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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「柔道」と「柔術」の違い。)

柔道と柔術の違い

uissuの回答

  • uissu
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回答No.8

長い補足はわざわざありがとうございます。 すみません。所々で補足要求させてください。 >まず素朴な疑問として…「あなた」=「柔術そのもの」なんですか? そして「あなたが思う存在意義」=「全員が思う存在意義」なんですかね? >非常に都合が良いんですね、この「本来の」という言葉は。 ですから、きちんと定義してお話していただければ幸いです。 ●随分挑発的に書かれますね。 「本来の」という言い方に傲慢さを感じられたのならお詫びいたします。そこは、「私がいままで知り得た柔術では」とお読み替えください。 ただ、柔術をきちんと定義することは難しいと思いますよ。だって、江戸時代には100を越す流派があって、戦国時代からの甲冑組討術から、江戸時代に発生した素肌柔術と、様々な流派があるのですから。僕は柔術の概要として書かせていただいたつもりです。 >再三申し上げている通り、両者は確かに違うものですね。しかし、その違いがあなたの仰る言葉に集約されているとは思えません。以前のお話にもあった通り、柔道も柔術を経て柔道に到ったわけですからね。 >武器術のことを語る場合も、棒や剣や鎖鎌や…槍や薙刀や弓矢でも暗器でも何でも良いんですが、それを状況に応じていつでも使用出来る状態で、現代の柔術家は持ち歩いてはいないですよね(まぁ中にはいるんでしょうが)。 >あなたの言葉を借りれば、その種の「軍隊格闘術の要素を必要とされた柔術」は、あなたのいう明治に平和な世が訪れた時点で必要とされなくなったんですよね。 >それがどうして現代の柔術の本来の姿になるのでしょう? ●現代の柔術とは例えば何流の柔術を指しておっしゃられるのですか?それによって回答も変わりますので補足をよろしくお願いします。 >起源や変遷を知るための「時代考証」から現代を抜き取ってしまっては、話がめちゃくちゃになってしまいます。 >あなたが仰る柔術は遠い過去のものなのに、引き合いに出す柔道はテレビに映る試合における柔道だけ…これではちぐはぐな比較、短絡的な結論と言われても仕方ありません。 >柔術の方は「殺し合い」の面だけを語り、柔道の方は「試し合い」の面しか語らない。 これを私は「公平性を欠く視点」と指摘させていただいているわけです。 ●短い文章でお伝えしたいことを書くことも難しいですね。 別に、僕はテレビに映る試合における柔道だけを見て柔術と比較したわけじゃありません。どこの文章からそう決め付けられたのでしょう? 僕自身、昔、柔術と柔道の違いにとても興味を持っていろいろ調べた時期がありました。 柔道の形の本2冊買って講道館護身術の本も購入し、柔術関係は竹内流、大東流、浅山一伝流、柳生心眼流等の書籍を購入し、気楽流と柳生心眼流の師範には直接会わせて頂き、技を掛けて頂きお話も聞くことが出来ました。その今まで得た知識から書かせていただきました。 ここで補足要求します。 僕の意見が短絡的とおっしゃるならば、あなたの今までに見てこられた柔術の流派と技術内容を教えて下さい。そして、あなたの言う柔道はテレビに映るスポーツ柔道を指しているわけではないのでしたら、現在残る柔道の形についての認識をお聞かせください。まさか、そういった知識も無く人の意見に「短絡的」という烙印を押される方ではありませんよね。 >また、当身も武器術も積極的に稽古する柔道家もいますし、その存在を無視して一方的に決め付けられませんね。 >私はあくまで「柔道に当身がない」と断ずる人に対して、当身を含めて稽古している人もいるし、技の段階でも完全に排除されていませんね、というお話をさせていただいただけです。 ●いや、柔道の形の中では「極の形」というのがあって、ちゃんと当身が入っている実戦形があるんです。でもどの道場でも教えてないでしょう? そういう当身を教えない今の柔道で、個人で当身や武器術を練習した人を柔道として扱うなら、華道や茶道をやっている人だって当身や武器術を独錬した人が「華道や茶道にも当身や武器術があります」と言えますよね。おっしゃっていることは短絡的だと思います。 と言うことで、補足要求よろしくお願いします。

lagob
質問者

お礼

上記書き込みはあくまで私個人の武道観です(書き切れませんでしたが)。 それを先に語った方が真意を伝えやすいとの判断から書かせていただきました。 返事を待つのが面倒な場合は、チャットなどでもお答えしますので、ご遠慮なく要望をいただければと思います。プロフィールに連絡先を書いておきます。 必要ない場合は…出過ぎた真似をお詫び申し上げます。 本題です。 傲慢どころか「本来」という耳障りの良い言葉で飾って普く行き渡る存在意義として述べたわけで、嘘つきと受け取られてもおかしくないですよ。単刀直入にお聞きしただけなのにそれが挑発的ですか。 現に、あなたが恣意的な表現をしていたのは事実で、「今まで私が知り得た柔術では」と言っていただければ私は疑問を持ちませんでしたよ。そして数ある「柔術」をきちんと定義するのが難しいというのであれば無理にしなくても結構です。歪曲するぐらいなら「きちんと定義するのは難しい」の方が誠意のあるお答えでした。 ただ「存在意義」って根幹に関わるお話をしながら概論だからでお茶を濁すのはどうかと思いますが。 流派や時代で技術体系が異なるのであれば「柔術の存在意義」はあなたが思うだけのことで、別に客観的に説明出来ることではないんですかね。あなた知り得た本来の柔術は剣取り、棒術、鎖鎌術などがあるそうですが、それが特定の流派に限定されたお話だとすれば、概論と各論で「柔術の存在意義」も変わってきませんか? 「戦場格闘術」は武器術の有無によって「戦場格闘術」足り得るわけですか? 人殺しの技があれば何でも「戦場格闘術」足り得ますか? 「本来の柔術」「柔術の存在意義」どちらも私が言い出したことではありません。 私が「柔術の知識合戦しよう」とでも言ったのならともかく、いきなり「流派を言え、技術を言え」と迫られても当惑します。あなたは勉強熱心なようで尊敬に値しますが、議論がいつでもあなたの得意分野で交わされるわけではありません。 ここでは特に流派に関する詳しい知識は必要ないのでご安心ください。 あなたが注釈なく「柔術」と仰って、そこに特定の条件を除外する注意書きがなかったので、それぞれの言葉の定義をお聞きしたまでです。あなたの論理に整合性を求める意味での質問だったので、別に知識を披露すれば解決出来るという類のものでもありません。 そして、これはあなたの誤った表現に対する問いだったので、説明を受けたらすぐに疑問もなくなりました。 それから「ルールを決めた試合の中で徒手対徒手の勝敗を競う柔道」と私が言った「テレビに映る試合ににおける柔道」と内容に違いがあるのならお詫びします。テレビに映ってるかどうかみたいな差ですかね…でしたら申し訳ありません。 短絡的とは「戦場格闘術としての柔術」と「スポーツ柔道」を比較して存在意義が違うと結論づけたことについての感想です。「戦場格闘術としての柔術」が明治時代に廃れたとあなた自身が仰ったので、少なくとも現代に残る柔術はまた違った柔術であるはずなのに「試合の柔道」と「明治以前の柔術」を比較したので不公平だなと。 そんなわけで「短絡的な結論と言われても仕方ない」という私の感想に別におかしな部分はないように思います。 それに個人の感想に必ずしも専門的な知識は必要ないと思います>< ●「極の形」というのがあって ですから…「柔道に当身はある」が事実ですよね? そして世界各国のあらゆる柔道場を回らないうちに「どの道場も教えてない」ともあなたは言い切れないのですよ。あなたの知り得る柔道場では…という意味なら納得しますけどね。 少なくとも私の周りにいる柔道家は口を揃えて「道場で習った全く意味のない当身」と言って見せてくれましたよ。積極的に投げ技や寝技を稽古しているだけで、彼らはそれ以外のことが「出来ない」わけではないんですから。 意味のない当身を意味のある当身に変えるのも工夫改良でしょう。 武術家にも武道家にも様々な思惑の人がいるわけですから、一概に言い切れないと言っているんです。 選手が試合で公式ルールを遵守するのは当たり前ですが、武道として学んでいる人がそんなルールに縛られる必要がどこにあります? ●「華道や茶道にも当身や武器術があります」と言えますよね。 強引ですね~…。 武道家が学んだ技を工夫すること、あらゆる状況を想定して稽古を積むことは当然でしょうね。しかし私は一武道家がすなわち武道そのものだとも言ってません。そんな茶道家がいても、個人が「茶道全体」を代弁するのは烏滸がましい話です。でも、存在を知っているのなら「そんな茶道家がいない」とはまた言い切れないわけです。 まぁ、芸道と武道は違うんで答え難いですけど…。

lagob
質問者

補足

再び回答いただきありがとうございます! また長いかも知れません(笑)。 まず、大前提として武術・武道はスポーツとは違うものです(スポーツ柔道と自ら銘打っているものは当然スポーツです)。 この大前提に違いがあるのであれば、以下はお読みいただかなくて結構です。 柔道が世界的に普及してオリンピックスポーツなどにもなっているので誤解されやすいですが、それはあくまで一側面で、柔道は武道としての側面もあります。完全なスポーツではありません。 いかに世間で競技性だけが取り沙汰されても、試合は武道においては稽古の一環です。ただ、自分をスポーツマンと称する柔道家、強さを求めて武道を捨てスポーツの世界に入った(元?)柔道家がいるので、柔道はスポーツと素人が感じるのも無理はありません。 一方、武術や武道に身を置くいわゆる経験者の方達はどう思っているのか。 武道の側面を持つと理解されている方もおられますが、中には「極真空手家は顔が打てない」とか「柔道はスポーツだ」とか言い切る人がいるのも事実です。そんな人に「それは試し合いの場、ルールがあるからスポーツと同じで当たり前、殺し合いと話が全く別」と説明してもなかなか伝わりません。 素人の印象なら仕方ありません。スポーツ格闘家の方(ボクシングや総合格闘技)の印象でも仕方ありません。しかしもし武道に触れたことのある人、今も学んでいる人が一概には言えないことを断定した時、武道家をスポーツマンとしてしか捉えていないから、そんなことが言えてしまうのではないか…と思ってしまいます。 日頃から武に身を置いて「戦うこと」を年中考える人が、どこまで行っても筋力やら技やら…詰まるところ「殺傷能力」にしか強さの基準がないとしたら、浅はかなことこの上ないですね(虎眼先生)。 また、武道の精神も同じことが言えますね。指導者の言葉を何でも鵜呑みにして「人と仲良くしよー、人格者であろー、俺たちの技術はすげー」と意味も考えず繰り返すのはただの思考停止です。 武道を学ぶ者がそれぞれ頭を使って戦うことを考えて、強さを考えて、そして強くなるためのその努力を怠らない。 それは街の喧嘩でも、恋愛でも、仕事でも、相手が害虫でも動物でも、お金でも家族でも国家でも、事故でも、病気でも寿命でも…あらゆるものを含めた、あらゆる条件が可変の「なんでもありの実戦」の中で自分の勝ちを積んで、いつしか普遍的に発揮出来る強さを得るからこそ、一朝一夕では身につかない成熟した知性を持ち、自然と分を弁えた振る舞いになる…ということに繋がるわけです(例えばね)。 色んな可能性を勝手に省いた特殊な状況下の「実戦」は物語を作る人にでも任せておいて、戦いを知る人は戦うその理由も、政治的法的論理的正当性も考え、犠牲も出さず戦わずして勝つことも、戦わなくて済むようにはにどうすれば良いかもいつも考えねばなりません。そして、どうして人は平和を守らねばならないのか、強い人間がどんな人間かを伝えるといったことも必要になってきますよね(まぁ、テレビに出る柔道家は真逆を行ってますが)。 鍛えた体、武器、技術や戦略を持っていれば勝てる、それは素人の発想です。 戦い方なんて数え切れません。徒手、武器を用いた格闘術なんてその一部でしかありません。 そんな素人に対して「戦いの専門家」である武術家、武道家が真面目に語る強さが「もし宝くじが当たったら…」というような荒唐無稽な状況設定で、その内容が殺人賛美みたいな内容では失笑や失望を買うだけです。 とまぁ、色んな意味で自らを律することの出来る人格者が「戦う仕様」であることは、周囲の人間も心強いことではないでしょうか。山賊でもあるまいし野蛮性・危険性を誇って威光を轟かせるのではなく、安心を与えるというのも武道家の一つの役目と言えるでしょうね。 武術家、武道家でさえ直接殺し合いをする時間より、しない時間の方が遥かに長いんです。では殺し合いをしてない間はずっと「休憩時間」ですかと言えば、そうではありませんね。スポーツと違って武道はずっと本番なんです。 ということだけ考えても「武器術」とか「実戦性」とか「柔術の流派が」とか「柔道の形が」などの手法から武術家や武道家を比較することがいかに瑣末かという話なんですね。 殺傷能力だけを求めるなら古風な武器に拘らずとも別に軍隊でもミサイルでも毒でも、それこそ徒手でも良いわけで、何でもかんでも実戦性は高いですよね。 護身術という観点でも夜道を一人で歩かないことがなどもまた立派に実戦性を持つわけですから、私はやっぱり手法に本質があると考えるより、それらを学び状況に応じてどう活かすかという頭の働きこそ「武道精神」と呼ぶに相応しいのであり、不可分一体の心技体が意味するところに繋がると思います。

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