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神さまは罪のない人に罰を与えますか?

キリスト教の話です。あまり詳しくないので教えてください。 すべての人間は罪を背負っているという考えはわかります たとえば、なにか死ぬほど、つらいことがあったときに 「これはあなたの業が原因で、神から試練を受けているのだ」と信者はいいます・・ だけど、世の中には罪のない人間もいる。それは子供です。 神さまは、罪のない人間にまで罰を与えるのでしょうか? 子供が虐待されたり、殺されるのも神の御心なのでしょうか? まだ、無垢で、罪を背負っていない子供にとって、 神さまから死を与える理由はなんでしょうか? どう解釈すればいいのですか?

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noname#259625
noname#259625
回答No.23

まず、この質問の核心にたどり着くための予備知識が必要だと思います。聖書の創世記3章をご覧ください。そこで、最初の人間アダムとその妻エバ(イヴ)がエデンの園から追放されるいきさつが記されています。最初、女であったエバを蛇が誘惑したのですが、実はこの蛇は悪魔サタンが操っていたのです。そして、女エバは惑わされ、それに続いて男アダムも引きずり込まれて、結局サタンの考えに同調し、二人は神が禁じていた木の実を食べました。それにより重大な違反者となった二人はエデンから追放され、神との親しい関係から隔絶されました。その後、二人は子孫をもうけ、それが現在の全人類となっているというわけです。それで、アダムの子孫である全人類は神から追放された身であり、罪人として苦しみと死を経験してきました。 しかし、元はと言えば人類がこのような状態に陥ったのはアダムの責任でした。彼がエデンから追放されていなければ全人類はそこで生まれていたことでしょう。神は人間を造った創造者であり人間の天の父であられるゆえに、そのような状態を深く憂慮し、望む者が再び神の元に帰ってこれるように救世主であるメシア(ヘブライ語でメシア、ギリシャ語でキリスト)を遣わされたのです。 ところで、このエデン追放の問題に関連して、天使たちの間で論争が起きました。悪魔サタンと悪霊たち(堕落した元天使たち)は「神のおきてに従うよりも自分勝手に生きた方がより幸福になれる」と主張しましたが、忠実な天使たちは「神の正義(おきて)に従ってこそ宇宙の秩序と平和は保たれる」と主張しました。神はこの論争が解決するために一定期間だけサタンが自分の望むとおりに人間を支配することをお許しになりました。つまり、「サタンよ、お前が言うとおりかどうかやってみなさい」ということです。とはいえ、全能の神の目にはその結末は明らかであり、サタンの計画が必ず惨めな失敗に終わるということを予告されました。 ここまでが予備知識なのですが、ここから本題に入りたいと思います。hasimoto35さんが言われたような質問が聖書にあったので、以下に引用します。イエスの弟子たちがイエスに質問している場面です。 さて,進んで行かれる際,イエスは生まれた時から盲目の人をご覧になった。そこで,弟子たちが彼に尋ねた,「ラビ(つまり先生),この人が盲人として生まれたのは,だれが罪をおかしたためですか。当人ですか,それともその親たちですか」。イエスは答えられた,「この人が罪をおかしたのでも,その親たちでもなく,神のみ業がこの人の場合に明らかにされるためだったのです。・・・」(ヨハネ9:1-3) 是非、聖書のこの部分の続きも読んでいただきたいのですが、結局この生まれつき盲目だった人はイエスの奇跡によって癒され、目が見えるようになりました。そして、その後イエスの敵対者から尋問を受けます。しかし、この人は明快な論理をもってイエスを擁護しました。その後、彼は敵対者から追放されたもののイエス・キリストの直弟子となることができました。それで、これは一つの劇であり、将来これと同じことが大規模に行なわれることを予告したものなのです。聖書にはこのような預言的な劇がたくさんあります。 それで、今苦しみを負っている人々は将来、神がエデンの園のような地上の楽園を再興される際に復活させられ、以前の苦しみなどによって生じたいかなる損害も癒されることになっています。それは上で挙げた盲目だった人が見えるようになったのと同じです。そして、そのような人々はサタンが支配する不公平で弱肉強食の世界の犠牲者となった人々で、サタンの主張の間違いをいやというほど味わった人々でもあります。彼らは楽園で癒される時、サタンの支配とその利己的な考え方が大変間違っていたということを強力に証言するでしょう。それはあの盲目だった人がイエスを擁護したのと同じです。そのような証言により、もはやサタンは神の前で言い訳ができなくなり、 彼は最終的な処罰を受けることになるでしょう。このようにして、上で挙げたイエスの言葉のとおり、苦しみを経験した人々によって「神のみ業は明らかに」なるのです。 それで、まとめると、人類が苦しみを経験している原因は最初の人間アダムがエデンを追放されたからであり、また現在の人類の世をサタンが先導しているからです。ですから、その責任はサタンとそれに従う者たちにあるということになります。確かに、神はこのような嘆かわしい状況を一時的とはいえお許しになりました。それは人間が「神の正義に従うより自分勝手に生きた方が幸福になれるのではないか」というサタンの考えに追随したからです。神はこのような苦しい状況をあえて経験させることによりその間違いに気づかせようと考えたのです。そして、そのような理不尽な状況によって被ったいかなる損害をも、命でさえも、それを回復させると宣言しておられます。 確かに、現在苦しんでいる人々のことを思うと悲しい気持ちになることでしょう。当然のことながら、その点でできることは何であれ行なうべきだと思います。そして、さらに重要なのは、「自分勝手に生きる」ことを推奨しているサタンの考えに同調してはならないということです。戦争も犯罪もその他の理不尽な問題も、この世界の諸問題は結局のところ、そのような「利己的な欲望」に起因しています。もし、私たちがそのような「利己主義」を少しでも容認するとすれば、少なからずこのサタンの支配する世界を支持していることになり、今そのような支配のゆえに苦しんでいる人々に対しても責任を負うことになります。 例えば、日本は飽食の時代ですが、世界には飢餓に苦しむ人々が9億人以上もいるとのことです。本当はそのような飢えで苦しむ人々が食べるべきはずのものを富んだ国が買い占めているという不公平な現実があります。しかも、日本では大量のまだ食べられる食糧がごみとして廃棄されているのです。そこで、こういう人もいるかもしれません。「私一人がその点で何か改善したとしても現状は何も変わらない」と。確かにそうですが、その人がもしこのような状況を容認し、飢えで苦しむ人々を無視して飽食を続けるなら、この不公平な世の中に支持を表明していることになるのではないでしょうか。そのような無思慮な一人一人の支持によってこの飽食の世のしくみは維持されているのです。(つまり、飢えで苦しむ人々が苦しむ原因を作っているのです。) このように、人々は知らずしてサタンの利己的な論理を支持し、知らずして人々の苦しみを増し加えています。各人は直接ではなくても、間接的に人々の苦しむ原因に加担していないかどうかを注意深く吟味すべきでしょう。 以上、かなりはしょって説明しましたが、今までなじみのない概念などもあって難しかったかもしれません。「神さまは罪のない人に罰を与えますか?」というのがそもそものご質問でしたね。その答えは、上で挙げたように「この人が罪をおかしたのでも,その親たちでもない」というイエスの答えから明らかです。神はそのような理不尽な罰を与えたりはされません。しかし、現在人類が苦しんでいるのは、人類が神から離れている結果当然起きていることなのあり、神はそのような状態が生じることをあえてお許しになることにより、人間が正道に戻るべきこと、神の元に帰ることの必要性を教えておられるのです。人は時に苦しみを経験することによりそれまでと考え方、生き方が変わることがあります。苦しむ人々は神に祈るかもしれません。神はそのような人々の祈りに答え、正しい道に導こうとしておられるのです。 それから、『「これはあなたの業が原因で、神から試練を受けているのだ」と信者はいいます・・』とのことでしたが、聖書にはこう書いてあります。 試練に遭うとき,だれも,「わたしは神から試練を受けている」と言ってはなりません。悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし,そのようにしてご自身がだれかに試練を与えることもないからです。むしろ,おのおの自分の欲望に引き出されて誘われることにより試練を受けるのです。次いで欲望は,はらんだときに,罪を産みます。そして罪は,遂げられたときに,死を生み出すのです。(ヤコブ1:13-15) ここでもやはり神からの試練(罰)ではないことを明らかにしていますが、その人の取った行動の結果責任はやはり当人が負わねばならないことも明らかにしています。 また、「子供が虐待されたり、殺されるのも神の御心なのでしょうか? まだ、無垢で、罪を背負っていない子供にとって、神さまから死を与える理由はなんでしょうか?」とのご懸念もありましたね。先に説明したとおり、神は将来再びエデンのような楽園を復興されます。そこにおいて神は死者を復活させることを宣言しておられます。神が現在このような理不尽な状況を許しておられる理由は上で説明したとおりですが、その許しは死者を復活させるということを前提にしたものであり、神は長期的な観点でこの問題(上で挙げた天使たちの間の論争、それは人間にも関係あり)を解決しようとしておられるのです。その後、神の正しい道を歩む人々は再びエデンのような楽園に戻ることが許され、永遠の命を得ることができるでしょう。ですから、今の悲惨な状況は永遠の解決のための一時的な痛みということができるでしょう。しかし、その痛みは後に完全に癒されます。 神が苦しみを許しておられる目的、それが単なる理不尽な罰ではなく、人類が神の道に戻るべきことを諭すためであることが理解できたでしょうか。疑問点あればまた教えてください。

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  • alwen25
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回答No.22

宗教的には、原罪ということになりますが、 実際は、小学生以上になれば「いじめ」 などの罪を犯した子供は、いくらでも いるでしょう。 どこかの神父様が言っていたことらしい ですが、初告解で、「親のいうことを聞かなかった」 とか「信号無視をした(宗教的な罪かは、疑問ですが)」 いう子供が多いらしいです。 何故「人をいじめた」と告解する人がいないのかは 謎です。(その神父様も告解の内容を 公表するなど教会法、刑法守秘義務違反ですが)

回答No.21

こんにちは。僕はキリスト教徒です。hasimoto35さんの言うとおり、すべての人間が罪を背負っています。子供にも、罪はあります。少しでも悪い心があれば、立派な罪です。でも神様が罪を取り消してくださいます。神は、死を与えているわけではありません。神を信じる者は、楽園(天国)で永遠に生きつずけるのです。

  • thaurus
  • ベストアンサー率33% (4/12)
回答No.20

そもそも空想の産物でしかない「神」が、誰かに罰を与えるといったことはありえませんが、「神」を信じている人たちには自分の手に負えない何かがあったときには「神」の介在を考えてしまうようです。    さて、キリスト教の場合ですと人間には「原罪」と言うものがあるとされています。これは同教の説くところによれば人間を神から背かせようとした堕天使ルシファーの誘いに載せられたイブがアダムとともに禁断の知の実を食したことによって生じた罪なんだそうです。キリスト教においては親の罪は子に受け継がれるんですねぇ。ちょっと日本人の常識では考えられませんが・・・。なので日本人の考えるような「無垢の子」はキリスト教には存在しません。それゆえ誰がどんな運命を辿ろうがそれは仕方がないことなのです。  考えてみるとキリスト教徒って自虐的だねぇ(--)

回答No.19

簡単だよ。 自らに自らが罪を抱くのだよ。 これは独りよがりだ。 神を引き合いに出すなら、その神はこのような問題にむとんちゃくだ。 人の親と同じく、神も又それをよい学びとの解釈に追従するよりない。 人間の理解の及ぶ範囲はその程度であると神が認めたとでも言おう。

  • puregrape
  • ベストアンサー率25% (12/48)
回答No.18

宗教というのは一言でいうと神様の御言葉に自分達の考えを付け加えて作り上げたものです。だから、宗教は最後の日にはバベルの塔みたいに崩れてしまうものです。カトリック、エホバの証人、モルモン教、統一教、カルビンの予定説を土台とする長老教だけの話ではありません。                                                                                                            貴方の極めて単純な質問についても様々な返事があり、真の真理が何か分かる事が出来ないようにさせています。                                                                                               いったいこのような勢力の背後には誰がいるのでしょうか?                                                                                                                  イザヤ8:20は神様の御言葉に沿って言わない人は神様と何の関わりも無いと言われています。                                                                                                  神様と何の関わりも無いならば、いったい彼らは誰と関わりがあるのでしょうか?                                                                                                      コリント後書4:4は「彼らの間にこの世の神が信じない者達の心を暗ませて、神様の形状になるキリストの栄え栄えしい福音が彼らに差さないようにさせるのです」と言われています。                                                                                                        この世の中を支配しているのは悪魔です。だから、全ての人々は地獄に行くようになっています。                                                                                                    このような哀れみな人々のためにイエスキリストは十字架に掛けられ私達の罪の身代わりとして死なれました。そして、三日後に復活されました。イエスキリストが自分の罪の身代わりになったので、自分の罪はなくなったと信じる人は楽園にいけます。                                                                                                                      さあ、神様の御言葉に沿って子供はどのようになるのか確かめてみましょう。申命記1:39は「~その日に善悪の間に知識が無かった貴方達の子供達はそこに入っていく。私がその地を彼らに与え、彼らをしてそれを所有させる」と言われました。                                                                                                    天国はマタイ福音だけにある用語で王国の意味です。天から来られたイエスキリストが王様として統治する国の意味です。                                                                                                                   今、現在十字架の福音を信じる者や善悪の知識が無い子供が死ぬと行ける処はコリント後12:2で言われる三番目の空で、楽園とも言います。                                                                                                                    聖書は聖霊によって書かれた神様の御言葉です。ですから、福音を信じない人は何百回読んでも分かることは出来ません。                                                                                                    三番目の空には水の海が境界になっています。今年、宇宙で地球の400億倍の水があると発表された時、今更分かったかという気持ちでした。また、今年光より早いものが存在すると発表された時、今更分かったかという気持ちでした。これが発表される前にこれを信じているキリスト人がいたならば、彼は馬鹿馬鹿しいと軽蔑されたでしょう。                                                                                                              このように、十字架の福音によって自分の罪が無くなったと信じる人を馬鹿扱いする人も多いでしょう。                                                                                              このように信じる人は極めて少ないけど。                                                                                                                                  本屋で救われた人が書いた本は見たことがありません。救われた牧師さえも見たことがありません。                                                                                                                                         三番目の空にある楽園を天国と呼ぶ牧師さえ多すぎ。。。。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.17

全知全能の神が存在するはずなのに、現実の世は 悪が栄え、善が亡びるなど、矛盾だらけだ。 これは神なんか存在しない証拠ではないか? 神の存在を前提とすると、色々説明困難な問題が 出てきます。特に一神教ではその矛盾が目立ちます。 それをうまく説明するのが神学であり、そこから 法学も生まれてきました。 法学では一応、法律の条文は正しいことになっています。 ところが、それをそのまま適用してのでは、困ったことに なる場合が出てきます。 それを上手く説明して、煙に巻く、いや納得させるのが 法解釈学です。 9条があるのに、自衛隊の存在は如何? あれは軍隊ではない。 又は、国家には固有の自衛権がある。 これは憲法も否定しない。 この自衛権の為の軍事力は9条の軍隊ではない。 こんなところです。 何かおかしいなあ、と思いながらも、まあ自衛隊は あった方が安心だから、あまり突っ込むのも大人げない。 ところが、色々屁理屈を並べても、どうにも説明 できない事が出てきます。 その場合には、権利濫用とか公序良俗とか、内容が よく解らない原理を持ってきて、ごまかします。 こういうのを法律では「一般条項」といいます。 キリスト教でも同じです。 どうしても説明ができないとき、説得力のある理屈が 作成できないときは 「神の御心は人間などには到底理解できないのだ」 という一般条項で逃げる、いや論理的に完結させるのです。

noname#155689
noname#155689
回答No.16

> キリスト教の話です。 はい、キリスト教の話として、知っている範囲で回答します。 > すべての人間は罪を背負っているという考えはわかります 「原罪」ですね。 考えというよりも「言い伝え」です。 人類の祖先であるアダムとイヴ(エヴァ)が 神の言葉に従わなかった (食べてはいけないと厳命されていた「知恵の実」を食べた) ため楽園を追放され その罪は累々とアダムとイヴの子孫(=人類)に 継がれることになった、という伝承です。 神の言葉に従わず「知恵の実」を食べて知恵をつけた 自己流の判断をするようになったから 子供を虐待したり殺したりするようになった、ということでしょうか。 原罪の解釈はキリスト教内でも宗派によって多少違いますが ベースとなる物語は旧約聖書の「創世記」に記されている通りです。 > これはあなたの業が原因で、神から試練を受けているのだ これは純粋なキリスト教の考え方ではないですね。 業は仏教の文脈にある考え方です。 いろんな宗教の教えが方が混ざってしまった 独特の解釈だと捉えた方がイイでしょう。 キリスト教や仏教が発生して2000年ぐらい経ちますが 地域の影響や時代の影響を受けて ずいぶん変わっちゃったということでしょう。 特に現代日本は仏教、キリスト教、儒教、神道がごちゃまぜでしょう? > 神さまは、罪のない人間にまで罰を与えるのでしょうか? 少なくとも「創世記」に遡って考えれば 私たちは楽園を追放されたアダムとイブの子孫なわけで > だけど、世の中には罪のない人間もいる。それは子供です。 この解釈は(キリスト教においては) 少なくとも以下の2点において間違っています。 1)我々はアダムとイブの罪を背負って生まれてくる。 (だから「原罪」という。) 2)善悪の判断は本来神がするものであり、我々人間が > だけど、世の中には罪のない人間もいる。それは子供です。 と判断してはいけない(それも知恵の実の作用)。 子供に罪はない、というのは人間視点の話であって 神のロジックが人間と同じであるという保障はどこにもない筈です。 (人間のロジックで神を考えてはいけないという一種の戒めです。) あくまで、そういう昔話をベースにした宗教だ、ということで それを信じる、信じないはまた別の話です。

回答No.15

それが宗教の限界です 既出の回答を読ませていただきました 原罪、社会の責任、寿命、いろいろ理由を付けられるものだと感心しました 前世の罪だと言われる方がいないのが残念ですが まず、虐待は100%子供のせいではありません 社会のせいでも、国家のせいでもありません 親の責任でしかないのです こういった問題に対して、社会や制度の責任にしたがる輩がたくさんいますが、では社会が、親が子供を「虐待しなければならない状況」を作ったといえるでしょうか? または、「虐待してもやむおえない状況」を作ったと言えるでしょうか はっきり言って、虐待しなければならない、しても止むを得ない状況なんてのはありえません だとすれば、なぜ虐待が起こるのか 親がしなくてもいい虐待をしてるからに他なりません この状況で親以外の誰が悪いというのか ということで、子供の虐待は神の試練などではありません 親になる資格のないクズが何にも考えずに子供を作るからなのです 神は虐待されている子供を救うことはできません 天に召されることが救いだなどと唱える人もいますが、それは信者の中だけでやっていただけますか、と言うより他ありません 殺されるのが救いだとするなら、宗教は生物たる人間にとって、害悪以外の何物でもないでしょう 私は無神論者ではありませんし、信心深いほうではありませんが、信仰心も持ち合わせています ただ、科学を盲信することと同じくらい、神様や宗教で世界のすべてが語れると思っている輩が、虫酸がはしるほと嫌いなだけです そういった輩が、過去に何をしでかしてきたか

  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.14

  親が我が子を殺すのは人間に限ったことではないのだけどもね。 くわばらくわばら。  

  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1124/2579)
回答No.13

>子供が虐待されたり、殺されるのも神の御心なのでしょうか 身も蓋もありませんが、その通りです。 神はそんなことに関知しないというのが正解でしょうか。   神の存在は物理法則だという方もいらっしゃいます。 この地球の存在自体が神の愛情ということもできましょう。 そこで生活する人間には自由意思が与えられています。 神は生存に必要な最低限のものは与えてくれます。 そこから先は人間の努力ということになります。 子供が虐待されるのは、社会の責任であり、国家の責任であり、 最終的には人類全体で共有されなければならない問題でしょう。 子供の虐待に限らず、資源の無駄遣い、暴飲暴食等、色々あります。 子供は使命を背負って、親に託されて生を受けます。 本来は子供と伴に親も成長するのが正しい姿です。 その生を虐待によって奪われるのは寿命だったのです。 それは人間の自由意思で行われことであり、神は関知できません。 そして生を奪った親には新しいカルマが発生します。 このような連鎖を止めるには神の存在を信じ、道徳心を高めることです。 これらのことにキリスト教もイスラム教も仏教も関係ありません。 宗教という枠を越えて活動する時代に入ったということです。

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