- ベストアンサー
縄文海進って何ですか?
PAPの回答
約一万年前に氷河期が終わりを告げました。その後地球の気温が上がるとともに海面も上昇し、「海」が陸地に向かって「進んで」きたのです。海岸線が陸地側に移動したのですね。これが縄文海進と呼ばれるものです。一万年前というと丁度「縄文早期」あたりです。
関連するQ&A
- 縄文海進で最大何メートル海水位が上がりましたか
縄文海進で最大何メートル海水位が上がりましたか? ネットで検索するとさまざまな数値がでてきます。 1~2m説から最大10m説まで。 荒川の貝塚の位置をみてみると10mくらいあっても不思議ではないのですが。 ただ平均気温が2度上昇しただけでそんなに上昇するとは思えませんが。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 考古学・人類学
- 地球温暖化した時期には勢力強大な台風が発生していた?
たとえば縄文海進期の台風はどうだったのでしょう。 地球温暖化がかなり顕著な時期だったのではないでしょうか。その時代の台風は、いまより著しく勢力が増していたのではと思うのですが、どうなんでしょう。縄文人にとっては住居の問題など深刻だったのではないでしょうか?
- ベストアンサー
- 地学
- 縄文海進は海面上昇だけですか?
縄文海進(Holocene glacial retreat)に関して調べてみたところ、 ・海面が今より2~3メートル高かった ・縄文時代前期の約6,000年前にピークを迎えたとされている。 ・日本列島の海に面した平野部は深くまで海が入り込んでおり、香取海や奥東京湾を形成した。 ・気候は現在より温暖・湿潤で年平均で1~2℃気温が高かった。 がわかりました。 また奥東京湾について調べてみると、 ・東京湾は現在の群馬県、栃木県に至るほどに広域であった。 最後に、現在の群馬県に関して調べてみると、 ・前橋市役所の場所は標高 約108メートル ・貝塚で有名な群馬県邑楽郡板倉町は標高16メートル などがわかりました。 平均気温が1-2℃上昇、海水面が2~3メートル高かった、という推定事実と、標高16メートルの板倉町に貝塚があるという事実の三点が私の中で整合しません。 質問: 1.群馬県邑楽郡板倉町の貝塚は利根川でとれる淡水二枚貝(カラスガイ、マツカサガイ、ドブガイなど)ではないのか? 2.縄文海進は水面の上昇だけが原因とされているが、やはり地盤の沈下があったのではないか?(海面上昇3メートル、地盤沈下13メートルであれば、板倉町に海岸線が来る) 縄文時代の地理、海岸線などに詳しい方より、アドバイスをいただければありがたいです。
- ベストアンサー
- 考古学・人類学
- 縄文時代のクイズ
小学6年生の子供が修学旅行のバスレクで縄文時代のクイズを出題する事になりました。 縄文時代のクイズと言われても、どんな問題がいいのか思いつきません。 何かいい問題はないでしょうか? 引っ掛け問題ではないものでお願いいたします。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- 縄文住居と弥生住居。
縄文住居と弥生住居の違いは何ですか。 紀元前のある時期、後世、弥生人と呼ばれる人びとが日本列島にやって来て、縄文土器とは明らかに異なる土器を作りました。 弥生人は、住居も作ったはずですが、縄文人が作ってきた“縄文住居”とは、どんな違いがあるのですか。 鉄や水田稲作の技術をもつ弥生人は、同じような竪穴住居を作っても、縄文人が作った“縄文住居”とはどこか違っているのでは、と思っています。 弥生人が初めて北九州へやって来て、定住し始めたころの住居がどんなものだったかは、ある程度分かっているのですか。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 割れない縄文土器の作り方
割れない縄文土器の作り方を教えてください。 この前、縄文土器を作って、野焼きをしたのですが、割れてしまいました。つなぎ目に空気が入っていたのが原因のようです。 割れない縄文土器の作り方、コツなどがありましたら、教えてください。
- ベストアンサー
- 考古学・人類学
お礼
ありがとうございました。