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自然な日本語に添削していただけないでしょうか(万博ポスター)
日本語を勉強中の中国人です。「2010年上海万博を前に」というテーマの作文を練習しています。私の書いた内容を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。 ある日、ある小学校の前を通った。校門の両側の壁に、さまざまなポスターが貼ってあることに気づいた。近づいてよく見たら、小学生の諸君の上海万博に対する願い言葉がそこに書かれていた。「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です」などが書かれていた。字がまだまだとても稚拙だったが、しっかりしていた筆画と子どもたちの生身の声から、小さな温かい心が窺うことができる。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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1、《ある日、ある小学校の前を通った。》 みなさんおっしゃっているように、「ある」の重複は避けたほうがスマートです。 『(先日/この間)、ある小学校の前を通った。』 2、《校門の両側の壁に、さまざまなポスターが貼ってあることに気づいた。》 【さまざまなポスター】という表現が少し引っかかります。 「気づいた」時の印象そのままに、 『たくさんのポスター』とするほうが自然な印象を与えるでしょう。 3、《近づいてよく見たら、》 【見たら】でも間違いではありませんが、 ここは「何が書いてあるのか確認するために見た」というシチュエーションなので、「確認するために/判断するために」という作用を持つ、 『見てみると』『見ると』という表現を使ったほうが自然です。 4、《小学生の諸君の上海万博に対する願い言葉がそこに書かれていた。》 a.【諸君】というのは「上から目線」になります。 政治家や校長先生あたりが使うと似合う表現です。 1mizuumi さんが作文する場合、相手が子供なのでそれでも良いのですが、他の表現のほうが好ましいと思われます。 小学校場面であることはすでにわかっているので、 『生徒たち』のように表現すると自然になるでしょう。 b.【願い言葉】はユニークな表現ですし意味も通じますが、日本語表現としては奇異な印象を与えます。 また、「書かれていた」と続くので、特に「言葉」という単語を明記する必要はありません。(書いても間違いではありませんが、落ち着きが悪くなります) 願い・意志・夢・意見・考え、などを一言で言いたいときには、『思い』という言葉が便利です。 『生徒たちの上海万博に対する思いがそこに書かれていた。』 とするとすっきりまとまるでしょう。 5、《「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です」などが書かれていた。》 前の文が「書かれていた」で終わっているので、この箇所は、 【などが書かれていた。】ではなく、 『などなど。』 とするだけで十分ですし、また、そのほうがすっきりした表現になります。 6、《字がまだまだとても稚拙だったが、》 「まだまだ」には「合格点には達していない=稚拙」という意味が含まれています。 また、主題提示の「は」を使って「字は」とすると、 「字に関してはダメだったが、他に良い点があった」というニュアンスを持たせることができます。 『字はまだまだだったが』 『字はまだ稚拙だったが』 などとするのが良いでしょう。 さらに、例文の表現からは離れてしまいますが、このような文脈においては、 『字はお世辞にも上手とは言えなかったが』 という表現が最も適していると個人的には思います。 7、《しっかりしていた筆画と子どもたちの生身の声から、小さな温かい心が窺うことができる。》 a.【しっかりしていた筆画】は、「字が勢い良くはっきりと書かれている様」を表しているのでしょうね。 ただ、「筆画」という表現は一般的に知られていません。 『たくましい筆遣い』という表現は良く使われます。 b.【生身の声】も悪くありませんが、 『溌剌とした声』と表現することもできるでしょう。 c.【小さな温かい心が窺うことができる】 ここは、 『小さな温かい心[を]窺うことができた』 または、 『小さな温かい心[が]窺われた』 とする必要があります。 あえて「窺う」という語を使わずに、 『小さいながらも温かな心が伝わってきた』 などと素直に表現することもできるでしょう。 8、【まとめ】 先日、ある小学校の前を通った。 校門の両側の壁に、たくさんのポスターが貼ってあることに気づいた。 近づいてよく見てみると、生徒たちの上海万博に対する思いがそこに書かれていた。 「笑顔で外国の方を迎えたいです」「礼儀正しいホストになりたいです」「環境を守るのは、私たちの責任です」などなど。 字はお世辞にも上手とは言えなかったが、たくましい筆遣いと子どもたちの溌剌とした声から、小さいながらも温かな心が伝わってきた。
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- Ishiwara
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校門の両側の壁に→校門の左右の塀に (両側でも間違いではないが「うら・おもて」のような感じもします。また、壁は一般に建物の一部です。(ベルリンの壁、は例外)) 小学生諸君の→小学生たちの (諸君は、おもに目の前にいる人に対する呼びかけとして使います。) 願い言葉→願いごと、期待の言葉 筆画→筆遣い、筆の運び 小さな温かい心→温かい心 (小さい心は、一般に良くない表現です。小心者などと言います。) 心が窺う (心を窺う)
お礼
ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
無駄を省くという観点から、可能な限り短くして見ました。 小学校の前を通ったら校門の壁にポスターが貼ってあった。よく見たら、小学生の書いた上海万博のスローガンだった。「笑顔で外国の方を迎えたい」、「礼儀正しいホストになりたい」、「環境を守るのは、私たちの責任です」などと書かれていた。字がまだまだ稚拙だったが、しっかりした筆致と子どもたちの生身の声から、小さな温かい心が窺えた。 ご参考まで。
お礼
ご丁寧に添削していただき誠にありがとうございます。いい観点ですね。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- sanori
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にーはお またお会いしましたね。 ^^ 「私は」という主語を使わずに書いていることには、非常に感心しました。 お見事! そして、「小さな温かい心」という表現には、うなりました。 素晴らしいです。 私には、このような文学的表現は書けません。 以下、1文ごとに説明します。 1. ある日、ある小学校の前を通った。 → 一応、OKです。 ただし、「ある」の2連発が、あまりよくないので、 他の言葉を新たに足して、2つの「ある」のどちらかと入れ替えるとよいと思います。 <例1>桜の花が散り始めた頃、駅に向かう道で、ある小学校の前を通った。 <例2>ある日、街外れの丘にある小学校の前を通った。 2. 校門の両側の壁に、さまざまなポスターが貼ってあることに気づいた。 → 頭に「すると」をつけましょう。 3. 近づいてよく見たら、小学生の諸君の上海万博に対する願い言葉がそこに書かれていた。「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です」などが書かれていた。 → 近づいてよく見たら、小学生達の上海万博に対する思いが書かれていた。それらは、「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です」など(の)、意気込みを表す言葉であった。 あるいは → 近づいてよく見たら、それらは「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です」など、小学生達の上海万博に対する意気込みであった。 あるいは → 近づいてよく見たら、「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です」など、小学生達の上海万博に対する意気込みが書かれていた。 <解説> ・2つの文が連続して「書かれていた」で終わっているのは不自然です。 ・この場合、「願い言葉」という言葉を使うのは適切ではありません。なぜならば、「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です」の3つは、いずれも「願い」ではないからです。 ・「諸君」は小学生を表すには堅すぎます。 4. 字がまだまだとても稚拙だったが、しっかりしていた筆画と子どもたちの生身の声から、小さな温かい心が窺うことができる。 →字がまだまだ稚拙であるが、しっかりした筆画と子どもたちの生身の声から、小さな温かい心を窺うことができた。 <解説> ・「まだまだ」には「とても」という意味が含まれていますので、「とても」は不要です。 ・「稚拙」という状態は「現在でも継続」しているニュアンスがあるので、「稚拙だった」よりも「稚拙である」の方が適切です。 ・同様に、「しっかりしていた」も「現在でも継続」している状態です。 これは、「しっかりした」という書き方をすることによって解決できます。 (「しっかりした」は、形容詞のような働きをしますので。) ・逆に、「窺うことができる」は、その時点での判断なので、「窺うことができた」とすべきです。 ・「心」は「窺う」の目的語なので、「心が窺う」ではなく「心を窺う」です。 以上、ご参考になりましたら幸いです。 再見
お礼
Nihao^^。ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。1文ごとにご丁寧に説明していただき、大変助かりました。改善してみます。本当にありがとうございました。
ある日、ある小学校の前を通った。 「ある」が重なると,美的じゃないと思います。「数日前,ある小学校・・・」。ところで,後ろを読むと,これは中国の小学校のようですね。それなら,「先日,帰国したときに」などという始め方もあります。 校門の両側の壁に、さまざまなポスターが貼ってあることに気づいた。 「貼ってあった」でいいです。 近づいてよく見たら、小学生の諸君の上海万博に対する願い言葉がそこに書かれていた。 「小学生の上海万博への期待が書かれていた」日本語では複数形を表現しなくてもいいです。この場合は,ポスターがたくさん貼ってあったわけですから,複数であることはわかります。「願い言葉」はあまり言いませんね。特別に「短冊に願いごとを書いて笹につけた」(中国由来の七夕行事です)はいいます。 「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です」などが書かれていた。 「ホスト」は中国語で「主人,東道」ですか? ホストは(日本では)小学生が使う言葉ではないので,「礼儀正しくお客さんを迎えたいです」と意訳していいと思います。 字がまだまだとても稚拙だったが、しっかりしていた筆画と子どもたちの生身の声から、小さな温かい心が窺うことができる。 「まだまだ」は強調のしすぎでしょうか。「字がとても稚拙」でいいでしょう。日本語では「しっかりした筆使い」になると思います。「心を(が,よりもいいです)うかがう(漢字が難しいのでひらがなでいいです)」がいいと思います。結びは,過去のことなので,「できた」(わざと現在形で書いて臨場感を出す手法もありますが,ここはそれほど必要を感じません)。 ※北京オリンピックをTVで見ていて,「加油!」が「がんばれ!」だと初めて知りました。日本人にもわりと直感的にわかる,面白い表現だと思いました。
お礼
ご丁寧に添削していただき誠にありがとうございます。いろいろ大変参考になりました。「ホスト」は中国語で「東道主」と言います。ちなみに、「加油立占」はガソリンスタンドという意味です。「がんばる駅」じゃありませんよ^^。本当にありがとうございました。
- taka_tora
- ベストアンサー率56% (59/105)
こんにちは とてもきれいな文章を書かれていると思います。 少しだけ修正させていただくと以下のようになります。 「ある日、ある小学校の前を通った。校門の両側の壁に、さまざまなポスターが貼ってあることに気づいた。近づいてよく”見ると”、 (「見たら」でも何の問題もありませんが) 小学生の諸君の上海万博に対する”願いの言葉”がそこに書かれていた。「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です」などが書かれていた。字”はまだまだ” (「まだまだとても」は多少くどい印象を受けます) 稚拙だったが、”しっかりした”筆画と子どもたちの”生” (生身は、からだ、身の状態を表現するもので、声に対しては使いません)の声から、小さな温かい心”を”窺うことができる。 (「心が」を使われるのであれば、「温かい心が窺える」とされると良いと思います) 「生身の声」と「温かい心が」以外は、あえて修正させていただくほどのものでもなく、とても洗練された文章だと思います。 ご質問文に関しては、特に言うことはありません。完璧な文章です。
お礼
ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- danishefsk
- ベストアンサー率49% (46/93)
1mizuumiさんの文章を生かしながら、少し変えてみました。 ある日、ある小学校の前を通った。校門の両側の壁に、さまざまなポスターが 貼ってあることに気づいた。近づきよく見ると、小学生諸君の上海万博に対する 意気込みがそこに書かれていた。 「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しいホストになりたいです」、「環境を守るのは、私たちの責任です。」 まだまだ稚拙な文字ではあったが、しっかりとした筆致と子供たちの真摯な 気持ちが窺われ、小さな胸に秘めた温かい心が垣間見られた。 私は日本語の先生ではないので、もしかすると文法や単語の使い方が 少し間違ってるかもしれません。普通の日本人ならこう書くのか、 という参考にしてください。
お礼
ご丁寧に添削していただき誠にありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- cyclone11
- ベストアンサー率0% (0/5)
自然な日本語になるように添削したいと思います。 私はある日、中国のとある小学校の前を通った。すると、その小学校の校門の両側の壁に、さまざまなポスターが貼られていることに気がついた。近づいてよく見てみると、上海万博に対するその小学校の児童の想いが、拙い字でそこに書かれていた。「笑顔で外国の方を迎えたいです」、「礼儀正しい主催国になりたいです」、「環境を守るのは私たちの責任です」などである。そのポスターに書かれていた字は、まだまだとても稚拙ではあった。しかし、児童が書いたと思われるしっかりした筆画と書かれたコピーの内容から、小さいながらも万博の主催国としての責任と自覚を持っていることを、それらから伺い知ることができた。 あくまで参考意見ですので、これが正しいと思わないでください。しかし、自然な日本語にはなっていると思います。頑張ってください。
お礼
ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
お礼
ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。いい作文の授業でした^^。本当にありがとうございました。