)
治らない病、かつ末期症状で、もし緩和医療を施されている方だとすると、死のきわでは正しい判断は出来ない可能性があるという事も問題だと思います。 リビング・ウィル(遺言)というものもありますが、ひとつの理論であって、完璧なものとは思われません。 安楽と尊厳、どちらにしても、痛みの果てに「本人の確認の上で」それを行ったとしても、底辺には本能的な生への執着が一抹でも残っていたらと思うと、複雑ですね。 覚悟してすっぱり命を捨てられる人は少ないのではないかと感じます。そして、それが人間らしさではないでしょうか。 実践的な考え方としては、 ・本人とのコミュニケーション(可能であるならば)、 ・更に可能であるならばその方の生き方を理解すること、 ・ご家族やキーパーソンの意思。そして精神的、経済的な負担を理解してあげること。 以上だと思います。
- tomomin
- ベストアンサー率33% (1/3)
初めまして 一応医学部在籍です。 私もブラックジャックは大好きです。(最近また文庫を全部買い揃えた程!) ブラックジャックのあくまでも諦めない生への執着はかっこいいですよね。 それに比べ、ドクターキリコはブラックジャックなら治せそうな病気でも 「安楽死、安楽死・・・」と言っているキャラクターにうつります。 ここで私が思うことは、 例えば、自分が医師であるときに、自分以外の先生でその患者さんの病気を治せそうな専門家の先生がいたら、「自分の敗北」等と自分の変なプライドに拘らず、 専門家の先生を紹介してあげたりする勇気も医師の仕事だとおもうのです。 Cake0530さんの回答を読んでいると気になることがあるのですが、 ”尊厳死”と”安楽死”を少し混乱してはいませんか? 安楽死は今まだ認められていないのをみてわかるように、 意図的に死に至らしめるものである以上、犯罪などの可能性を含む難しい問題です。 しかし、尊厳死とは、 ”現在の医療でどうしても治し得ない病気に対して、 患者本人・または家族が望むのであれば、無意味は延命をしない”という事だと思っています。 安楽死は私も賛成するか悩むところですが、 尊厳死に対しては、命をかけて想像以上に苦しい治療を受けてきた患者さんに対して、治らなくても、医師の意地とわずかな可能性にかけてみたいというエゴだけで、それ以上の苦しみと家族への経済的・精神的負担を掛けながら、延命チューブにだけ繋がれて、会話も何も出来ない状態で生かしておく・・というのは、医療とは言えない(人を助けるという意味から外れる)と思い、尊厳死の尊重は大切なことだと思います。 尊厳死は、そんな”患者さんが出来るところまで戦いたいというなら、延命装置をどこまでもしてあげる、患者さんがもう無理なら、チューブだけで生きているような状態はやめてほしいと言ったら、そういった装置はしない”そんな個人の選択を含んだ大切な考え方だと思っています。 勝手な私の考えですので、こういう意見もあるなぁ、と思ってくださるだけで 良いのですが、 高校生ということで、 まだまだたくさんの経験を積んで、いいドクターへの道をお互いにめざしましょうね! (大学に入れば、たくさんのDrの先生方から貴重な体験談をたくさん聞くことができますよ!!頑張ってください!)
- miyakoodori
- ベストアンサー率60% (255/422)
No.7のmiyakoodoriです。古い本ですので(この手の本はすぐなくなる)…本の番号調べてみました。 ISBN4-06-206436-7 です。図書館などにあるといいのですが… 同じ作者の本で「病院で死ぬということ」という本もあります。手元にないので詳細はわからないのですが、映画化もされたりしましたので、こちらの方がまだ手に入りやすいかもしれません。 山崎章郎氏はホスピスに勤務したりターミナルケアに関する研究会をなさっている医師です。 また一般向きということでは、聖路加病院の日野原重明氏も生死に関して書いていらっしゃいます。宗教的な観点になっているのがちょっと…なのですが、この方も医師です。 岩波現代文庫から「命をみつめて」という本が最近再版されました。講演会のものをまとめたもので、話は同じ様なものもあったりしますし、また「安楽死」に関しては書いていなかったりしますし、それ以外の内容のほうが幅占めていますけど、…「死」に対する考え方も中で書いていらっしゃいます…いかがでしょうか? あとかなり有名どころで キューブラー・ロス(精神科医)が「死ぬ瞬間」という本を出版されています。末期患者の臨死時の心理を分析したものです。「死」と言うものを考える上でいかがでしょう。ただ高校生の方が読まれる本としてはどうかと思いますが… 自然に反して命を延ばすこと たしかに多くの医師がそれを目標としてきました… でも人は必ず死ぬのです。 いま現在、このことだけは覆すことの出来ない事実です。 医療現場ではかなり前からQOL(クオリティー・オブ・ライフ)という考え方があります。 命の質を考えることも大事です。(まぁこれが個人個人違うのですけど…) この考え方に対する本も前はあったんですが今はどうかな? 「死と医療」を考えられるのならQOL関係の本の方が、ご自分の考えを育てるのにはいいのかもしれませんね。
- miyakoodori
- ベストアンサー率60% (255/422)
かなり前(1993年)になりますが…山崎章郎氏の監修・訳で「安らかに死ぬということ」という本が出版されています。…ご存知かもしれませんが… アメリカにおける安楽死運動の経過を実例を紹介しながら書いてあります。医学関係のものでなくとも読める、とても読みやすい本です。またこの本には日本尊厳死協会の会長の方が推薦文をかいていらっしゃいます。 この本は少しは参考になるのではないかと思います。 1993年の本とはいえ、日本の「尊厳死」「安楽死」に関する考えはあまりかわっていないように思います。 積極的な安楽死は確かに問題があると思います。 いま日本で行われているのは「消極的な安楽死」ですよね。これは尊厳死にも通じるものもある。 無駄な延命治療をしないという決断も大切です。 その人の最後の舞台が少しでも安楽に安らかに過ごせるように援助することも「助けること」ではないでしょうか? 「100%死を迎える」ことがわかっている方に延命(心臓が動いているだけの意味で)の処置をすることはその方を「助けるように努力した」事にはならないと思います。もっともご本人が「それを望む」意思があったのなら「助けるようにした」と言えるかもしれませんが…
- megusama
- ベストアンサー率10% (6/58)
今勉強中の学生なのですが…難しいテーマですよねえ。 「安楽死」は場合によっては「殺人」にはなりかねます。 アメリカのある州では「尊厳死」を守るために、「安楽死」が認められています。 「尊厳死」は、「患者が自分で死ぬ場所、死ぬときを自由に選べる」ということが前提として成り立っています。つまり、患者が「私は…の場所で…に死にたい」と言えば、医者は、安楽死として、筋弛緩剤の投与、又はそのカプセルを与えることが認められているのです。 このことだけを見ていると、「安楽死っていうのは良いものじゃないのか」ってなるかもしれませんが、そうとは言い切れません。 「安楽死」が認められていない日本でも、「尊厳死」が成り立つ場合が多いからです。例えば、末期の病気の患者が、「私はここで死にたいんだ」と言えば、そこに最低の設備をおけば、痛みを薬で紛らわせることをして、その方は希望どおりにその場所で死ぬことができるからです。これも立派な「尊厳死」。 ただ皆さんの言っているとおり、人がどういった希望をするかは分からないのです。結局医者は、患者さんの望んだ治療をするのが仕事と言うことでしょうか? その時に、「安楽死がいい」と言う方がおられるなら、法律で認められている所に行って、実行するか、実行しないか、又は、この日本で実行するか、それはその方の判断にゆだねられます。ただ、そういった事件が、時々起こって問題視されることがあるようですが、それが医療の実態でしょう。 ”どちらが正しいか”は結局人それぞれなのですから、これが正しいとは一概に言い切れないと思います。
お礼
返信ありがとうございました。 やっぱり患者さん第一ですかねぇ。僕は意地っぱりだから諦めたくないんだけど・・・それほど能があるわけでもないし・・・(廻)
- hiyokogusa
- ベストアンサー率60% (14/23)
う~ん。。すっごく考えさせられるテーマですね。 私の単なる一意見として 投稿させて頂きます。 私が特に、尊厳死について考えさせられたのは 以前結婚してた時の、だんなのおばあさんのお見舞いに 行ったときでしょうか・・・ 最初のうちは、病室を見ることがなかったので、あまり 考えることはなかったのですが、もうすぐ・・・という 時が来て、先生から呼び出されて行ったとき、 その病院の空気に ただただ愕然としてしまいました。 その部屋は、おそらく末期の患者さんを集めたところだと 思うのですが、ちらっと見えた床ずれのひどさとか 看護婦さんから説明を聞いてたときの、隣のベッドの おばあさんの こっちを見ていた目とか・・・・・ 自分が入院していた時も、同室に高齢の方がいて 夜中1人でトイレに行かないように おむつをさせられ 始めて、それ以降だんだんと痴呆もすすんできて よく病室で「死にたいねぇ」と話していたことがありました。 もともと野生の動物の場合って、自分で食事が取れなく なったり、行動がとれなくなってきたりしたら、自然淘汰されてしまうのに、なんで人間はここまでして生き延びる必要があるのか。。と、この件ですっごく考えてしまったことがあります。 でも、「尊厳生」っていうのもすっごく強いものだな って思ったこともあります。 以前ドキュメンタリー番組に出ていたお笑い芸人 キリングセンスの萩原正人さんの肝臓移植のお話です。 こちらは本にもなってますので、本人の運営する HPをご参考まで記載しておきます。 本当に、死んでるも同然くらいの体になってしまって もう明日にでも死んでしまう・・・といった状況でもあきらめず、最後の生きるチャンスをつかんで復活した方です。私はここまで強くいられるかなぁ?って思ったけど、すっごくストレートに伝えてくれています。 どちらが正しいか・・・本当にケースバイケースだと思います。時には自殺でさえ、正しい判断だったのかと思わざるを得ないこともありました。人の生死については、これが絶対・・・というものはないんだろうなって思います。 これは肌で体感して自分が死ぬ頃になって、やっと自分なりの答えが見つかるのかな?とも思いました。
お礼
ご意見ありがとうございました。 “尊厳死は自然な死に方だ”と言われれば、反論の余地はありません。ただ、僕はむしろ“自然に反対して生命を延ばすのが医学”だと思っています。今考えているテーマは“医学が事実上の限界に達したとき医者はどうするか”。 また、その“限界”の判断が難しいと思います。萩原さんのように、“奇跡的”な回復を見せる患者さんの話をいくつか聞いたことがあります。かと言って、苦しむ患者に向かって“いやいや、こんな場合もあるんですよ、奇跡は起こるんですよ”と言い聞かせて奇跡を待つのか・・・。
手塚治の「ブラックジャック」は20年以上も前に描かれたもので、当時日本ではまだ「安楽死」「尊厳死」といった物を肯定する考えが浸透していませんでした。また、手塚氏も作品は生命礼賛をテーマにしたものです。言ってみればキリコは生に対してのアンチテーゼとしてかかれていました。しかし、手塚氏が無くなり、それ以後安楽死、尊厳死という考えを支持する人が増えたのが90年です。 従来では、医療というものは「いかなる方法でも命を延命させること」が中心でした。」しかし、現在は「患者を楽にさせること」に主眼が変わりつつあります。その中に、病気を治療する事が含まれますが、治療できない場合は他の選択もあるわけです。このことは、痛みを取り除く治療「ペインなんとか」や、カウンセリングなど病気そのものを直す従来の医療ではない患者主体の医療が増えてきたことからもおわかりでしょう。 私は手塚治がまだ生きてブラックジャックを書き続けていたら、キリコの存在がとても大きなものになっていたはずだと思います。 質問者の「医者の仕事は“人を助けること」は医療としては当たり前のことですが、「どうたすけるか」が変わってきたのです。命を絶対視し、患者の弧痛を取り除くよりも延命すれば、助かるのか、あるいは命よりも患者の苦痛を取り去ることで助かればよいかが問われているのです。 私の父がガンで死んだとき、担当医は(暗黙の了解のうちに)点滴の麻酔薬を徐々に増やし致死量まで上げました。最後は眠るようになり息を引き取りました。
先ずは、「定義」をしっかり整理しましょう。 【私があるミニコミ紙に寄せた文章より抜粋します】 さて、「あなたは尊厳死を望みますか?」と聞けば、ほとんどの方は「望みます」と答えられるでしょう。でも「尊厳死って何ですか?」と聞くと、多くの方が返答に詰まってしまいますね。 日本尊厳死協会発行の尊厳死問答集によれば、尊厳死とは、「患者が不治かつ末期になったとき、安らかに、人間らしく自然な死をとげることです」と記載されています。尊厳死と安楽死はよく混同されがちですが、安楽死とは、第三者が患者の苦痛を見るに見かねて死なせることです。 誤解を受けやすいのですが、「尊厳死」と「尊厳ある死」も違うものであるということです。人それぞれ「尊厳ある死」は異なります。チューブを付けて徹底的に生きることを追求することがその方にとっては尊厳ある生き方である場合もあるのです。 (抜粋は以上です) 医師は自分の信念で治療しますが、自分自身の考えと患者さんの要望が違う場合、あなた自身はどうしますか? 患者さんの「安楽死要望」は間違いだと指摘して突き放すか、そんな考え方の患者さんもいるのかと受容するのか。大変難しい問題だと思います。 結局は、「自分が受けたい医療を患者さんにも施行する」ことが医師の役目ではないかと私は考えています。 いろんな考え方があって良いと思います。 私自身は、安楽死賛成派でも反対派でもありませんが、自分自身が不治の病でしかも強烈な痛みが続く日々に陥ったら、安楽死を希望します。
お礼
アドバイスありがとうございました。 >、「自分が受けたい医療を患者さんにも施行する」ことが医師の役目ではないかと私は考えています。 んー、僕は逆かなぁ・・・。自分の価値観と患者さんの価値観が異なったとき恐いから。できれば患者さんの言う通りにしてあげたいです。 ただ、医者が限界を認めてしまうってのはなぁ・・・(堂々巡り)
- caballero
- ベストアンサー率17% (31/182)
安楽死はきっと殺人でしょう。もう助からない、、、、 競走馬など骨折すると安楽死させますよね?馬は足の筋肉で血流を送っている部分が多いらしく、立てない=死 だそうです。彼らが人間だと、何らかの装置で生命を維持する事は可能でしょう。牧場を軽く走れるようにになるかもしれません。画家は視力を失っても生きれます。しかし画家の思うようには生きれません。しかし、思うように生きれる人などいるのでしょうか? 透析機や人工呼吸器を外すと死ぬような患者さんがもし競走馬だと、間違いなく安楽死となります。彼らは完全に生かされているのであって、それを決定するのは生かしている者でしょう。 死は生の一部ですから、安楽死は楽な人生を意味します。一方で抜け殻のようですが、安らかな人生といえばそうなわけです。しかし自分の子どものマスクをとる親の気持ちは、安らかな人生ではないですよね? しかし、天才外科医のメスが輝れば、命は闇の淵からよみがえるんですよね? メスを使わずとも人を生ける方向へ向かせる事が出来ます。安楽死は、第三者を生ける方向へ向かわす事が出来ます。その人の死が、ある人の生を切り開くのです。ブラックジャックのメスでなければ助からない人がいます。自らの死でもって、あるものを生かそうとする人もいます。これらのような選択の目的は生きることです。つまり、例えとった行為が死にまつわる事でも、生きることを選択しているのです。 Drキリコの所には自殺志願者がよく来ますよね、苦しみを終わらせたい人が来るわけです。尊厳死ですよね。 殺人でも、自発的な尊厳死でも、それが生を意味するならそれは医者の仕事だと思います。生ける方向に結びつかないものはキリコ的な、孤独な死を意味します。孤独な死は非常に絶望的で、逃げ場の無い逃避行為です。 長い駄文ですみません。 しかし、キリコは同じ孤独な死であるなら、安らかな死を与えてくれるわけです。ブラックジャックは、苦しみに悶絶するあまたの人々を見てきているので、キリコの行為が輝いて見えます。ブラックジャックが苦しみに悶絶する人を、生かそうと努力するのは、希望を抱いているからだと思います。黒い天使が希望と生きる苦しみを、白い死神が絶望と安らぎをもたらすわけです。ブラックジャックの希望とはなんなんでしょうね。 僕はブラックジャックを尊敬してます。そこにドラマがあるからです。その人間性が、希望のもたらすものだと考えています。
お礼
返信ありがとうございました。 んー、なんだか自信喪失だな。自分の担当する患者さんが亡くなられたとき“自分以外の誰かなら助けられたかも知れない”なんて思ってしまいそう。 自分がそれこそブラック・ジャックみたいな天才外科医になれるとも思ってませんし、本当に自分が大変な病気に遭遇したとき、必ずしも自信を持って“治ります”とは言えそうにありません。 医者が無駄な抵抗(?)をしたくなる気持ちもわかります。絶対に諦めたくないから。自分が諦めたら他に救う人はいないから。 潔く医者の無力さを認めるしかないのでしょうか。
- keikei184
- ベストアンサー率51% (165/322)
私は法学部に在籍しておりますが、法律学の観点からも、「安楽死」と「尊厳死」については避けて通れません。 医師が患者のいのちを救うことを第一とし、そのために精一杯の努力をしていることは疑う余地がありません。医師に限らず、人のいのちを救いたいと思う心は万人に共通のもとだと思います。しかし、医学も科学技術のひつであり、その技術にはおのずと限界があります。現代の技術では絶対に助けることが出来ない、というケースもままあります。その時に、医師たちはどのような決断をすべきでしょうか。助からないことがわかっていても、最後まで(無駄な?)努力をすべきでしょうか。 助からない患者に対して、最後まで治療を続けることも医師の立派な職務かもしれませんが、そのような患者に対して、医師が安らかな死を与えることもまた、立派な職務と言えるのではないでしょうか。人間が技術の限界を知った時、見て見ぬふりをして奇跡を信じることが勇気ある行動と言えるでしょうか。いのちを救うことと同様、患者の苦しみを拭い去ってあげることも医師にしか出来ない大切な仕事です。患者が自ら安らかな死を望んだとき、医師がそれを手助けしてあげること、自然なことのように感じられます。
お礼
いや、一気に賛成派に傾いてしまいました。 “医者が患者を救いたい気持ちは理解できるが、無駄である治療を続けるのは医者の意地でしかない”と思いました。ただ、日本では確か法的に認められていないんですよね?それを考えると・・・。 “死なせることが救うこと”とも感じました。しかしそこにはご遺族の方の意見要望も絡んでくるので、まだまだ難しい問題である気がします。 返信ありがとうございました。
お礼
返信ありがとうございました。 その本、是非読みたいです。今から探してきますっ!ありがとうございました。