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自然な日本語に添削していただけないでしょうか。(「贈り言葉」)

 日本語を勉強中の中国人です。日本人の友人はもうすぐ誕生日です。いま誕生日カードを書いています。私の贈り言葉を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。    贈り言葉  お誕生日おめでとうございます。また暖かい弥生に参りましたね。上海の街頭で芽の新緑が点々と見えます。自然が蘇っており、耳を澄まし、春の足元が聞こえてきます。○さんは春の子ですね。このような優しい季節の中で、○さんのお誕生日を迎えるのは大変嬉しいです。どんなに離れていても、同じ空の下で、いつまでも○さんの幸せを心からお祈りしております。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

すでに良いご回答がたくさん出ていますが、参考意見として。 1、 >贈り言葉 →お誕生日に寄せて : 「贈り言葉」という表現はしません。 タイトルは不要と思いますが、あえて付ける必要があるのであれば例文のようにするのも良いでしょう。 2、 > お誕生日おめでとうございます。 →添削なし 3、 >また暖かい弥生に参りましたね。 →(厳しい冬が過ぎ、)【今年もまた春を告げる】弥生【】【巡って参りましたね。】 : a. 原文のままでも一応、意味は通じますが、「参りました」につなげるのであれば、最低限でも「弥生が」とする必要があります。 b. 文脈からいって、この「また」は唐突な印象を与えます。 「今年もまた」とすると、唐突さは和らぐでしょう。 「厳しい冬が過ぎ」などと加えると、さらに自然な流れになると思います。 c. #2さんもおっしゃっているように、「巡って参りましたね」とすると、(たぶん)1mizuumi さんの意図にも合致するように思われます。 d. 弥生という表現は日常会話の中では殆ど使いません。 ちょっと「しゃれた表現」と言えます。 そのため、「暖かい弥生」という表現は、靴を履いて和服を着ているような印象を与えます。 「暖かい」という靴の替わりに、「春を告げる」といったような草履を履かせてやると自然になるでしょう。 他の方のご回答にもあるように、和服を脱いで、「3月」という洋服に着替えるという手もあります。 4、 >上海の街頭で芽の新緑が点々と見えます。 →上海の【街頭では】、【木々の芽吹く様子が】【あちらこちらで】【見られるようになりました】。 : a. ここの「上海の街頭【で】」は、間違った使い方ではありませんがやや不自然な印象を与えます。 「上海の街頭【では】」とすると、「日本ではどうかわかりませんが、上海という場所を主題にしてお話すれば」というニュアンスを加えることができます。 つまり、「日本ではどうでしょうか?」という意図が含まれるため、相手への関心が付与されて自然な文になります。   b. 「新緑」は通常、「緑の葉」を形容する言葉とお考えになってよいでしょう。 俳句では、5月頃の(夏の)季語です。 c. ここの「点々」は[ 二]の、 (1)あちこちに散らばっているさま。切れ切れに続いているさま。 「足跡が—と付いている」 「血痕が—と続いている」 (2)しずくなどがしたたり落ちるさま。 「傷口から血が—としたたる」 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/135372/m1u/%E7%82%B9%E3%80%85/ です。 「点々としているもの自体」を形容するのが普通で、 「点々と見える」という表現はたぶんしないと思います。 「あちこち」でもいいですが、 「あちらこちら」のほうがいくらか上品な表現になるでしょう。 d. 「見えます」でも間違いではありませんが、 「特に意識しなくても自然に見える」という意味で、 「見られます」という自発表現をしたほうが、このシチュエーションには合っているでしょう。 さらに 「見られる【ようになりました】」とすると、「冬から春への変化」というニュアンスを持たせることもできるでしょう。 5、 >自然が蘇っており、耳を澄まし、春の足元が聞こえてきます。 →【新しい生命の息吹が感じられ】、【耳を澄ますと】、【春の足音】が聞こえてきます。 : a. 「蘇る」は「同じものが再び復活する」というニュアンスになりますが、「新しい生命が生まれる」というように解釈するほうが春には向いているかもしれませんね。 「息吹」という言葉と組み合わせると良いかもしれません。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/12100/m1u/%E6%81%AF%E5%90%B9/ b. 「耳を澄ますと」です。 ここの「と」は、 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/135919/m1u/%E3%81%A8/の[三]の、 (1)二つの動作・作用が同時に行われることを表す。 「家にはいる—、プーンといいにおいがしてきた」 「庭に出る—、犬がとんできた」 です。   c. 「足元」は「位置」ですから聞こえてはきません。 「足音」です。 6、 >○さんは春の子ですね。 →不要。 : 「春に生まれたから春の子」というのは、やや短絡すぎます。 少なくとも私の趣味には合いません. どうしても「春の子」を使いたい場合は、もう少し補足が必要でしょう。 (ex) 『気持ちが温かで性格も穏やかな○さんは、春のイメージにぴったりですね。 「春の子」と呼んでもよさそうです』 7、 >このような優しい季節の中で、○さんのお誕生日を迎えるのは大変嬉しいです。 →このような優しい季節の中で、○さんのお誕生日を【お祝いできる】のは大変嬉しいです。 : または、 「このような優しい季節の中で、○さん【が】お誕生日を【迎えられる】のは【私にとっても】大変嬉しい【こと】です。」 8、 >どんなに離れていても、同じ空の下で、いつまでも○さんの幸せを心からお祈りしております。 →【遠く】離れていても、同じ空の下で、いつまでも○さんの幸せを【】お祈りしております。 : a. 「どんなに」はやや大げさな印象を与えます。 「遠く」ぐらいが妥当な線でしょう。 尤も、とても切羽詰った心境を伝えたい場合は、「どんなに」のままでも差し支えありません。 b. 「いつまでも」+「心から」は、特に悪くはありませんが、個人的な感想としては、お祝いの気持ちがちょっと大盛りすぎます。^^ 例文のようにするか、または、 「遠く離れていても、同じ空の下で、○さんの幸せを心からお祈りしております。」 のほうがすっきりします。  

1mizuumi
質問者

お礼

 ご親切に添削していただきありがとうございます。「靴を履いて和服を着ているような印象」はとても面白いですね。詳しく説明してくださり、大変助かりました。まだすっきりしていないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。

1mizuumi
質問者

補足

1. >→お誕生日に寄せて  ここの「寄せて」はどういう意味でしょうか。 2. >→(厳しい冬が過ぎ、)【今年もまた春を告げる】弥生【】【巡って参りましたね。】  「弥生」の後ろになぜ「が」(「は」?)がいらないのでしょうか。 3. >ちょっと「しゃれた表現」と言えます。  「しゃれた表現」はどういう意味でしょうか。 4. >「見えます」でも間違いではありませんが、 「特に意識しなくても自然に見える」という意味で、 「見られます」という自発表現をしたほうが、このシチュエーションには合っているでしょう。  「特に意識しなくても自然に見える」は「見えます」のことでしょうか。それとも「見られます」のことなのでしょうか。「自発表現」はどういう意味でしょうか。

その他の回答 (6)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

#6です。 >自然に目に入るのは「見える」のほうではないでしょうか。「思い出す」の自発「思い出される」ならわかりますが、「見る」の自発「見られる」はなかなか理解できません。 : 確かに自然に目に入ることを「見える」と言いますね。その意味でどちらも自発と言えます。 「見える」だけに可能の意味もあるとしたのは不適切で、どちらにも(自発と)可能の意味は含まれるのでしょう。 しかも、おっしゃるように、「見られる」のほうが可能の意味は強いのかもしれません。 混乱させてしまい申し訳ありません。 下記の(ア)のほうが自然であるという考えは変わりませんが、以上を元にして、そのように感じる理由を再度考え直してみました。 (ア)暖かくなり、上海の街頭では、木々の芽吹く様子があちらこちら(あちこち)で見られます。 (イ)暖かくなり、上海の街頭では、木々の芽吹く様子があちらこちら(あちこち)で見えます。 (ア)と(イ)は(色々な解釈があるでしょうが)どちらも自発の表現と捉えることが可能だろうと思います。 また、それが最も適切であろうとも考えます。 ただ、同じ自発でも、 (イ)は、「視力を使って見る」という、【目の機能に関する】ニュアンスがやや勝っているような気がします。 つまり、「対象(木々の芽吹く様子)」にあまり重点が置かれていないような印象を受けるということです。 それに対して(ア)は、「(自然に)目に入るという状況になっている」というニュアンスが感じられます。 なぜかはよくわかりませんが、おそらく、 「見られる」には「受動の意味」もあるために、対象に重点が置かれているようなニュアンスが醸成されるからかもしれません。 例によって文法的解釈とは程遠いかもしれませんが、こんなところです。   

1mizuumi
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。難しいところですね。なんとなくわかりました。おっしゃるこのような感覚を一応脳にインプットします。何度もご親切に回答していただき本当にありがとうございました。  ところで、hakobuluさんは以前確か楊逸さんの本を読まれたことがあるとおっしゃいましたね。次の質問も見ていただけないでしょうか。http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5708701.htmlご意見をいただければ大変嬉しいです。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

#5です。 1. >→お誕生日に寄せて  ここの「寄せて」はどういう意味でしょうか。 : 「お誕生日に関連させて(お手紙差し上げます)」 といったようなニュアンスです。 しかし、タイトルは無いほうがすっきりします。 2. >→(厳しい冬が過ぎ、)【今年もまた春を告げる】弥生【】【巡って参りましたね。】  「弥生」の後ろになぜ「が」(「は」?)がいらないのでしょうか。 : 【が】を落としたようです。 拾っておいていただけますか。 3. >ちょっと「しゃれた表現」と言えます。  「しゃれた表現」はどういう意味でしょうか。 : ここでの「しゃれる」は、 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/88707/m1u/%E3%81%97%E3%82%83%E3%82%8C%E3%82%8B/の、 (1)着飾ったり化粧をしたりして、美しく装う。おしゃれをする。 「今日は—・れて行こう」 (2)あかぬけしている。 「—・れたデザイン」 「—・れた門構えの家」 などを合わせたような意味です。 4. >「見えます」でも間違いではありませんが、 「特に意識しなくても自然に見える」という意味で、 「見られます」という自発表現をしたほうが、このシチュエーションには合っているでしょう。  「特に意識しなくても自然に見える」は「見えます」のことでしょうか。それとも「見られます」のことなのでしょうか。「自発表現」はどういう意味でしょうか。 : 「見られる」には、「認められる」という意味があり、「そのことに(自然と)気づく」といったようなニュアンスになります。 「見えます」にも自発的要素はありますが、「可能動詞」としての意味も含まれます。 「特に意識しなくても自然に見える」というニュアンスを出すには「見られる」のほうが適しているでしょう。 「自発表現」とは、 『日本語の文法における自発(じはつ)とは、 動詞の表現様式で、行為・動作を人が積極的意志を持って行うのでなく、自然にあるいはひとりでに実現する現象・作用のようにいう表現である。助動詞の「れる」「られる」などによって行われる。』(「ウィキ」からの抜粋) といったようなことです。  http://www.microsofttranslator.com/bv.aspx?ref=SERP&br=ro&mkt=ja-JP&dl=en&lp=ja_en&a=http%3a%2f%2fja.wikipedia.org%2fwiki%2f%25E8%2587%25AA%25E7%2599%25BA_(%25E6%2596%2587%25E6%25B3%2595) あちらのほうは、抜粋の範囲を大幅に広げて質問し直してみると良いかもしれませんね。 参考URL から街頭部分を探すのが面倒なのかもしれませんから。   

1mizuumi
質問者

お礼

 再びありがとうございます。だいぶわかるようになりました。「見える」と「見られる」の件について、もう少しご意見を伺いたいのですが、教えていただけないでしょうか。

1mizuumi
質問者

補足

>「見られる」には、「認められる」という意味があり、「そのことに(自然と)気づく」といったようなニュアンスになります。 「見えます」にも自発的要素はありますが、「可能動詞」としての意味も含まれます。 「特に意識しなくても自然に見える」というニュアンスを出すには「見られる」のほうが適しているでしょう。  上記のご説明が難しくてよく理解できません。どういうことをおっしゃっているのでしょうか。自然に目に入るのは「見える」のほうではないでしょうか。「思い出す」の自発「思い出される」ならわかりますが、「見る」の自発「見られる」はなかなか理解できません。  大変残念ですが、参考URLは開けませんでした。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

(贈り言葉)トル  お誕生日おめでとうございます。また暖かい弥生(の月)に(なって)参りましたね。上海の街頭で(は、)芽の新緑が点々と見えます。自然が蘇っており、耳を澄ま(すと)、春の足元が聞こえてきます。○さんは春の子ですね。このような(こころのなごむ)季節の中で、○さんのお誕生日を迎えるのは大変嬉しいです。どんなに離れていても、同じ空の下で、いつまでも○さんの幸せを心からお祈りしております。  「優しい」人に使うことが多いですから、他の言葉でもいいと思います。「おくりことば」は「おくりびと」という映画にもあったように「死者をおくる」と誤解されるかも知れませんから。  それ以外、たいへん上上手だと感心しました。

1mizuumi
質問者

お礼

 ご親切に添削していただきありがとうございます。「こころのなごむ」という表現がとても気に入ります。大変参考になりました。そういえば、「贈り言葉」は「おくりびと」に影響されたのかもしれません(><)。本当にありがとうございました。

  • kollagen
  • ベストアンサー率52% (63/120)
回答No.3

>贈り言葉 ほかの方と同じく「お誕生日おめでとうございます」「お祝い」など >また暖かい弥生に参りましたね。 「3月になり、また暖かくなってきましたね。」 >上海の街頭で芽の新緑が点々と見えます。 「上海の街なかでは、緑があちらこちらに見えます。」 街頭=街なか としましたが、「街頭の木」であればNO2の方のように「街路樹」です。 >自然が蘇っており、 「木々が芽吹き、」「木々が萌え、」「自然が息を吹き返し、」「いのちが活発になり」など 前の二つは木のことだけですが、後ろの二つは自然全体です。冬眠していた動物などを含める場合はこちら。 >耳を澄まし、春の足元が聞こえてきます。 「耳を澄ま《すと》、春の足元が聞こえてきます。」 >○さんは春の子ですね。 これ、面白くてかわいい表現なので、このまま使ってもいいかと思います。 >このような優しい季節の中で、○さんのお誕生日を迎えるのは大変嬉しいです。 「このような優しい季節の中で、○さん《が》お誕生日を迎えるのは大変嬉しいです。」 わたしは1mizuumiさんの文をできるだけ活かし、不自然な箇所だけを直しました。ほかの方のいろいろな書き方を参考にすれば、より流れるような美しい文章になります。 素敵なカードが書けるといいですね!

1mizuumi
質問者

お礼

 ご丁寧に添削していただきありがとうございます。たくさんの言い方を教えてくださり、大変参考になりました。本当にありがとうございました。

  • spring135
  • ベストアンサー率44% (1487/3332)
回答No.2

>贈り言葉 祝辞、お祝い、お誕生日おめでとうございます。等 >また暖かい弥生に参りましたね。 大変暖かくなってまいりました。 >上海の街頭で芽の新緑が点々と見えます。 こちら上海では街路樹の新緑が目に鮮やかです。 >自然が蘇っており、耳を澄まし、春の足元が聞こえてきます。 再び春が巡ってまいりました。耳を澄ますと春の足音が聞こえるようです。 >○さんは春の子ですね。このような優しい季節の中で、○さんのお誕生日を迎えるのは大変嬉しいです。 ○さんは春の子ですね。:不要 このような優しい季節の中で、○さんのお誕生日を迎えることができることを大変嬉しく思います。 >どんなに離れていても、同じ空の下で、いつまでも○さんの幸せを心からお祈りしております。 遠く離れた上海の地から、○さんのご健勝とご健康を心からお祈りいたします。 いつかお会いできる日が来ることを心から願っています。

1mizuumi
質問者

お礼

 ご親切に添削していただきありがとうございます。よくなりましたね。「新緑が目に鮮やかです」という箇所が特に気に入ります。そのまま使わせていただきます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

  • tjhiroko
  • ベストアンサー率52% (2281/4352)
回答No.1

「贈り言葉」という言い方は日本語ではしません。「贈る言葉」なら言い方としてはありますが、カードにメッセージを書くときにはタイトルは不要で、「お誕生日おめでとうございます」をタイトルのように大きめの字で初めに書くのが一般的かと思います。 >また暖かい弥生に参りましたね。 これは「また暖かな3月が参りましたね」か「また暖かな3月になりましたね」ということでしょうか。 お友達がどこにお住まいか分かりませんが、3月はまだまだ寒い日も多いので、どちらの言い方もちょっと不自然な気もします。ただの「また3月が参りましたね」とした方がよろしいかと思います。 なお、「また弥生が参りましたね」という言い方は普通はしません。ここで昔の月の呼び名を入れてピッタリ当てはまるのは、12月の「また師走が参りましたね」だけでしょう。 >上海の街頭で芽の新緑が点々と見えます。 おっしゃりたいことは分かりますが、こういう言い方もあまりしませんので「上海の街では木々が芽吹いてきました」くらいでどうでしょうか。 >自然が蘇っており、 自然が破壊された後なら「蘇る」といいますが、冬から春になって木々が芽吹いてきたことに対しては「自然が蘇る」とは言わないように思います。「緑が蘇る」ならいいですけどね。 >耳を澄まし、春の足元が聞こえてきます。 →「耳を澄ますと、春の足音が聞こえてきます」 >○さんのお誕生日を迎えるのは大変嬉しいです。 これですと、近くに住んでいて一緒に誕生日のお祝いをするような印象を受けます。遠く離れている人に対してなら「このような優しい季節の中で○さんがお誕生日を迎えられるのは、大変うれしいことですね」くらいでしょうか。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。いろいろな言い回しを習得しました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

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