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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自分の才能。)

自分の才能を見つける方法とは?

このQ&Aのポイント
  • 自分の才能を見つける方法について悩んでいます。絵に関しては自信がなくなり、他に秀でるものが見つからず困っています。
  • 失敗を恐れているため、やりたいことや好きなことに手を出すことができません。一生懸命なりたい気持ちはあるのですが、どうしたらいいでしょうか?
  • 皆さんはどのように自分の才能を見つけましたか?見つけた才能は現在の職業に役立っていますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.8

自分にどんな才能があるかなんて未だにわかりませんね。 ただ、自分が「やりたいこと」と「やれること」を自分の出来る範囲の頑張りでやってきただけです。 失敗も多くしてきました。 ただ、その失敗を反省し、見直して、次の成功の糧にしていく。 そうすることで、失敗は失敗でなくなるし、才能が有るか無いかわかりませんがそれなりの成長はすることは出来ました。 失敗を恐れて、何もしなければ成長はしません。 成長してない才能よりも成長した凡才のほうがかなり秀でることが出来ます。

その他の回答 (9)

  • sakulabon
  • ベストアンサー率16% (12/74)
回答No.10

才能がなんにもないひとは普通にたくさんいますよ。 才能が無いことはやらないという発想が間違いです。 才能なしでは無理な特別なことを避けて普通のことをやればよろしい。

noname#120110
noname#120110
回答No.9

「回答する」のつもりが「この質問は役に立ったか」をクリックしてしまいました。すみません。 夫はある科目が高校で学年1位だったので、その方面に進んで仕事をしています。 わたしは別の科目がやはり高校で学年1位でしたが、それを生かしつつ安定した収入・・・と思って入った会社の仕事がつまらなくてつまらなくて、それでも「貯金!!!」と思って続けましたよ。 今は、もっと好きなことを仕事にしています。それはその会社員時代に、どんなに睡眠時間がなくてもやりたくてやりたくてたまらなかったことで、仕事帰りに学びに通ったりしていましたね。 それは高校のときはどうだったかな・・・勉強に忙しくて、やめてましたね。 小学校のときは、学年ならぬ、学校で1位だったかな。 「1位」 ぐらいないと、才能に気付くのって難しいでしょうね。 でも、才能と自信って別物ですよ。 それに、才能がなくても、仕事に「適正」があり、「人間的に自分に適度な自信」があれば良いのです。 むしろ、才能だけあったってそっちがなきゃなんにもならないと思います。

noname#259681
noname#259681
回答No.7

趣味だったはずが、気付いたらそれしか出来ることがないと気付き、これが私の天職だと思って転職しました。 才能があるのか分かりません。ただ、一生努力し続けたいと思いました。だからこれが才能だと思いました。努力できる才能が一番大事だと思います。 私よりすごい人はたくさんいます。むしろいたからこそ感動して、私もこれがしたいと思いました。 私は何かと器用だったり物覚えが良かったり、運動も得意でしたから、才能があるとの言葉は子供のころよりたくさん言われてきました。 より取りみどりだ! やっほぃ! と喜んでいたのは昔の話。 努力を続けたいと思えたのは一つだけです。 それ以外のことだと、ある程度できるようになると満足して、他の人の素晴らしいものを見たときなどは「これと競う気にはならないなぁ」と思いました。また、他の人にもできるなら、私がやる必要ないなぁとも。 絵は質問者さんの努力したいことじゃなかったのかもしれませんね。 これからしばらくして、やっぱり努力したいと思ったなら、すればいいし、思わなかったなら他にしたいことがあると思います。 私のやりたいことはこれだと気付いたのは、趣味だったことを、もしこれを仕事にするなら「本気で極めたい」と思ったのがきっかけでした。 絵を続けていて、極めたいと思いましたか? 絵を描いていて、楽しいですか? 苦しくても続けたいと思う気持ちはありますか? 無いのなら、絵の他に適した能力があるのだと思います。 もしかしたら、今は思わなくても、何かをきっかけに「やっぱり絵だ!」と思うかもしれませんし。 私も一度、今のそれに気付く前に挫折しました。努力していたことが、まさかの理由でやる気がなくなったのです。 もう適当にお見合いして結婚して子育てして生きようかと思ったりしましたが、先述の通りです。 いつ気付くか分かりませんけれど、探し続けていれば見つかります。 とりあえず今は、今を楽しむと良いです。 きっと意外なところから発見が来ますよ。

  • kaiyukan
  • ベストアンサー率15% (482/3140)
回答No.6

なくなってしまったのは諦めたからです もう一度絵をやってみたら? どんなものにもスランプはあるし、 成功してる人はそれを乗り越えて耐えて続けてきたから成り立ってるんだと思います 絵は続ければ、誰でも絶対上手くなっていきます。 続けることです

  • Purish77
  • ベストアンサー率33% (70/211)
回答No.5

才能なんて無くても、ある程度の所までは行けると思います。 努力を続けていれば。 確かに、努力だけでは越えられない部分はあります。 自分自身が壁にぶつかった時に、本当の意味での才能が必要になる場面がやってきます・・・壁を打ち破る為に。 逆に言えば、そこまで努力を続けなければ・・・その「情熱」と言うより「執念」に近い物だと思いますが、それが無ければ、壁に近づく事すら出来ないでしょうし、自分の才能に気付く事は出来無いと思います。 貴方の例に沿って話せば、素晴らしい絵に出会って、何故こんな絵を描けるようになりたいと思えないのですか? 凹んでいる暇があったら・・・素晴らしい絵を描く人は、貴方の先生だと思って、練習すれば良いじゃないですか? その程度で、才能云々を言うのは、まだ早いですよ。 僕個人の事で言えば・・・男の子が就きたいと思う職業の1つをしていますが、どんな才能があったか、今の職業に向いているのか・・・正直に言って、僕にはまだハッキリとは分かりません。 自分より才能を持っていると思った人なんて、何人もいました。(勿論、今でもいます) ただ、自分自身に何が出来るか?これだったら人と勝負できると言う武器は何なのか?を考えて、今まで諦めずに(現実に追われながら)仕事を続けてきました。 その内に、その中の何人かは、色々な理由があって辞めてしまったり・・・気付いたら、今の仕事をするようになって15年程経過し、ベテランの領域に入っています。 自分自身、まだ大成をしているなんて思っていませんが、この世界でメシが食えるだけの物があって、仕事を頂ける・・・そこには、自分自身を(無理矢理)信じて磨いてきた物が、評価されているんだろうと、この歳になって今やっと言えるくらいです。 僕レベルですらそうなのですから、大成している人は、それ以上に失敗は何度もしているはずです。 失敗は恥ずかしかったり、悔しかったり・・・決して気持ちの良い物ではありません。 それでも前に進む勇気を持っている人だけが、同じ場所にいられると思っています。 (強いて言えば「続けられる」事が、才能なのかも知れません) 若さは、失敗の理由に出来る、僕のようなオジサンには持てない特権です。 「若いから」と許してもらえる内に、色んな事(好きか嫌いかを考えず)に思いっきりチャレンジをすれば、その先に何か(本当に好きな物は何か?とか)が見えるはずです。 勇気を持って、自分自身の可能性を探ってみて下さい。

  • blue-555
  • ベストアンサー率27% (162/589)
回答No.4

やりたい事を見つけられるのも才能かと。 やりたい事をみつけ、努力し成就させるのも才能かと。 有名人(プロスポーツ選手)は、才能を初めから知っていた訳ではありません。 まず初めに目標があって(これは親が決めた場合もあるが)、ひたすら努力し、成就させた結果です。 だから別のスポーツを選べばそちらで大成した可能性も十分あります。 質問者様の仰りたい事はわかりますが、ピンポイントで特定の才能を見つけられる可能性よりも やりたい目標をみつけ、努力し続けることだと思います。 プロスポーツ選手の多くも「才能」という言葉を嫌います。 99%の努力と1%の才能という奴です。 確固たる目標を決めた人の不屈の努力は、才能探し、自分探しで迷う人よりも物事を成就させる可能性が高いと思います。No.1になれなくともその世界のNo.10位内になれるかもしれない。スポーツ選手ならそれではだめかもしれませんが、医者ならNo.1でなくても必要とされます。他の職業も同様でしょう。 No.1以外は仕事が出来ない訳ではありません。日本で一番が無理なら県内1位、市で1位、その企業で1位 その部署で1位であっても十分需要があります。 ・・・人それぞれの基本能力に依存する部分もあると思います。 でも結局は、基本能力に差があっても努力しなければ仕事では通用しないと思います。 的外れですみません。

noname#246720
noname#246720
回答No.3

どこまで達成出来たら「才能」と呼べるのかという定義が曖昧なので、「才能」という言葉もよくわからないものだと思います。 例えば…スポーツの才能があると言われる人がいますけれど、どこまでいけたら「才能」でしょうか。 オリンピックで金メダルを取った人なら文句なしに「才能」と言われると思いますが、2位の人は?5位の人は…?それとも出場できただけで「才能」? もし、一つのジャンルに携わる地球上の全員に1位から最下位までランクをつけたとして、才能のあるなしの境界線は一体どこなのか、答えられる人はそう多くないと思います。 私自身、才能があると言われる事が多々あります。しかし私自身は「そんなに言われるほど才能はない。何故なら上には上がたくさんいるから」と思ってしまいます。別に卑屈になっているわけではなく、事実なのですから仕方ないです。 ただ私には誇れることがあって…それは、「これ!」と決めたことに対しては限界ギリギリまで努力できるという事です。体に不調をきたしても「死ぬ寸前まで頑張る!」というように思考がシフトします。 (でも実際に倒れた事はないので、無意識にセーブしているのだとは思います) 私自身は、この「頑張れる力」が有難くも備わった才能だと思っていますし、何事にも努力できない人は努力の才能がなかったんだなあ、と率直に思います。 ただ…この「努力」の上限についても、私より上は沢山いますし…そういう意味ではそんな才能も幻かもしれませんけれど… 「自分には才能がない」と言う人って、「才能」という言葉に逃げている気がします。 結局はやる気がなかった、限界まで頑張れなかっただけのこと。 本当にその道で生きる覚悟があれば、報われなくても何でも頑張れるものでしょう。 開花するのが来年でも50年後でも、開花するまでは「才能がある」なんて言われないですし… 質問者さんは絵の方向に才能が無いのではなくて、興味が持てなくなってしまっただけでしょう。 本当に興味があればとことんまでこだわれると思います。 失敗は何にでもつきものですし、失敗をしなければ前に進めないというのはかなり真理だと思います。 まずは失敗をする事を目標に!くらいの気持ちで何にでも挑戦してみては如何でしょうか。 取りとめのない文章で申し訳ないですが;宜しければご参考下さい。

noname#118636
noname#118636
回答No.2

やりたいことをやって、ぶつかって失敗して挫折した経験が少ない人が 才能って言葉を好むんだよね。 散々やって、傷ついて、もう自分の持っている物に何か限界がみえて、それで納得出来たら 才能が見つかったと言う事じゃないかな。 ようするに才能とは納得の問題なのです。 いま生きている自分に納得ができて、それで食って行けたら才能開花です。 自分を抑えている人、押さえつけられている人は、常に、自分の可能性を信じようとしてやっきになって頑張ります。 そういう躍起になっている人をエンドレスで叩いてたら無限ワンナップできるのが社会です。

  • bobuuu
  • ベストアンサー率25% (2/8)
回答No.1

私は才能という才能をみつけられたことがありませんでした。 現在も自分ではわかりません。 小さい頃からピアノを習ったが、全くスラスラひけない。 プールも6年通ったが、人並み程度。 なにをやってもそこそこで、才能が開花したなんてドラマの中の話だと思っていました。 今、歯科衛生士という職についていますが、自分にむいていると思ってこの職についたわけではありません。 むしろ不器用な自分には不向きだと思っていました。 専門学生時代も成績は中の下。 実技は補習ばかり。 実習でも怒られっぱなし。 うまく歯のクリーニングもできない。 何度やめようと思ったことか…。 でも、こんな私を雇ってくれた歯科医院では、あなたは器用だとか、クリーニングも早くて丁寧とか言われるようになりました。 誰の事言ってるんだろう?ってくらい、身に覚えのないことばかり褒められてとまどいましたが、それが自信につながり、今では確実に実力があがり、天職だと思っています。 才能って自分でみつけるの難しくないですかね? 周りの人って意外と冷静にみてくれるものです。 いろんなことに挑戦して、周りの人の刺激を受けるのも一つの手だとおもいます。 不向きだと思うことが意外とやれたりするものです。

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