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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「柔道」と「柔術」の違い。)

柔道と柔術の違い

takeshi46の回答

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回答No.5

確かに質問者様のお考えももっともだと思います。他の方々がおっしゃっているように単純に「名称」としての差というのが僕としては大きいかと思います。 「柔術」という言葉が一般的になったのはある意味逆説的ですが「柔道」が誕生してからです。既に他の回答者様もお書きになっているように江戸時代以前の「体術」を中心とした武術の体系が複数あり、様々な名称で呼ばれておりました。それを「柔道」誕生以降、対概念として十把一絡げ的に呼ぶ名称として比較的多くの流儀で使われていた「柔術」を使うようになったというのが名称の発生と言えます。既に指摘されているように柔道は複数の柔術の技法を創始者が物理学的な観点から共通の「こつ」を見出し「崩し」と命名し、学び始めた人間にも分かりやすく指導をする方式を取るという技術体系並びに教伝体系を整えた武術というのが僕の持っている考えです。そういう概念から言って、柔道と柔術には大きな違いは無いといえます。また、あまり知られていないことですが、柔道にも「五方の当て」という当て身技があり、「古式の型」も伝えられ、昭和50年代の講道館の鏡開きでは甲冑を着けた演武が行われていたと聞いております。 武術はその発生が様々でありますが、江戸期においては武士が戦闘技法として学ぶと同時に結構庶民も学ぶ機会が合ったと言うことです。そういう意味では戦闘を行わなければならない時代には命を守ったり、ある意味「金銭」や「出世」のための道具であったと言えるでしょう。それが平和な時代になると武士の教養的な側面(武士は建前として戦闘者である必要があるためですね)や社会体育的側面を自然発生的に備えていったとも、残されている記述から考えることも出来ると思います。その中で、封建制度の解体、身分制度の解体(正確には華族がいるのでその限りではありませんが)の中で、ヨーロッパ等の西洋社会から正に「社会」という概念と武術が結びつくことで、新たなスタイルとしての「武道」が生まれたと思えます。その流れから、運動を行うことで「精神修養」「人格形成」を強く訴え、より社会的運動行為として喧伝された時代でもあります。では、「柔術」ひいては「武術」に「精神修養」「人格形成」の面が無いのかというと、それはあまりにも「武術」を知らない考えであるといえるでしょう。「武術」を習得しある程度の技能を持った人間の「精神修養」「人格形成」が語られる逸話、挿話の類は多々あります。逆に、現代の「武道」を学ばれている方の中にはあまり言いたくはありませんが、一般の方が思われている様な「人格者」が量産されているとは思えないニュースを聞くこともあります。 ただ、やはり明治時代の「柔道」創始者のプロパガンダが非常に上手かったといえるでしょう。「柔道」が生まれてから100年以上経ちますが、当時のプロパガンダが多くの日本人の潜在意識にまですり込まれている現状を見るにつけそう思います。 僕としては技術的な面や人格形成的な面において優劣は無いと思います。十分に「柔道」も学び方次第では殺人術として恐るべきポテンシャルを持っているといえるでしょう。ただ、日本では「神武不殺」の考えがあるので、「柔術」でも殺人技をおいそれと教えることは無いのですが。

lagob
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます! 質問自体を明確にしようという理由があったとは言え、誤解を招くような部分があったかも知れません。 「柔術=精神性を軽んじる」 「柔道=精神性を重んじる」 と受け取られた方がおられましたら、決してそのような意味ではありませんのでご理解のほどをよろしくお願いいたします。 さて、当時存在した数多の流派の中で「精神性は無視しなさい」という積極的な教えがあったとは考えにくいですし、美徳であったからこそ「逸話」として優れた人格者でもあった姿が現代に残っているのでしょうね。 ここで重要になるのは創始者は「何を前面に押し出したか」ということであり、独立した理念という意味でもtakeshi46さんのお言葉にあるように「強く訴えた」のが柔道だったと思います。そして宣伝方法が巧みであったことに加えて、日本人の気質に合っていたという部分もあるのでしょうね。 声高に語っていないという点だけ見れば、柔術家が精神の重要性を説いたことはただただ賞賛に値することで、仮令軽んじたとしても、それは恥にはなり得ないと思います。 一方、それを重んじますと前面に押し出した柔道を見た時、精神を鍛えることは当たり前のことで、それが出来ていない場合は恥になり得ると思うわけです。 そういう意味では現代の武道団体に課せられた責任は非常に重いと思います。 柔道を学ぶ方には少し厳しい表現になると思いますが、確かに「人格者」を量産している武道団体とはとても思えない機会が多々ありますね。メダルしか頭にない柔道家も多く、育てる側も大半は試合の実績にしか興味がないようです。大会で結果を出せば良い、技が上手になれば良い…という態度は見えても「本当にそれだけで良いのか?」と懐疑的な部分は正直あまり感じられません。 試合で勝っただけ(敢えて“だけ”と言わせていただきます)でガッツポーズをとる柔道家の姿も問題ですね。試合で勝つも負けるもあくまで稽古の一環に過ぎず、相手に礼を欠いた行いは非難こそすれ褒めるには程遠い態度である…と、それは余りにも穿った見方でしょうが、一つの考え方として間違っているとは思いません。 このような物言いはスポーツとして柔道を学んでいる人と、武道として柔道を学んでいる人を混同しているように聞こえるかも知れませんが、日本に浸透している柔道はほとんど一派しかない以上、本質が変わっていないと主張するのであれば、半ばスポーツマン化した柔道家が晒す恥は全体の問題として受け止め、在り方を正すべきだと思います。 完全にスポーツとしてのみ発展を目指していくのなら武道と別れを告げる旨は明確にすべきで、半端な立ち位置ではスポーツとしても、武道としても非難を受けることになると思います。 takeshi46さんが仰ってくださいましたが、柔道にも当身はあります。 そして、スポーツとしての側面で語るのであれば柔道に限らずルールは存在します。 柔術がいわゆる「禁じ手」を解禁して語るとすれば、柔道も等しく解禁して語らねば公平とは言えません。スポーツの面で技を禁止しているからといって、柔道家がその技を使用出来ないと考えるのはやはり短絡です。柔術家が殺人術を使いこなせると考えるのも短絡です。それは人次第であり、使い方次第でもあるでしょう。事実に反した内容で他者を糾弾することは、無用な怒りを生むことに繋がります。 技術面も精神面も差異こそあれど、優劣は生じない。 名前が違うことには理由があり、また来歴がある。 公正な視点に徹し、慎重な言葉選びで説明してくださるtakeshi46さんのような方ばかりであれば、今回の疑問を発するには到らなかったと思います。 >より過激で危険な状況を想定しているのが柔術。 >殺人術という観点で言えば、やや温いのが柔道。 そんな認識が横行しているとすれば、その原因はやはり柔術にも柔道にも、それを見る人にもあるということですね。 しかしながら、門外漢に責任の大半を求めることは単なる言いがかりにしか過ぎないことを考えると、やはり武術団体、武道団体が掲げる「精神」はただ単語を繰り返すだけのものではあってはならず、ある段階までは論理的に説明出来るものでなければ著しく説得力を欠くものになると思います。 「実戦とは戦闘(喧嘩)のこと。それに勝つことが強さ」と簡単に言えてしまう経験者が多くなってきたことを考えると、全体的な質の低下を意味していると言わざるを得ないと思います。 これは長くなりそうなのでまた別の機会にします(笑)。 takeshi46さんを始め、お答えいただいた方々には深くお礼申し上げます。貴重なお時間を割いていただき誠に恐縮です。

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