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家族の死が怖い

家族の死が怖い 実家暮らしの女子大学生です。 数日前から突然、家族の死(特に母の死)を考えると不安で毎日涙が出るようになってしまいました。 先日までは平気で憎まれ口を叩き、母との喧嘩の際には(恥ずかしいですが)死んでしまえと言ってしまうこともありました。 しかしなぜか最近になって「もしかしたら明日、母が死んでしまうのではないか」という不安に駆られるようになりました。 とにかく母の側にいたくてめったにしなかった料理を一緒に作ったり、頻繁に話しかけるようになりました。自分でも驚いています。母を大好きだと思うといっそう不安で切なくなります。 家族の死を考え悲しくなったことはありますが、今回のようにこんなに強く不安を抱いたことはありません。 何か虫の知らせではないかと恐ろしく感じています。 アドバイスお願いします。

みんなの回答

  • Ksnk1b
  • ベストアンサー率34% (14/41)
回答No.6

もしかすると突然家族の大切さに気がついて、そのショックがあまりに大きかったために軽い強迫観念に捕われてしまったのかもしれませんね。 虫の知らせがあるのかどうかはわかりませんし、明日のことも誰にもわかりません。 私は両親とも60代で亡くしましたが、そんなに早くいなくなってしまうとは夢にも思わなかったので、親孝行のおの字もできませんでした。 他人から見て、いわゆる杞憂と云われるもので思い悩むのはあまり有意義なことではないように思いますが、あなたのようにお母さんと仲良くすることで自分の気持ちを伝えることはとても良いことだと思います。 ただ、今のように毎日涙を流すような状態はちょっと辛いですよね。 嫌なことを言うようですが、万が一お母さんにもしものことがあっても、あなたの年齢ならきっと立ち直って立派に生きていけます。 あなたが、より自立した大人になれるよう日々努力していくことで不安は解消されていくのではないでしょうか?

  • yamato1208
  • ベストアンサー率41% (1913/4577)
回答No.5

これは、相談者さんが「大人」になりつつあるからです。 喧嘩、大いに結構です! その中でも「死んでしまえ」は禁句です。 それに「心」が気付いたのでしょう。

  • LTCM1998
  • ベストアンサー率31% (238/747)
回答No.4

虫の知らせではないと思います。 言ってしまったことに対する後悔と,本来持っている「大好き」という気持ちが,混ざり合って気分に変化を起こしているのだと思います。 何もなければ不安に思うはずがないのだから,不安だと思ってはいけない,と決めていませんか。 それで「何もなければ」のところを,「虫の知らせ」つまり「何かあるのでは」と考えているのではないでしょうか。 涙を止めようとすると,頭ではおかしい原因だと分かっていても,よけいそこに思考が集中します。 「今日は思いっきり泣いてやる」と素直になったほうが,気持ちも楽になるはずです。 『論語』の一節です。 子曰く、父母の年は知らざるべからざるなり。一には以て喜び、一には以て懼(おそ)る。 (子曰く、父母の年はいつも念頭になければならぬ。一にはその長寿を喜び、一にはその老衰を懸念する) 喜ぶほうを忘れていませんか? いままで,お母様の誕生日になにかプレゼントするとか,なにかはしているのではないですか。 次のお母様の誕生日まで時期が遠い(たとえば6月だったとか)としても,「これから何をプレゼントしようかな?」「何してあげたら喜ぶかな?」と,時折計画を考えてみてはどうでしょうか。

  • mintmiko
  • ベストアンサー率21% (128/605)
回答No.3

そんなに不安ならば、病院にいって健康診断をうけてもらってみてはいかがでしょうか? もし、病気なら、早期発見できるかもしれません。 もし、突然不慮の事故で、離れ離れになることがあるかもしれません。 そうならないように、『気をつけて、いってらっしゃい』や、『気をつけていってきます。』の一言を さりげなく伝えるようにするだけで、もしかしたら回避できるかもしれません。 たとえば、いつ別れてもいいように、変な話が、きちんと自立する努力をいるうちから、しておいたり。 死別した後に、思い出して笑顔になれるような思い出をつくったり、その家族でしかできないこと(料理なら、その味付けとか。)を聞いておいたりして、自分の中にその存在を忘れないようにできるかもしれない。 不安に思う気持ちは十二分によくわかりますが、まだお母様、生きているんですよね? 私は父と死別しています。 病気でしたので、大体の死期も予測がついたので、その間はものすごく不安でした。 経済的負担より、精神的なもののほうが大きく、とてもつらかったです。 でも、生きていることをより大切に感じたり、大切にその時間をすごしたりすることができました。 亡くなったあとも、やはり、思い出しては切なくなって自分を見失ったりもしましたが、 親孝行は、何も親が生きているうちだけじゃないとの、知り合いの言葉で、救われたり。 生きている間にできることをすればいいのではないでしょうか? それこそ、泣いている時間がもったいない。 うらやましい限りです。 あ、でも、母は元気に生きています。 父の分も、母親孝行するつもりではいます。

me-sky
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 みなさんの回答を読むうちにだんだん気持ちが落ち着いてきました。 はい、母は生きています。幸い今は健康です。 確かに泣いている時間がもったいないですね。泣いている暇があったら少しでも多く一緒に楽しい時間を すごすべきですよね。 挨拶、大切ですね。これからは毎回、気持ちを込めて伝えることにします。 >>思い出して笑顔になれるような思い出をつくったり、その家族でしかできないこと(料理なら、その味付けとか。)を聞いておいたりして、自分の中にその存在を忘れないようにできるかもしれない。 この文グットきました。 ありがとうございました。

回答No.2

me-skyさん 虫の知らせかどうかということは、わかりませんが、あなたがお母様を大切に思い、一緒に料理を作ったりするようになったということは、とても素敵なことです。 あなたがご自分で言っていらっしゃるように、自分の親に対して「死んでしまえ」などという言葉を投げかけるのは、とても恥ずかしい、悲しいことです。あなたを責めているのではありません。人間ですから心の中にはさまざまな思いが生じるのは、自然なことですし、誰の心にも生じる思いです。ただ、私たち人間は、理性というものを持っていますし、良心というものも持ち合わせています。私も子供たちを育てる上でさまざまなことを経験し、言葉にしてきましたが、ひとつだけ決していわないと決めている言葉があります。「子供なんて生むのではなかった」という言葉です。 女性は「産む性」であるがために、子供を身ごもり、生み、育てるという大きな役割を担います。時には自分のキャリアや夢を、時にはもっと現実的にぐっすり眠るとか食べたいものや飲みたいものを我慢するという制約を受けることがあります。「子供さえいなかったら…」と一瞬たりとも、一度たりとも思わない女性がいるかどうか、私にはわかりません。けれどもほとんどの母親は、辛い時や苦しいときに、「この子がいてくれたから乗り越えられた」と心底思うのです。 今あなたが「家族の死が怖い」と感じ、お母様と一緒の時間を大切に思うようになったのは、あなたが女性として成熟し始めた証ではないかと感じます。「命のはかなさ」をそして「命の神秘」を感じ取りいつくしむというのは、成熟した女性に与えられるものだからです。 あなたはいずれ、この人と一生をともにしたいと思われる男性にめぐり合い、その人と家庭を築いていくでしょう。あなたのご両親は、あなたの人生の歩みを見守り、あなたの幸せを願うことでしょう。これらの営みはすべて、「命を尊ぶ」ことが根底にあります。 若いときは向こう見ずな考えをしていたとしても、人は必ず齢を重ね、やがては人生に終わりがあることを知ります。「恐れ」「不安」「悲しみ」といった感情は、かならずしもマイナスに働くものではありません。人生の中で、ふと立ち止まり、自分自身を省みるチャンスを与えてくれるからです。 あなたの優しさや家族への思いは、あなたの人生を豊かにしてくれることでしょう。今の思いを大切に、ご家族との日々の生活を充実したものにしてください。

me-sky
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >>今あなたが「家族の死が怖い」と感じ、お母様と一緒の時間を大切に思うようになったのは、あなたが女性として成熟し始めた証ではないかと感じます。「命のはかなさ」をそして「命の神秘」を感じ取りいつくしむというのは、成熟した女性に与えられるものだからです。 このような考え方をすると少し気持ちが楽になりました。そういえば私も来月で22歳を迎えます。誕生日の前にひとつ成長できたのかなと思うとうれしいです。 現在、就職活動の真っ最中で毎日将来のことを考え悩んでいます。もしかしたら就職活動の不安が今回の家族に対する死の不安に繋がったのかも知れません。 今こそ立ち止まってこれからをじっくり考えるべき時期ですね。 ありがとうございました。

回答No.1

何故だろう…自分も似た感じに陥った事がある。 ただ、自分の場合は自分の死について恐怖を感じてしまった。。 何故か、考えれば考える程失ったり消えてしまうのか怖く、死んでしまったら2度と皆と会えない。とか、死んだら次が無い。とかネガティブハートになった事がある。。 結局は、「人はいつか死ぬし、それは皆が遅かれ早かれ必ずやって来る未来」と考える事で、気が紛れた記憶がある。 うーむ。心とは難解な生き物です。 しかし、親を大切に思う気持ちは忘れてはいけないと思いますよ。

me-sky
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私はまったく自分の死への恐怖はありません。ただただ家族が死んでしまうのが恐ろしいです。 家族の死が怖くていっそ自分が先に死んでしまいたいほどです。 しかし私が死んで親の悲しむ姿を想像すると切なくなるので絶対親よりは長生きしようと思っています。 この衝動的な不安の意味は何なんだろう、近いうち親の身に何か起こるのではないかと思うと恐ろしいのです。 >>「人はいつか死ぬし、それは皆が遅かれ早かれ必ずやって来る未来」 たしかにそうですよね。 少し気持ちを落ち着かせて考えます。ありがとうございました。

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