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夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか

noname#156094の回答

noname#156094
noname#156094
回答No.52

大筋での共通点 どちらも助けられた狐が女人に変じて良き妻となり子供を設けた後に、正体を知られてしまったが故に悲しくも別れてしまう・・・といった内容です。 共通して描かれているポイント ○ 助けた狐が女人に変じた ○ 夫婦として結ばれて子供を設けた ○ 女の正体が狐だと分かってしまった ○ 幼い子供を残して母親が去った ○ 残された子供(子孫)が立派な人物になった 共通して描かれていないポイント ○ 当事者を取り巻く人間関係がほとんど描かれていない ○ 母親が去った後の家族状況が描かれていない ○ 去った母親の消息が全く描かれていない 描かれているポイントから物語全体を見た場合には、産んだ子供(孫)が立派な人物となって完結している点が大きいように思われます。 逆に見れば、その完結している点が無ければ物語が成立しえないようにも思えるのです。 描かれていないポイントから物語全体を見た場合には 意図的に描いている部分と、意図的に描かれていない部分があるように思える。 話の展開に肉付けといったものが見られないのは、その必要がなかったのか、或いは何らかの理由によって出来なかったのかもしれない。 また、描かれていない部分がある事によってこそ、この物語の構成が成り立っているように思えなくもない。 以上の事からの推測になりますが 描かれていない部分・削り取られた部分にこそ、この伝説を成立させた秘密が隠されているようにも思われるのです。 削り取られて闇に消えていったものを求めて歴史の中へと入っていく事にします。 (3) 歴史の暗闇 よく歴史の表裏といいますが、その裏側でも語られぬ部分というものがあります。 そこには、語る事を禁じ得なかった理由というものも存在します。 そうした歴史の暗闇というものは、いつの時代にもあったように思われます。 前述した伝説にまつわる歴史の暗闇と思われるものを以下に取り上げてみました。 取り敢えずはこれらの文献を参考としてお読みいただければと思います。 尚、これらの資料を参考とする事には抵触される向きもあろうかと存じますが、真実を明らかにしたいという立場をご理解の上ご容赦賜りますようお願い申し上げます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%8E%E6%B0%91 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E5%A4%9A http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E4%BA%BA http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AB_(%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AD%A6) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B3%E6%B0%91 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E5%95%8F%E9%A1%8C http://www.city.minato.tokyo.jp/kurasi/zinken/keihatu/today/douwa.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E5%B7%9D 以上の文献から、伝説の背景なるものの、大よその察しが付くものと思われます。 個人的な感想としては、現在にあっても、その暗闇の如きものが未だに消え去っていないようにも感じられます。 この暗闇から抜け出そうとして、抜け出す事が出来なかった悲しみが伝説を生んだ、と考えるのは私だけでしょうか・・・。 (続く)

bragelonne
質問者

お礼

 どうしても不都合な事態に立ち至れば この推理解釈を撤回しなければならない。また この解釈は 歴史事実の確定のためでは必ずしもなく 物語に関するかぎり 表現をめぐって妥当な理解を得たいというためのものである。  もし初めには 弟ウカシの側がうたったとするならば のちにウタの主体を交換して 取り替えばや(クイッド・プロ・クオ)が成立したと考えられる。すなわち・・・  このあと――いくさの後――まづ弟ウカシは その自分たちだけの食事の席で 一方で元からの妻には 蕎麦の木のように身の無いところを たくさん(こきし)削って(ひゑ)やれ(ね) 他方で新しい――たとえば イハレビコ側からもらい受けた――妻には いちさか木のように身の多いところを たくさん(こきだ)取ってやれとうたったと考えられる。ちなみに いづれにも たくさんやれと言っている。  このウタが ところを替えてイハレビコ軍の勝利のウタとして採用された。《えーえー しや吾子(あご)しや あーあー しや吾子しや》と囃しがつけ加えられている。やっこ(吾子)にしたというのである。あるいは 初めの弟ウカシの宴席でもつけられていたものを 同じく採用した。  一つの解釈として 《いのごふ》が いのちごいのことだとすれば 最初の《えーえー》のほうで 弟ウカシが その命乞いをしたことを表わし 次の《あーあー》で これを迎えつつ嘲笑うというふうに捉え得る。  または 《いのごふ(剋期ふ)》とは 《じりじりと近寄る。攻め近づく》意ということであれば これも 初めの弟ウカシの宴席でのウタにそのまま あったのかも知れない。すなわち 次のようである。  このようにひそかに弟ウカシらが歌っていることが イハレビコ軍に漏れた。これを知ったイハレビコは 弟ウカシを詰問した。詰問されると おそらく 命乞いをしたのであろう。したがって イハレビコ軍からは 《えーえー》で 弟ウカシの側のそのような意味での《いのごふ》が言われている。  しかし 弟ウカシが歌った元のウタでは 兄ウカシを犠牲にしてでも イハレビコ軍に弟ウカシがひそかに通じて その策略を知らせるという初めの行動計画に従って 《じりじりと近寄っ》ていったと詠ったと考え得る。弟ウカシは 命乞いをしてでも もともとの《いのごひ》の計画を貫いたことになる。つまり 弟ウカシの密通は 生き延びるための〔兄らとの協力のもとにおこなう〕初めからの計画として行なわれたというのではなかったか。  ここでは ことばの表現じたいは変わらずにあっても ウタの主体や それを述べる(編集する)側が どちらであるかによって 中味が二重性を帯びている。  可能性の一つとしてその問題を追及しつづけるならば たとえば実際の事件として かつウカシ兄弟の戦略として 二重・三重に話が作られている。(これは あまり問題ではないようである。)けれども これを記事にして書く視点と 事件とが 二重構造化している。この二重構造はまた 当事者たるイハレビコ軍の書記(むろんいなかったのであり のちのストーリ・テラー)の視点と これをいま古事記として書いている者の視点とに 重層化するようである。(行為主体や視点の重層性のみを指摘している)。  しかも 実際にはそのいづれの場合にも 基本的には――行動それぞれの意志そのものとして―― 一重であるとも言わなければならない。なおかつこの記事のままが・この記事のままでよいのだとする観点も存在するであろう。  それにもかかわらず表現は成功しているからなのか 少なくとも表面上は一重の基本線に立っているように見える。自己表現あるいはおのれの文体 という動態がある。文章の中の行為主体が変わって 文体の原則が転変したとするなら 転変したとしても・つまりそのように主体を取り替えていても 言葉じたいとしてはその転変があたかも完成してしまってのように 何事もなかった形を見せている。  キツネやら鴫やら鷹(くち)らやらくぢらやら 言葉の紛らわしさも然ることながら 異人を動物呼ばわりするやり方のもとに その主体がどちらの側のことであれそれはどうでもよいかのごとく 《取り替えばや》の物語が完成している。  これが 差別・被差別の人間関係である。人間の文体は そのぶつかり具合いを超えてすすむ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ただしこの差別・被差別の関係が 社会の制度として広く・歴史的に長く定まって行ったときには その泥沼から抜け出るのがやっかいなようである。  つる女房の話が キツネの婚姻譚ほどにこの社会構造を表わしているかは あやふやだと思われます。(いまのところです)。でも同じ類型であり得ましょうね。

bragelonne
質問者

補足

 被差別民は いにしえの昔 国の統一に歯向かう異人だった者から来ているという説があります。それをキツネとも呼んだのだと。  ▼(ヰキぺ:キツネ) ~~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%84%E3%83%8D  § 歴史 / 神道への吸収  大和時代に入り朝廷が勢力を拡大する中、抵抗する土着の神を持つ民を排除し、狐と呼んで蔑視していた。  ところが後半に入って、突然(山神か神の使いとして)狐が登場する。日本書紀には、ヤマトタケルが東の蝦夷(えみし)を討ち、科野坂から美濃へ行く山中で霧で立ち往生した際、白狐(但し白犬説もある)が現れ導いたと記されている。  「御饌津神(みけつ)が誤って三狐神と書かれた」という説が定説である。しかし秦氏が抵抗する土着民への懐柔策として使用させたとの説もある。  こうして土着の神は豊穣をもたらす荒神的な性格から「宇迦之御魂大神」の「稲荷」として認識され、シンボルである狐自体は眷属に納まったと考えられる。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ (クイッド・プロ・クオ)~~~~~~~  神武イハレビコ軍は 登美のナガスネビコやエシキ・オトシキとの戦闘のほかに いくつか戦っている。宇陀のウカシ兄弟との戦いの事情は こうであった。  《粟生(あはふ)には 香韮(かみら)ひともと》 つまりカシハラ・デモクラシの中にいた苦い韮のように 兄ウカシ・弟ウカシというまつろわぬ人びとがいたという同じ出だしから始まっている。ウタの構造において いくぶん異なっている。  まづヤタガラス(八咫烏)という名の使いを遣って こう問わしめた。   ――いま 天つ神の御子 幸(い)でましつ。汝(なれ)ども 仕へ奉らむや。        (古事記 神武天皇の段)  兄(え)ウカシは このやってきた使いを鳴鏑(なりかぶら)の矢で射返した。本隊を待ち撃とうとして 兵力を集めようとした。が 集めきらなかった。そこで一計を案じて 大殿を造り その中に押機(おし:それを踏むと圧殺される仕掛け)を拵え 仕える振りをして敵をここに招き迎え撃とうとする。ところが 弟のほうが敵につうじて これらすべてを神武イハレビコの軍に打ち明けた。そういうことになっている。  迎えた敵の将たちに兄ウカシは自分が攻めやられて押機に陥って敗れるという物語(まづその前半)である。さらにイハレビコ軍は そこから兄ウカシを引き出して かれの身体を切り刻んだと書いてある。  この一件落着のあと 弟(おと)ウカシがご馳走をたてまつったので これを 神武イハレビコ軍は いくさびと達に分けて与えた。その時歌ったという。    宇陀の 高城(たかき)に 鴫(しぎ)罠張る    我が待つや    鴫(しぎ)は障(さや)らず いすくはし くぢら障る    前妻(こなみ)が 肴(な)乞はさば     立ちそばの 身の無(な)けくを こきしひゑね    後妻(うはなり)が 肴乞はさば    いちさかき 身の多けくを こきだひゑね    えーえー しやごしや 此は いのごふぞ    あーあー しやごしや こは 嘲笑(あざわら)ふぞ          (記歌謡・10)  訳:《高地に鴫の罠を張って待っていると 鴫ではなく くぢらがかかった。前に娶った妻がおかずを所望したら そばの木のように 身のない部分をたくさん削ぎとってやって欲しい。後妻が所望したら ひさかき(野茶)のように身の多いところをたくさん削ぎとってやって欲しい。(そのあと囃し言葉がつづく)。》  くぢらは 鯨とも 鷹(くち)らとも解されている。鴫との対照では でかいものという内容である。 だから 《鴫ではなく くぢらがかかった》というのが趣旨だと思われる。神武イハレビコの側から歌ったとすれば 敵の大将兄ウカシ本人を捕らえたと言っている。後半の部分は 宴会の場での話しであろう。  けれども 《宇陀の高城(高殿)に鴫の罠を張った》のは――もし これを《大殿を造り その殿の内に押機を仕掛けた》ことに対応すると見たときには―― 兄ウカシのほうではなかったか。むろんそうである。  そしてさらに もしここから一つの推理としての解釈を付け加えるとするならば こうである。弟ウカシが――兄を裏切ったかたちで生き延びた弟ウカシが―― すでに葬られた兄ウカシに代わってのように 《シギを待ったけれども 鞘(莢)にかかったのは 鴫なんかではなく くぢらであったわい》と詠ったのである。のではないだろうか。はじめは である。  以下さらに 推理・憶測によるものではあるがいまこの線で話を進めたい。  兄弟の涙ぐましい抵抗なのである。

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