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死について、どう考えたらいいものか分かりません。

私は25年間生きてきてずーっと困っていることがあります。それは死ぬということが異常に恐ろしくてたまらないのです。結婚してこどももいるのにどうしようもなく恐くなって涙が出て実家の母に電話したりします。こういう状態になることを自分では死ぬ死ぬ病と昔から呼んでいてこれがあんまり出ない時期もあるのですが、今北朝鮮の核問題のことなどで神経が敏感になって死ぬ死ぬ病によくなります。母には昔から「みんな同じように生きて死ぬのがあたりまえなんだから、そんなに生きることに執着したはダメ」と言われるのですが、どうしてもそんな風には思えません。昔働いていた美容室に来ていた精神科の先生に相談したら「死を思い浮かべて色を使って絵を書きなさい」と言われました。最初は暗い色しか使えなくても心の傷が薄くなるころには明るい色が使えるからと言われましたがあまり効いてません。心に傷があるなんて思ったことはありませんから。どういう風に死を思えば楽になるのでしょうか?せっかく生きているのに死に怯えて生きるのはもったいないと思うのに恐さは消えません。いいアドバイスがありましたら教えて下さい。

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  • nekosuke
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回答No.9

同じように悩む人が居るんだねぇ~っと思ったので書かせていただきます(^^; 私はまだ二十代前半だけど小さい頃…そうだな15・6位かな?その位まで「いつか死んでしまう恐ろしい…死にたくないし痛いのは嫌だ!!」と何かある度に考えてました。今思うとなんであんなに死を極端に嫌っていたのか、何故あれだけ悩んでたものが消えていたのか…この質問をみて考えてみました。 多分自分にゆとりと自信が持てるようになったからってのと皆いつかは死ぬしだからこそ一生懸命生きてるって事に気がついたからだと思います。 例えば「静」と「動」は全く正反対だけど無くてはならないものです。「静」があるからこそ「動」がある…光と闇も同じだし、皆何かに依存して言葉が生まれその意味が生きるんです。もしどちらかが消えたらお互いの意味が無くなってしまうし、ただ黙々と動きつづけるものと変わってしまいます。そうだな~時の流れと一緒でしょうね、止まる事の無い無限地獄…意味が無くなれば無限は苦痛と変わるのですよ・・。「死」と「生」も同じですよ。人はずっと生きている事は出来ないけどその代わり子孫を残し死んでいく…もし死が無かったらそれは無限地獄…ただ淡々と流れていく時・・今貴方が楽しいと感じ、死に怯え生きるのはもったいないと思えるのもそれが限りあるものだからだと思うのです。もし永遠に楽しいことばかりだといつかは飽きますし楽しいというものがなくなります。悩んだり辛かったり怒ったり出来るからこそ感情が生まれ楽しいと言う意味が出てくるのではないでしょうか? ちょっと書いてて自分で意味わかんなくなってきた(^^;(爆) んっと、結局私が言いたいのは恐さを受けいる事です。 貴方は死を恐いと思い怯えて生きててもいいのですよ。無理やり消そうと思わなくていいのですよ(^^)。死ぬことと生きる事は依存しています。誰しもいつかはやってくる出来事です。だから貴方は死に怯えながら一生懸命悔いの無いよう思うまま生きなさい♪時としてつまづき、でもいつしか前に向かおうともがくのが人です。 んっと・・死も生も自分なんだよ。自分を構成する(人生の)一部だからどちらかを批判すると自分を批判してることになるんだよきっと・・。 わかりずらくってごめんね(^^;

itomakomitumo912
質問者

お礼

今日、初めて投稿したのですがすごくたくさんの回答をいただいたことを感謝します。皆さんの言われていること、頭では分かるつもりです。焦らず、受け入れることができるようになりたいと思います。私がこんな風になったのは小学生の頃です。担任が平和授業にかなり熱心でとても恐ろしいビデオを何度も見せられ、うつむいたりしていると顔を手で画面の方に向けて押さえられていました。その頃は外で車のドアが閉まる音を聞いても爆弾が落ちたと思う程ビクビクしていました。平和授業は歴史を知ることは大事だと思うけれど幼い私にはいきすぎの教育だったように感じます。 皆さん、本当にありがとうございました!

その他の回答 (8)

  • sinnkyuusi
  • ベストアンサー率19% (639/3298)
回答No.8

『死』って恐ろしいものなのでしょうか? なぜあなたは死を恐ろしいものだと思いますか? 死んだ人には聞けないわけですし、こればかりは死んでみないとわからないですよね。 ですから、必ずしも死が苦しくて恐いものだとは思いません。 もしかしたらとても気持ちの良いものかもしれませんし。 僕はそう思っています。

noname#4735
noname#4735
回答No.7

それは大変ですね。やらなければいけないこととか捗らなかったりするんじゃないですか? 私は専門家じゃないけどアドバイス。私の場合は、いつか死ねるからこそ今頑張れると思う時と、やっぱり死ぬのって恐いなって思う時と半々くらいです。まだ20代なのであまり死について考えないですけど。。。皆他の人もそんなものじゃないかって思ってます。でもitomakomitumo912さんは、考えてしまうんですよね。死ぬのが恐いと感じてしまう気持ちを、まずそのまま受け入れてみてください。死ぬのが恐いと思うことは、(itomakoitumo912さんにとっては大変なことかもしれませんが)決して悪いことじゃないと思うし、人殺しする人よりは立派だと思います。それに、せっかく生きているのにもったいないと感じているなら、今悩んでいることはきっと無駄にはならないと思います。あせらず、自分を大切にしてあげて下さい。

  • K-1
  • ベストアンサー率21% (832/3844)
回答No.6

人間一度は死について悩み、寝ているうちに死んでしまわないかとか思い苦しみます。 ワタシもありました。 で、「死とはなんだろう」と正面から向き合うために、 本を読んだり音楽を聴いたり、映画を観て勉強しました。 生物的な死、宗教、著名人の死生観などなど。 自分なりの結論が出れば多少は「死に至る病」も軽くなるのではないでしょうか。 今のワタシの結論は「死は恐くない。でも生きていたい」です。 旨いものを食べたい、面白い映画、本などを見たい、いろんなところに旅行したい等々。 死の恐怖ではなく、生への執着ですね。 友人も似たようなもので、何時か来るその日のために、 生きていた証を残すためにモノを作ると言っています。

  • cueda
  • ベストアンサー率32% (117/358)
回答No.5

itomakomitumo912さん、こんにちは。 多くの方が死についてアドバイスを寄せているようなので、 同じくらいの年代の人間として、私は1冊の本をお薦めします。 私も死が怖く、いろいろ思い悩んでいました。 その後大病を患ったのですが、入院中読んだ本でだいぶん救われました。 itomakomitumo912にも、お奨めいたします。 読んだ後は死ぬまでよりよく生きようと思えるはずです。 「死に方のコツ」高柳 和江著 小学館(文庫)

  • LAMY
  • ベストアンサー率25% (249/985)
回答No.4

「死」に対する考え方や、意見については千差万別だと思います。 具体的なことは考えた事はないのですが、誰も知りえない事に考えを馳せても 「決定的な結論」は出てこないような気がします。 質問を読ませて頂きましたが、何故そんなに怖いんでしょうか? 経済的に残された人が心配なのでしょうか...ただ単に暗闇が訪れ、その闇に 恐怖を感じているのでしょうか...どうでしょう。 不謹慎かもしれませんが、ある雑誌の一説でこのような意味の事が書かれて いました...「魂とは偶然の産物で、命とは一瞬のきらめきである」...っと。 「執着」の意味とは異なりますが、ある程度はその場その場を一生懸命に生きる 努力は必要かも知れません。 その瞬間に納得でき満足した時間を過ごされ れば「執着」も少なくなるように思います。 (誰にでも失敗や後悔はあると思うので、どれだけ納得できるかだと思います) 何かやり残した事や不満があるのでしょうか...どでしょ? (「自分が生きていた軌跡を残したい」って人もいますよね)

  • toooo
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.3

こんにちは、生きているのなら生きる喜びを求めて御覧なさい。あなたの周りにも楽しいこと、嬉しいことが沢山るはずでする。あなたはそれらの事を後悔しないように全うすることです。死ぬことは運命です。誰にも決められないのは運命で、逆に言うと、生きる喜びはあなたに与えられた使命です。私は昨年11才になる長女を医療の落とし穴で亡くしました。本当にいい子でした。現在医療訴訟中ですが。死は恐れるものではなく運命として受け止めなさい。先の分からない未知を考えるより現実を、明日をどう生きるか、自分は何がしたいのか、生きている間に楽しい想い出をどれだけ増やせるか、望みを持ちなさい。望みをかなえるように努力しなさい。娘にも同じ事を言ったと思います。頑張れ

  • tips
  • ベストアンサー率14% (829/5762)
回答No.2

こんにちは。 自分もたまに、そういう具体的な死ぬ死ぬ病みたいな かんじではないのですが、おなじようなきもちになることがあります。 自分の場合は、胃の上のほうがぐーっと縮むような 押し出されるような感じがして、世界が回っている速度が はやくなって、ぐるぐるとしてきて、それにともなって 自分の意識が、すごくはるか遠くにいってしまったような かんじがします。 その状態は、30分ぐらい続くのですが、 たとえると、いま、この地球の表面の日本という国の ある町のある部屋のあるテーブルで紅茶をのみながら キーボードをぱたぱたと打っている自分が、ものすごいはやさで 空に向かって、ぐーっとあがっていって、あ、地上がどんどん とおくなって、飛行機に乗ったときみたいに だんだん、道も建物もわからなくなって、緑や海や、山がみててきて どんどんどのまま雲を突き抜けて、ぐわーっとなって とおくから地球をみているかんじです。 今生きているということを実感できるのは、脳だとおもうのです。 脳をもっているそのひと、そのひと、ひとりひとりにとって、 生きるって言う感覚や、生きていくうえでの感じ方、 生きている状態を感受する力が、ちがうとおもいます。 なので、いま、生きているというのは、もちろん事実だと思うのですが それをあまり意識せず、いまをすごしている、 遠くの未来をあまりかんがえず、ここ数日に集中して考えて いきていくといいとおもいます。 自分も、ふとした瞬間に、死ぬことを考えます。 死んだら、どうなるというよりも、もし死んだらここで すべてがおわるのだから、おわるっていうことは、同時にはじまりでも あるとおもうので、なにかまだわからないところで、 またちがう自分として、過ごせる場があるかもしれないなと いうことです。 そんなことをえんえんと考えつつ、自転車に乗っていると、 風景が、違って見えます。ときには、涙もでてきます。

noname#3912
noname#3912
回答No.1

こんにちは…。よくわかりませんが、ボランティアとかにかかわって見たらどうでしょうか? 必死で生きている人達のお世話をするとか…。がんばっている人達を肌で感じるというのはどうかなと…ほんとにわからないのですが、そう感じました。

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