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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死刑廃止論者の死刑執行)

死刑廃止論者の死刑執行

Sierra-5の回答

  • Sierra-5
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回答No.10

殺人犯でも死刑囚でも人は人です。人の形をした悪魔ではありません。私やあなたと全く同じ人です。血も赤い色のものが流れています。哲学的ゾンビでもなく、痛みも苦しみも感じる存在です。違いは偶然、糞みたいな育ち方をして、犯罪者になったことです。それこそ本当に"ビッチの息子"に生まれたことだけが原因かもしれません。 死刑容認派や、ちょっとおかしな死刑賞賛派の人たちはよく、人を殺したら生きる権利も認められないと言いますが、なぜ犯罪者の権利が制限されるか彼らはわかっていないのではないかと思います。本能的な報復感情にのみ従っているのかもしれません。その証拠に彼らになぜかと質問しても罵倒の言葉が帰ってくるだけです。同じく人を殺したら命で償うなどという意見もありますが上と同じことです。犯罪者の権利が制限される理由を考えてこなかったがゆえ、宗教の教義のように信じこんでしまっただけでしょう。 犯罪者の権利が制限されるのは、必ず、その制限によってそれ以上のメリットが得られ、かつそれ以上にいい方法がない場合のみであるべきだと考えます。すなわち、 ※犯罪者の権利を制限することが遺族の人たちの心情にとって必ずプラスになり、それ以外方法がない場合。 ※犯罪者の権利を制限することが唯一無二の犯罪抑止力となり、次に苦しむはずだった被害者を確実に助けられる場合。 ※そして更生のためにそれ以外方法がないため制限する場合。 このどれにも該当しない分の権利は、犯罪者と言っても同じ人間ですから、他の人間と全く同じ扱いをしなければなりません。 死刑にする、つまり命を奪う刑は、犯罪者一人の死によって、確実にそれ以上の人の命を助けることができて、かつ、それ以外の方法がない場合のみ適用されるべきです。 ですが、死刑が重大犯罪への抑止力として働くかどうかすら様々な議論の対象になっているところです。 ましてや他に犯罪抑止の方法が、代替として議論されている終身刑(私はこれを支持してるわけではありませんが)をはじめとしていくらでもあるのは自明であり、実際死刑廃止後に廃止前より低い犯罪率を達成している国もあります。 さらにこの抑止力以外の仕組みで死刑が他の人の命を守ることはありません。 遺族の感情を多少ばかりなだめることができても平等に考えればそのために死刑はやりすぎということになります。被害者遺族のことを考えるならそれ以外の方法で最大限の支援やケアをするべきでしょう。そしてそれが犯罪者を育て上げてしまった我々社会にある、間接的な責任でもあります。 死刑は犯罪者の命を不当に軽く見た結果なされる極めて感情的な刑罰だと考えます。 自由意志などを信じた人間による、悪い意志を持った人間は縛り首にしてしまえ、という、現代の魔女狩り行為です。魔術を信じて、悪い魔術を持った魔女を火あぶりにしてしまえ、といった中世の人間と全く同じ状態です 死刑賞賛派の人間は廃止派の人間に対して感傷に浸っているとか遺族の感情を軽く見ているとかひたすら中傷に走っていますが、こちらから見れば、犯罪者であれども一人の人間の権利を完全に無視して被害者側への感傷に耽け過ぎているのは容認派賞賛派の人間ですし、上で述べた理由から被害者の感情がどうであれ少なくとも私の意見は変わりません。 そもそも遺族の感情を軽く見なければ容認派に移るという考え方は、逆に言えばそういう遺族への感傷的な理由で自分は容認派にとどまっているんだよと容認派が自分で公言しているようなものです。 但しもちろん被害者の遺族の処罰感情を否定しているわけではありません。これらは当然のことでしょう。 しかし我々は第三者として公平な立場から何が出来るかということです。 上で述べたように、私は死刑は国家による殺人だという立場ですが、世界的にも死刑は間違いだと考えられ、死刑廃止の流れが加速する中、最近の日本の世論調査では死刑を容認する人間が全体の85%程度にまで達していると聞きます。 間接的にではあれども、主権者である国民はこの殺人の主犯格であり、今も刻々と手を血に染めているものと考えています。一度血に染まった手が清浄に戻ることは二度とないとも考えています。 そこにさらに死刑賞賛派の廃止派の話をひとつも聞かない不誠実な態度を見ていると、この人達は歴史という法廷に立たされたとき、いったいどうやって裁判官の目からその血に染まった手を隠し通すのだろうかと不思議でたまらないほどです。 死刑という不当な刑罰を受けた人間はいずれ加害者ではなく被害者として慰霊される日が来るかもしれません。殺された人間と殺した人間が隣同士の慰霊碑で同じ扱いを受ける日です。犯罪者を死ぬほど憎んでいる容認派はその悪夢の日をどう思うでしょうね。

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