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背理法と対偶証明の違いについて

kabaokabaの回答

  • kabaokaba
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回答No.5

なんか疲れてきたからそろそろ逃げます(苦笑) んーー。。。宗教論争になってきそう. たぶん,お互いの根本的な立脚点が違うんだと思うので 逃げるよ.私ディジタル回路には興味ないし. >この式(¬ψ → ¬φ)→(φ → ψ)は(¬ψ → ¬φ)←(φ → ψ)と同値なので、 いや,だからなんでなんですか? 一般にA->BとB->Aは同値じゃないでしょう. 今「同値」だというなら,この式では同値であるという 「証明」が必要ですよ. #実際は「二重否定の除去」ですけど >この前半の式(ψ → ¬φ)∧(ψ → φ)は何ですか。 >(ψ → φ)の証明に使うためですね。 ちがうよ. そもそも証明したい命題は「¬ψ」でしょう. これを証明するために ψを仮定すると, φと¬φがでてきた. そしたら,トートロジー ((ψ → ¬φ)∧(ψ → φ)) → ¬ψ を使って、めでたく「¬ψ」でしょう. >((ψ → ¬φ)∧(ψ → φ))は展開すると¬ψです。従って¬ψ⇒¬ψを示すだけなので当然トートロジーです。ご存知でしたか そうそう.トートロジー. よかったよかった・・これを計算で示すのは タイプするのが面倒かなと思ってた. あなたがいう「展開」ってのが「命題論理での証明」ですよね. この展開の途中で「対偶」使いますよね. つまり,「対偶」を使って証明したわけですよ. 定理ですよ,万歳! このトートロジーを「背理法」というわけです. 命題論理の公理系から,延々と展開して でてくる命題論理の定理は「トートロジー」でしかないのです. けどそれが大事で,したがって,命題を構成するパーツの命題の 真偽に関係なく,推論として成り立つ「正しい推論」ですね. ((ψ → ¬φ)∧(ψ → φ)) → ¬ψ っていう式が トートロジー(ψとφの真偽にかかわらず常に真) なんだから ψ → ¬φ と ψ → φ が示されたならば (ψ → ¬φ)∧(ψ → φ) がでてきて, #ここは,A, BからA∧Bを導出できるってあれ めでたく合意が得られた「トートロジー」によって ¬ψ がでてくる #これはAとA→BからBが導出できるってあれ これってまさに背理法. でわ

skoyan
質問者

補足

御気の毒ですが、貴方は全く論理学の知識がありませんね!! 「一般にA->BとB->Aは同値じゃないでしょう」とは頭大丈夫ですか。そんなの書いていませんよ。  立脚点が違うのではなく、知識レベルが違い過ぎるようです。  他人におこがましくも教えようというからには、いい加減な理屈だけ並べて逃げてはだめです。この辺も論争の相手だった方によく似ています。 知りもしない数学の項目だけ羅列して、・・・他の問題に転嫁しよと・・・これも良く似ているのが不思議です。  同一人物でしょうか。KSさんですか。  ご参考に下記式のトートロジー性の証明を書いてあげます。対偶の式くらいはご自分でどうぞ。   (A⇒¬B)∧(A⇒B)⇒¬A≡T ≡(¬A∨¬B)∧(¬A∨B) ≡(¬A∨¬B)∧(¬A) ∨(¬A∨¬B)∧(B) ≡¬A¬A∨¬A¬B∨¬A B∨¬BB≡¬A∨¬A¬B∨¬A B∨0 ≡¬A∨¬A(¬B∨ B) ≡¬A∨¬A・1≡¬A ∴ (A⇒¬B)∧(A⇒B)⇒¬A≡(¬A⇒¬A)≡T  こんなの簡単でしう。

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