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試練は誰があたえるのか?

人生はいろいろありますよね。 僕は何かの壁にぶち当たるたびに、試練は神があたえる。 と、つい最近まで思っていました。 しかし、よくよく考えれば試練は神があたえるのではなく 人間があたえているのでないでしょうか? ちなみに、僕はよく仕事で怒られて、嫌な気分になるのですが、 これはあきらかに人間が僕に試練をあたえているものと思われます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.6

試練はただそこにあるだけだと思います^^ 現象は止まることなく流れていきます、一瞬一瞬の試練(今何をするか)をどのように対処するかによって、次の試練が自分にとってどのっ程度、「楽にこなせるか」「困難になるのか」が決まっていくのだと思います。 自分にとって印象深い事柄だけが試練ではないと思いますよ。 この瞬間瞬間、どのような考え方をするか、どのような言葉を使うか、どのような行為をするかによって、どのような感情なりやすくなるのか、や、考え方・言葉・行為の自分の選択肢の幅が決まっていくのだと思いますし、それらの選択によって、周りの対応が変わっていくのだと思います。 瞬間瞬間を地道に着実に自分が幸福になれるように考え・言葉・行為を調律しながら徐々に選択の幅をよい方向へ持っていくように精進していくしかありませんよね。 全ての現象に対する思いは自業自得でしょうから^^ ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

その他の回答 (8)

  • sarasa24
  • ベストアンサー率18% (6/32)
回答No.9

試練とは因果応報だと思います。

rin00077
質問者

補足

みなさん まことにありがとうございました。 たいへん勉強になりました。 またよろしくお願いいたします。

回答No.8

両方あると思いますよ。 たとえば、 最愛の母が急性白血病になったと知らされて、、、、(人間が与えた試練とも思えぬ) 仕事の規則を守らなくて上司に注意されて、、、、、(神が与えた試練とも思えぬ) 神が与えた試練には乗り越える価値があるが、 人が与えた試練には乗り越える価値が無い。 というように、誰が与えたか、によって対応を区別する意味はあまりないような気がします。

rin00077
質問者

お礼

はい。自然災害などは神が与えた試練なんでしょうね~ ご回答ありがとうございました。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.7

>試練は誰があたえるのか? 自分自身。

回答No.5

最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事に よって生じています。 自我仮説に対する相補的な時空仮説における、他我性こそが宇宙 (無の無限の闇に対する自我の射影)。 全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った) 補完なのです。 「全てのものが自己が存在するための必要」ならば、生きる事自体が 自己の意志の充足であり、何も「ぶつかる物」などないはずです。 要するに、そこに「ぶつかる」のは、自己存在の本質を認識しない 愚かさに基づく意志による自己矛盾に過ぎません。 「試練を与えている(自己存在の本質に根差した社会生命としての 自覚=愛による助け合いとしての生=生きること自体による充足に 反している)」には、神でも他人でもなく、あなた自身の愚かさです。

回答No.4

この「神が人間に試練を与える」というのは キリスト教などの一神教ぽい考え方ですね。 日本の神様はわいわいガヤガヤもっとおおらかですよ。 人生楽しくエンジョイしましょう。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

僕は何かの壁にぶち当たるたびに、試練は神があたえる。 と、つい最近まで思っていました。 正しい文言だと思いますよ。但しあなたの認識に間違いがあるのでしょう。上記の文章の「神」を「上」と置き換えれば同じでしょう。 何だと思われるかも知れませんが、ちょっと立ち止まって考えるとわかるのですね。一番偉い神様が60億もいる人間の全てを見るわけにはいかんでしょう。大会社の社長だって話をしているのはごく一部の人たちで、何万人もいる社員一人一人を見ているわけではないですね。管理はピラミッド構造になってるはずですね。神の領域も同じですね。だから神を上と置き換えて考えればいいんですね。 あなたの上司も上ですから神と読み替えればいいだけですね。神は目に見えない存在だと思い込むのは自由ですけど明らかな間違いですからね。神はいつの時代にでも身近にいるものなんですね。

rin00077
質問者

お礼

ほがらかな回答いつもありがとうございます。 たいへん勉強になります。

  • Lupinus2
  • ベストアンサー率26% (1802/6710)
回答No.2

「試練を与えられる」という考えが、そもそもの間違いです。 生きること、これすべて試練です。 平穏で幸せな時間が人生で、その中に試練がやってくるのではなく、 人生とは試練の連続であり、その中に平和なひと時があるのです。 地球上に生きるもの全て、何の苦労もなく生涯を終える生き物はありません。 >ちなみに、僕はよく仕事で怒られて、嫌な気分になるのですが、 >これはあきらかに人間が僕に試練をあたえているものと思われます。 あなたも人間でしょうから、人間が試練を与えていると考えても間違いではないでしょう。 ただ、それは他人ではなく自分が原因です。 怒られないようにちゃんと仕事してください。

rin00077
質問者

お礼

>ただ、それは他人ではなく自分が原因です。 怒られないようにちゃんと仕事してください。 はい、明日からそうします。 ご回答ありがとうございました。

  • gigapurin
  • ベストアンサー率14% (3/21)
回答No.1

解釈しだいでどうとでも言えると思います。 仕事の上司はあなたに成長してほしいから叱ったのかもしれないし、 もしかすると単純に怒りをぶつけただけかもしれません。 全ての困難は神が与えた成長のチャンスだと考えてもいいし、 単純に物事の成り行き上あなたに困難が訪れただけだと思ってもいいでしょう。 ただ考え方ひとつで自分の気持ちを左右することはできます。 これは自分に与えられた試練だと考えれば、乗り越えてやろうという気になったり どうして自分だけこんなことになるんだと悲観しなくて済むかもしれません。 あなたにとって都合がいいように解釈すればいいんです。

rin00077
質問者

お礼

>あなたにとって都合がいいように解釈すればいいんです。 はい。これは今からそうしたいと思います。 ご回答ありがとうございました。

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