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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:私は神になりたい)

私は神になりたい

AXIS_の回答

  • AXIS_
  • ベストアンサー率12% (9/71)
回答No.15

 他の回答者と同じ言葉を、違う意味で使ってしまったようですので、補正しておきます。 ×感謝を超えて、創造・分別できるようにまでなれば、神の仲間入りです。 ⇒感謝を超えて、識別による認識能力が増し、精妙な感性が養われることにより自然と行われる創造ができるようにまでなれば、神の仲間入りです。  絵の具の色を見分けることが出来なければ、白黒の絵しか書けないですからね。  なお、No.12さんの助言は人として全うするには申し分ないと思います。

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     せめて神についての勘違いをただしておくことまでは出来るのではないか?  これは 日本人に限るのではないと考えますが 次のような思い違いが 目立ちます。  A. 神は 精神であるという勘違い。   ――勘違いでなければ 精神を持つ人間がそのまま 神であることになる。  B. 宗教を信じるという矛盾した言い方。   ――宗教とは いっぱんに教祖・教義・教団を前提とするゆえ 人間の能力    にかかわっている。      これを・つまりは要するに人間の存在および能力の一般をけっきょくは    信じるというおかしなことになる。  C. オシエを信じるという間違い。   ――オシエは 人間の言葉で表わされている。ゆえに人間の身体=精神的    な能力とその行為成果であるに過ぎない。      やはり 精神主義的な人間信仰となってしまう。  D. 要するに 神を人間の理性や想像力によって 表象しうると思っている間違い。   ――表象し得たならば その対象物は 人間の行為成果である。想像力の    産物であるに過ぎない。人間のつくった神でしかなく いわゆる近代人の    《人間の能力》信仰となる。  ひとことで言えば 偶像崇拝という勘違いが多く見られるのではないか。理念や観念としての偶像(つまりアイドル)がそこら中に見られます。  偶像は偶像として――つまり信仰内容としての《おしえ》を取ってみても それは それとても神の知恵についての仮りの表現でありそれとして観念の偶像であるのですから その偶像は偶像(仮りの表彰)として――扱えばまだしもいいのであって しかるに偶像そのものを 後生大事にする片向きがあるように映ります。        *  同じく神は 何でないか? について考えます。  1. じんるいは それぞれの言語に分かれてではあるが どこでも《信じる》ということばを持つことになった。またその対象は 言葉として広く言えば《かみ》である。  2. この《しんじる》という言語習慣は 科学万能と見られる時代になっても消えないで残っており じっさい使われている。  3. では ならば この《しんじる》という概念を定義せよ。  4. もし固有の意味がある概念だとすれば それは 《かみ》を 人間の能力によって分かるか分からないかが分からない非経験の場に想定する場合であり その場合のみである。  5. ということは 非経験だとすれば 精神のハタラキにとっては 思考の場ではなく 非思考の場であるとなる。言いかえると 神は 人間の精神ではない。  6. 精神を超えたところの非経験の場が 人間の精神(つまり 身と心)に接している。ないしそれをつらぬいている。あるいは そこにやどる。  この非経験の場が わが心なる非思考の庭となるかのごとく人は 神のおとづれを聞いたという場合が起きる。  これをそのまま受け容れたというその行為を《しんじる》と名づける。むろん 主観の問題として言っていることである。  7. その神をさらに細かく《存在する神》として受け容れたなら 有神論としての信仰になり そうではなく 《無い神》として受け容れたなら 無神論としての信仰となる。どちらも《しんじる》である。  8. 神は存在すると見ても存在しないと捉えても どちらも互いに同等の《信じる》行為である。  非思考の庭なるナゾを 思考の緑野においてその《有る・無い》という概念で仮りに代理として受けたかたちが そのまま二つに分かれて現われただけのことである。非思考の庭は 経験事象としての有る・無いを超えている。  9. ○ (ワタシなる存在における自然本性の成り立ち) ~~~      非思考の庭(クレド=しんじる。心の明け。直感・ヒラメキ)    ____________________    思考の緑野(コギト=かんがえる。⇒田園および都市)    感性の原野(センスス・コムニス。直感かつ直観)    ____________________   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  《心の明け》というのは 心がいろんな名のあらゆる神に対してあるいは《無い神》に対しても閉じられていないことである。  10. 有神論の神は さらにわざわざ名前がつけられる。ヤハヱー クリストス アッラーフ ブラフマン アミターバ マハーワイローチャナ等々。どの名前をつけようが・そして《無い神》と称しようが 神はすべて同一である。全体としての一である。  と言うより 神が人間のつけたその名によってそれぞれ違っているということがあり得ない。  11. 特定の名前をつけた神について その説明やらあるいは信仰者の神体験などなどやらとして たしかに《物語》が語り出されてくる。  12. むろん物語も 神についての仮りのしるし(つまり人間のことば)を用いての代理表現として編まれている。その文字どおりを神と採ってはならない。文字は殺し 霊は生かす。  《神》という言葉じたいも ただの代理物であり 仮りの表現である。  13. 《むさぼるなかれ》という戒めを そのまま神だとすることは いただけない。文字は殺し 霊は生かす。  物語も同様である。言葉・文字をとおして表現されたものは すべて非思考の庭から思考の緑野に降りて出て来ている。この仮りの代理の場をとおして 神のナゾを望み見なければならない。その展望の茶店は わが心に成った非思考の庭である。    14. だからオシエは 思考の緑野に属しており それが非思考の庭の神だということはあり得ない。なのに教義や宗教を信じるという言い方をする間違いが見られる。    15.エトセトラ。エトセトラ。  16. まとめて 神は何でないかまでは人間が明らかにしうるのではないだろうか。  さらなる探究へと 思いっきり自由なご批判をあおぎます。

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     1. 永遠に生きるわけではあり得ないわれわれ人間は どうして 《永遠》という言葉を持っているのか?   2. 永遠については 分かっていないのぢゃないか? 分かったというのは 死なない人間だけであるはずだ。  3. 定義し得れば 分かったことになるのか? 仮りにあたまで分かったとしてもそれをほんとうに《分かった》とは言わないゆえにこそ その永遠を《神》に当てはめているのではないのか 人間は?   4. なら何で神は 人間の精神や観念であるのか?   5. 何で神を人間がつくった言葉であり概念だと言うのか?    6. 言葉じたいは 人間がつくったのかも分からないが 永遠を一体どうやって人間がつくったというのか?

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