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「厳密さ」と「分かりやすさ」のどちらを採用しますか?

noname#163132の回答

noname#163132
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回答No.50

哲学を学んでいるわけでもなく、あまり参加しないカテゴリーなので場違いな気がしますが、人生訓と捉えて思い切って参加します。 哲学に造詣が深い方だと、そのものズバリを表現した記号化された様な「専門用語を並べた遣り取りが無駄が無くて分かりよい」のだと思いますが、哲学に馴染みが無く、難解な言葉や表現で書かれた文章を読み解くことを不得手とする者の立場からは、単純に「分かりやすさ」を指示したいと思います。 私がここで指す「分かりやすさ」とは、「平易な表現」のことであり、日常会話レベルの日本語が出来る人が「意味を取り間違える危険性が最も少ない表現のこと」を指します。 それは、言い換えるなら「教えを請う側のレベルに見合った説明」ということです。 私が教えを請う立場に立ったのなら、イメージすることと理解することはイコールではなくとも、イメージすら浮かばない表現でいくら説明を重ねて頂いても、取っかかりさえ掴めないので、 「せめて、話の骨子だけでも掴むことから思索を深めて行けたらなぁ」と考えるからです。 また、私は「分かり易さ」とは、その人にとって「説明の過不足が無い状態」を指すのだと思います。 優しい平易な表現を積み重ねたとしても、テーマを意識して説明されたものでないと、軸がぶれて像がぼやけてしまうので、「過ぎることで分かりやすさから遠ざかってしまうこともある」と考えるからです。 ご質問には「厳密さ」という言葉が出てきますが、「厳密」を実際に辞書検索してみると、 “誤りや手落ちのないように、細かいところまできびしく目を行き届かせていて、すきがないさま。”(出典:『大辞泉』/小学館) ――とありました。 「厳密」という言葉を「本当に自分で理解できているのか疑問に思った」ので確かめたのですが、厳密は「厳格」ともまたニュアンスが違うのですね。 「厳格」とは、 “規律や道徳にきびしく、不正や怠慢を許さないこと。また、そのさま。”(出典:『大辞泉』/小学館) ――とありました。 「厳密な表現」とした場合、“事象により忠実に、真実に即した表現”ということで「正確な表現」、「緻密な表現」と言い換えることが可能だと思います。 それを為すには、「ひたすら本質を追い求めること」が根底にあるのだと思いました。 だとすると、浅学に甘えてはいけないけれど、その時その時の自分に見合ったレベルで理解していくことこそが「厳密さ」への第一歩であり、それには「分かりやすさ」や「平易さ」を排除することは、危険なことだと感じました。 何故なら、物事の「輪郭だけでも見えている」のならば、暗い夜道であろうとも「灯りを手に歩くことが出来る」でしょう。――方向性が分かっているだけでも随分違います。 受け取った火を消さないよう、取っかかりさえ掴めれば、自分の足で歩いて行けます。 しかし、難解な説明を無理矢理自己流でこじつけて理解しようとしても、「灯りが見えない」のではどうしようもありません。 それでは、ろうそくだけ受け取って、火をおこす道具を持っていないのと同じです。 どのみち迷うとしても、落胆から始まるのと、勇気を貰って進むのとでは、モチベーションに大きな差が出来てしまいます。 物事を考えることや出来事を見ることは、デッサンすることと良く似ていると思います。 デッサンをするときに、「大まかな明暗・質感・距離を感じ取ってから、順々と細部を詰めて、より現実の像に近づけて描いて行くことが出来る」ように、言葉も「大まかな輪郭・方向性を把握した上で積み重ねによって本質に近づけて行く力を持っている」と思います。 ですから、はじめに「分かりやすさ」ありきだと私は思います。 分かりやすさも積み重ねて行くことで、「緻密さ」や「正確さ」を増し、「厳密さ」に辿り着くことが出来るのだと思うのです。 「厳密さ」と「分かりやすさ」どちらも大切なことだけれど、理解への道標、土台となるのは、「分かりやすさ」だと思います。

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