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美しい羊羹の世界
- 日本語を勉強中の中国人が、文章力向上のために書いた作文を添削してほしいとのこと。
- 最近、日本人の友人からいただいた羊羹の箱には美しい絵柄と優雅な日本語の響きがあった。
- また、不自然な表現があれば指摘してほしいとのこと。
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質問者が選んだベストアンサー
1、 > 先日、日本人の友人から羊羹をいただいた。 →添削無し。 2、 >外の箱を開けたら、中にとても綺麗な絵が書かれた小さな箱がいっぱい並んでいた。 →【外箱】を開けたら、中にとても綺麗な絵が書かれた小さな箱がいっぱい並んでいた。 : 「外箱」と熟語としてお遣いになれます。 3、 >それは鯉のぼり、菖蒲、兜の絵柄だ。五月の代表的なものだろうか。 →【絵柄は】鯉のぼり、菖蒲、兜の3種類だ。五月の代表的なものだろうか。 : 「それ」とは何かが不明なので、不自然な表現になります。 「絵柄は~」とする必要があります。 4、 >まるで季節の香りを運んできてくれたようだ。それぞれの小箱についている名前も実に優美だ。 「夜の梅」、「新緑」、「おもかげ」となっており、美しい日本語の響きを感じた。「夜の梅」の箱の裏側に『「夜の梅」の菓銘は、切り口の小豆の粒が、夜の闇にほの白く咲く梅の花を思わせることに由来します』と書かれている。 →添削無し。 5、 >このような素晴らしい発想が出た日本人の感性に感心する。 →このような素晴らしい発想が【できる】日本人の感性に感心する。 : 「出た」でも間違いではありませんが、やや直截的な印象を与えます。 「感心する」にも対応できますから、「発想ができる」とするほうが自然でしょう。 6、 >「新緑」は私の大好きな抹茶味のものだ。 →「新緑」は私の大好きな抹茶味【だった】。 : 原文のままでも特に問題はありません。 ただ、 「裏面の説明を読んで、初めて抹茶味であることを知った」 という【発見】のニュアンスに近い場合は、「だった」をお遣いになると良いでしょう。 「過去の事柄に対する判断・確認を表す」用法で、 『「である」に助動詞「た」の付いた「であった」よりもくだけた言い方』 と解説されています。 「一九世紀の江戸の人口は約一〇〇万人?」 「あっ、今日は母の誕生日?」 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/120254/m1u/%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/ この場合、「抹茶味」に焦点を当てたいので「のもの(=の羊羹)」は無いほうが自然です。 7、 >裏側に「抹茶のほのかな香りが特徴の煉羊羹です。やわらかな淡い緑色が、すがすがしさを感じさせます」と書かれており、美しい文字で羊羹が引き立った。 →裏側に「抹茶のほのかな香りが特徴の煉羊羹です。やわらかな淡い緑色が、すがすがしさを感じさせます」と書かれており、【その美しい書体で羊羹もいっそう引き立つように感じられた】。 : a. 「文字」でも良いのですが、「書体」という表現のほうが適しているでしょう。 b. 状態の継続を表すために「引き立っていた」としないと不自然になります。 また、断定は、この場合あまり好ましくありません。 「(いっそう)引き立つように感じられた[自発用法]」などとするほうがよいでしょう。 8、 >私はすべてのパッケージを捨てずに収集することにした。 →私はすべてのパッケージを捨てずに【取っておく】ことにした。 : 「収集」は http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/89549/m1u/%E5%8F%8E%E9%9B%86/ (2)趣味や研究などのために、ある種の物や資料をたくさん集めること。コレクション。 「切手を?する」 です。 「たくさん集めること」で、 「今集めること」とは少し異なります。 「取っておく」という定型句をお遣いになるのがよいでしょう。 「取る」は http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/142377/m1u/%E5%8F%96%E3%82%8B/ (6)保存する。残しておく。《取》 「記念に?・っておく」 「明日のおやつに半分?・っておく」 「おく」は http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/24481/m1u/%E3%81%8A%E3%81%8F/ 6)(補助動詞) 動詞の連用形に接続助詞「て(で)」を添えた形に付く。 (ア)動作の結果がきちんと残るようにする意を表す。 「メモして?・く」 「いいのを選んで?・く」 です。 <要注意点> ・【それは鯉のぼり、菖蒲、兜の絵柄だ。】 ・美しい文字で羊羹が【引き立った】 ・私はすべてのパッケージを捨てずに【収集する】ことにした。 自然度:92%
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- c2000
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「日本人の友人から羊羹をいただいた」をしっくりしないと評しましたが「日本の方から羊羹をいただいた」はいかがでしょうか。 これなら相手が日本人であることと舞台が日本以外であることも想像できます。 いずれにしても貰った相手と舞台は伝えたいことの本質から外れていますので、「きれいな文章」を考えるならこだわらない方がいいと思います。
お礼
度々ありがとうございます。「日本の方から羊羹をいただいた」なら、その人と私との関係がわかりませんね。同僚か友人か知人か親戚か、ぜんぜんわかりませんね。「日本人の友人」という意味を表したいですが、やはり不自然ですね。また聞いてみます。何度もご親切に教えていただき本当にありがとうございました。
- hakobulu
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#4です。 1.「外箱」は何と読むでしょうか。 : 「sotobako」です。 2. >>「新緑」は私の大好きな抹茶味のものだ。 →「新緑」は私の大好きな抹茶味【だった】。 「過去の事柄に対する判断・確認を表す」用法と書かれておりますが、『「新緑」は私の大好きな抹茶味【だった】』の中の「過去の事柄」は何をさすのでしょうか。「一九世紀の江戸の人口は約一〇〇万人?」の中の「過去の事柄」は理解できますが、「あっ、今日は母の誕生日?」の中の「過去の事柄」は何をさすのでしょうか。 : 難問ですね。例によって個人的独断ということをご了解いただきつつ述べてみます。 a. 『「新緑」は私の大好きな抹茶味【だった】』は、 『裏側の説明を読んだ(という過去の)時点で、「新緑」は私の大好きな抹茶味だ、ということがわかった』という意味になります。 web辞書が言うところの「過去の事柄」が指すのは、 『(過去の時点で判明した、)「新緑」という名の羊羹が私の大好きな抹茶味(という事実)』だろうと思います。 この過去の事柄を確認したい意図がある場合に、 『「新緑」という商品は私の大好きな抹茶味だった』のように表現できる、ということなのでしょう。 なぜ、わざわざ確認したいのかと言えば、それ(過去の事柄)が【新しい発見】であったからではないか、と思うわけです。 確認したいとは思わない(=「新しい発見という意図」を込めるつもりはない)場合には、 原文のように、 『「新緑」は私の大好きな抹茶味のものだ』 あるいは、 『私の大好きな抹茶味の「新緑」という名の羊羹もあった』 などのように表現することになるでしょう。 b. 「あっ、今日は母の誕生日だった」の場合の「過去の事柄」は、 『(過去の時点で気づくべきだった、)今日は母の誕生日(だという事実)』だろうと思います。 因みに、ここで言う「過去の時点」とは、現在お昼の12時として、今日の0時から11時59分ぐらいまでを指します。 これを【敢えて】「過去の時点(過去の事柄)」と捉えることで、 『「今日は母の誕生日だ」ということに気づかなかった、という過去の自分』 にとって、 『「今日は母の誕生日だ」ということに気がついた』ことは「発見」であったと言えるでしょう。 このように、対比的に述べることで、発見の意図を強調する用法ではないかと思います。 「母の誕生日をちゃんと覚えていた場合」や、 「新緑という羊羹は抹茶味だ、と最初から知っていた場合」など、 「覚えて(気づいて)いなかった、という過去の時点」や、 「知らなかった、という過去の時点」が存在しないシチュエーションにおいては、発見の要素が無い(=確認する意味が無い)ので「だった」は使用しません。 3. 「取っておく」は私にとっての新しい表現です(←ここの「です」は今回教わった「発見」というご説明によると、「でした」にしたほうが良いのでしょうか。) : まず、「の」は不要です。(後述しますが、別の意味になってしまいます) (ア)「取っておく」は私にとって、新しい表現です。 (イ)「取っておく」は私にとって、新しい表現でした。 これらの例文の場合、「私にとって、新しい」という表現があるので、いずれにしても「発見」という意味はどちらにも込められています。 ただ、アの場合、発見という意味は(語彙によって)含まれているが、「発見というニュアンス」はあまり込められていない、と言えるように思います。 文を読んだ瞬間にすぐ、「発見」というニュアンスが【感覚としては伝わってこないだろう】ということです。 ・「取っておく」は私にとっての新しい表現です。 という原文の場合は、 『「私」が新しく使用した、「取っておく」という表現』について述べていることになります。 不明点は、さらに補足なさってみてください。
お礼
再びありがとうございます。こういうような使い方は難しいですね。日々精進します。本当にありがとうございました。
- c2000
- ベストアンサー率25% (5/20)
<「日本の友人」で「中国にいる日本人の友人」という意味も表すことができるのでしょうか。> 「日本の友人」では「中国にいる日本人の友人」とは伝わりません。 1)貴女が中国在住で日本に在住している方から羊羹をいただいた。送っていただいたか、中国へ訪問したときの手土産でしょうか。 この場合は「日本の友人」ですね。 2)中国在住の日本人から羊羹をいただいた場合は「日本人の友人」でしょう。 しかし、どうも日本語としてしっくりきません。 う~ん・・・・ 全体の文脈から考えると、羊羹をだれから貰おうといいんじゃないですか。 いっそのこと「友人から羊羹をいただいた」としたらどうですか。 あるいは「日本からのお土産に羊羹をいただいた」とか 全てのことを正確に表現することは文章を醜くします。 論文ではないのですから読者の想像をかき立てる部分があっても良いと思います。 貴女が日本に在住していて、お友達から羊羹を貰ったと理解していましたが、舞台は外国だったのでしょうか。
お礼
再びありがとうございます。舞台は中国です。中国在住の日本人から羊羹をいただきました。「日本人の友人」は日本語としてしっくりきませんか。私は「japanese friend」という意味を表したいです(><)。難しいですね。視点を変え、新しい質問を立てさせていただきます。また、ご意見を伺うことができれば大変嬉しいです。
こんにちは。 △「外の箱」→「羊羹の箱」 ●「外の」箱があったら、「中の」箱もあるのが当たり前です。 箱が2つ無いのならば、「箱」だけで構わないと思います。 また、「外の箱」が「羊羹の箱」なのは文脈より分かります。 しかしいきなり「外」と書かれるとやや不自然です。 ●「いただいた」は丁寧語です。 「いっぱい」は口語です。 「いただいた」で丁寧さが強調されているのに、「いっぱい」で丁寧さが崩れています。 ※口語(こうご)……話しことば。 ※参考:集英社国語辞典、2000年、集英社、557項 △「五月の」→「日本では五月」 ●「どの国の」五月かが分かりません。 中国人である質問者様が「……だろうか。」と推測しているので「中国の五月」では無いと分かります。 また、後で「鯉のぼり」と書かれているので「日本の五月」と分かります。 △「美しい日本語の響きを」→「日本語の響きの美しさを」 ●質問者様の提示した文では「美しい」が「日本語」を修飾しているか、「響き」を修飾しているか分かりません。 ※修飾……他の語句を詳しく説明すること。 「美しい日本語」では「日本語」が「美しい」と解釈できます。 その一方で「では美しくない日本語があるの?」とも突っ込むことができます。 また、「日本語そのもの」が「美しい」とも解釈できます。 その場合は「では美しくない日本語以外の言語はあるの?」とも突っ込むことが出来ます。 私自身は言語に優劣は無いと思っているので「美しい日本語」は良くないと思います。 中国語も美しいと思いますし。 (中国語はまだ初心者なのですが……) △「感性に感心」→「感性が素晴らしいと思わずにはいられない」 ●「感」という漢字が2つも使われています。 面白さを狙うなら問題はありません。 しかし「面白さ」を狙わない場合はむしろ不自然です。 △「美しい文字で羊羹が引き立った。」→「美しい文字が羊羹の『美味しさを一層』引き立てた。」 ●「羊羹」だけでは不十分だと思います。 ですので、羊羹の「何が」引き立ったかが大事ではないでしょうか。 羊羹は「食べ物」です。 ですので「味・香り」が引き立ったと書いた方が良いです。 また、「美味しさ」は最初からあります。 ですので、「より一層」などがあった方がより自然らしいです。 私なりの文章も書いてみます。 先日、日本人の友人から羊羹をもらった。 箱の中には更に小箱が入っていて面白く感じた。 その小さな箱には綺麗な絵が書かれていた。 絵柄を良く見ると、それらの絵は鯉のぼり、菖蒲、兜だと分かった。 それらは日本では5月を象徴するものだろうか。 季節の香りすらも絵柄に載せて運んで来ているようだ。 それぞれの小箱の名前も綺麗さに花を添える。 「夜の梅」、「新緑」、「おもかげ」が日本語の美しい響きを表している。 「夜の梅」の箱の裏側には次の様に書いてある。 『「夜の梅」の菓銘は、切り口の小豆の粒が、夜の闇にほの白く咲く 梅の花を思わせることに由来します』。 この様な素晴らしい発想をする日本人の感性は鋭くて繊細だ。 「新緑」は私の好きな抹茶味。 その箱の裏側には次の様に書いてある。 『抹茶のほのかな香りが特徴の煉羊羹です。 やわらかな淡い緑色が、すがすがしさを感じさせます。』 その美しい文字は羊羹の美味しさを更に引き立たせる。 私は全ての包装紙を集めることにした。 捨てるのが勿体無いほどに優美だからだ。 今日一日「自然な日本語」について考えてみました。 その結論はこうです。 「自然かどうかは場面で変わる」です。 なぜなら同じ日本語でも種類が多いからです。 小説には小説の、新聞には新聞の、話し言葉には話し言葉の「自然」さがあります。 例えばこの回答に於いては「文章語」を使っています。 ※於いては……おいては 新聞ではこの文章よりも更に「硬い文章」が使われます。 回答ではこの様な文章が良いのかもしれません。 しかし会話でこれ程「硬い」文章を使ってしまうと面白くありません。 例えばこの文章では人を笑わすことは出来ないでしょう。 それは「笑わせる為に」はこの文章は「自然」ではないからです。 ですので、質問者様がどの様な文章を目指すかが大事ではないでしょうか。 新聞、小説、会話、詩、多くの種類の文章があり、それぞれに「自然」な表現があります。 逆に言えば「どこでも自然」な日本語など無い気もするのです。 ですので、「新聞的」か「小説的」か「会話的」か「詩的」のどれを目指すか教えていただけると幸いです。 相変わらずの長文、失礼しました。 「教えているようで教えられて」嬉しいです。
お礼
ご親切に添削していただきありがとうございます。いろいろなご意見を拝見しました。とても参考になりました。私は随筆、エッセーを書く時の言葉遣い(できれば、女性的な柔らかい表現)を習得したいです。中国の作家もご存知であれば、席慕容の文章のような雰囲気が好きです。これからもよろしくお願いいたします。
いいですね。あまり不自然というところはなく、流れるように読むことができます。 直したほうがいい部分は、 >五月の代表的なものだろうか。 日本人が中国の方の書いた文として読むなら、日本人にとっては"五月の"というのは抵抗がありませんが、そういった背景を知らないと、なぜ"五月の代表的なもの"なのかがわからないと思います。 5月5日の「端午の節句」という、子供、特に男子の成長を祝う、昔ながらの行事に因むものだそうだ。 前の文と区切らずに、~の絵柄で、5月5日の~としたほうがよいでしょう。 文が短く切られていると、いわゆるハードボイルド小説のような硬く冷たい感じになってしまい、このような内容の随筆にはそぐわないと思います。 >美しい日本語の響きを感じた。 美しい日本語の響きを感じさせる。 主語は"箱にかかれた名前"ですから、こうなります。 あるいは私を主語として 「夜の梅」、「新緑」、「おもかげ」という、それらの名前を読んで、(私は)美しい日本語の響きを感じた。 とも書けますが、冗長な感じになってしまいます。 >私はすべてのパッケージを捨てずに収集することにした。 私はこれらのパッケージを捨てずにとっておくことにした。 あるいは 私はこれらのパッケージを捨てずに保存しておくことにした。 収集する、としたら、これからも他の羊羹のパッケージを集める、ということになってしまいます。 "すべて"とすると同じものが3枚あっても、3枚とも、になりますが、"これらの"なら全種類(全部か1枚だけかは曖昧)になります。 >外の箱を開けたら "外の"は不要だと思います。 >美しい文字で羊羹が引き立った。 この"文字"は、裏側に書かれた説明文の文字と受け取られます。そうなのでしょうか。 表側に書かれた文字のことであるなら >美しい日本語の響きを感じた。 の後ろに >美しい日本語の響きを感じさせる。その文字もまた美しいものである/あった。 となるでしょうし、 説明文の内容の美しさをさしているなら、 ~と書かれており、その味への期待をふくらませてくれている。 というような表現になるでしょう。 文字と羊羹は異質なものですから、"文字で羊羹が引き立った"は奇異な表現です。 お茶を飲みながら羊羹を食べ、"お茶で羊羹が引き立った"といえますし、また、その文字でパッケージの絵柄が引き立った、ということは可能です。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。とても参考になりました。本当にありがとうございました。
中にとても綺麗な絵が書かれた小さな箱がいっぱい並んでいた。 →中にとても綺麗な絵が書かれた小さな箱がたくさん並んでいた。 「いっぱい」は話すときにはよく使いますが、作文では、通常避けます。 それは鯉のぼり、菖蒲、兜の絵柄だ。 →それは鯉のぼり、菖蒲、兜の絵柄だった。 特に根拠はありませんが、少し不自然だったので。あくまでも私の感覚ですから、無視されてもかまいません。 私はすべてのパッケージを捨てずに収集することにした。 →はすべてのパッケージを捨てずに集めることにした。 「収集する」だと、辞書からそのまま訳したようで、不自然な気がします。 勉強がんばってください。
お礼
ご親切に添削していただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- c2000
- ベストアンサー率25% (5/20)
すばらしい日本語だと思います。 あえて言うなら、「日本人の友人」を「日本の友人」とした方がさっぱりするような感じがします。 読者は「日本にいる外国人の友人」と誤解することは無いと思います。 「外の箱を開けたら」も「箱を開けたら」に変えたら如何でしょうか。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。「日本人の友人」を「日本の友人」にした方が良いというご意見は以前もほかの方からいただいたことがあります。いろいろ大変参考になりました。まだすっきりしていないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
>あえて言うなら、「日本人の友人」を「日本の友人」とした方がさっぱりするような感じがします。 「日本の友人」で「中国にいる日本人の友人」という意味も表すことができるのでしょうか。
お礼
いつもご親切に教えていただき誠にありがとうございます。「取っておく」は私にとっての新しい表現です(←ここの「です」は今回教わった「発見」というご説明によると、「でした」にしたほうが良いのでしょうか。)いろいろ大変参考になりました。まだ疑問に感じているところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。
補足
1.「外箱」は何と読むでしょうか。 2. >>「新緑」は私の大好きな抹茶味のものだ。 →「新緑」は私の大好きな抹茶味【だった】。 : 原文のままでも特に問題はありません。 ただ、 「裏面の説明を読んで、初めて抹茶味であることを知った」 という【発見】のニュアンスに近い場合は、「だった」をお遣いになると良いでしょう。 「過去の事柄に対する判断・確認を表す」用法で、 『「である」に助動詞「た」の付いた「であった」よりもくだけた言い方』 と解説されています。 「一九世紀の江戸の人口は約一〇〇万人?」 「あっ、今日は母の誕生日?」 「過去の事柄に対する判断・確認を表す」用法と書かれておりますが、『「新緑」は私の大好きな抹茶味【だった】』の中の「過去の事柄」は何をさすのでしょうか。「一九世紀の江戸の人口は約一〇〇万人?」の中の「過去の事柄」は理解できますが、「あっ、今日は母の誕生日?」の中の「過去の事柄」は何をさすのでしょうか。