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背理法と対偶証明の違いについて

B-jugglerの回答

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.23

確認作業に近いと思うのですが、念のために。 例の式は、知らなかったんですよね・・・。  #だからうまく出せなかったんだろうけれど 言われてみれば、そうかなぁ?とも思えるし、 「だから何?」って気もするんですよね。 なので、今ここでは保留にさせてください。 これはまたちょっと後にしましょう すいません先に素数の話を。 命題が変わっているので引用してきますよ。 ~~~~~ 《素数は無限集合の証明》 A={全素数の集合:2,3,5,・・・,Nn・・・}、 maxA=Nnであるとする。(1) B=Aの個数(濃度) n=∞である、と定義する。 証明課題: A⇒Bになる。 背理法の仮定で¬Bつまりn=有限(n<∞)とし、 2×3×5×7×・・・×Nn=Mnと置けばMn +1=Mmは素数でありNn<Mmとなるが、Aの定義maxA=Nnに矛盾する。故に¬B⇒¬A≡A⇒B ~~~~~~ とりあえずここまでのことを。 途中に番号を付加しています。(1)だけです。 重箱の隅をつつくようなことは辞めて、ゆっくり行きますね。  #Nnって、(1)の時はまだ、既定できませんね・・・。  #背理法を取れば既定できますが。 素数の集合が有限だと、背理法を使うと >2×3×5×7×・・・×Nn=Mnと置けばMn +1=Mmは素数 ここまでは問題ありませんよ。次も大丈夫。 > Nn<Mmとなるが ここも大丈夫。 次がちょっと? > Aの定義maxA=Nnに矛盾する。 ここがちょっとまずいんですよ。 Aは素数の集合でしたよね。 有限の素数集合となっています。 ところが、Mmは素数ですね。と、言うことは Mmが「素数でかつ、有限の素数集合 に入っていない」と言うことですよね。 これをもって、 ただの(¬A)としていいものかどうか?  って言う疑問がでてきませんか? 素数だけども、外にある状態でしょう? 素数全体の集合を有限だと仮定をしました。 ここで思い違いをなさってはいけませんよ。ゆっくりね。  ¬B だけを既定しているわけではありませんよね ¬Bを既定すると、自動的に素数全体の集合が有限だと既定できますね。 そこで、改めて、Mmについて考えて見ましょう。 Mmは素数ですから、素数の集合には入るはずです。 ところが、Nn<Mm なので、有限とした素数集合には 入っていませんよね。 ここが相反する帰結(矛盾って言っていいのかな?)になっていますね ゆっくりゆっくり。 素数を有限と取りました。そうしたら、有限の外に、また素数が出てきました。 何かが間違えているんではないか? 素数を有限としたことが間違いかな? こういう結論がでてくるんです。 つまりは、背理法をやってみた式 ¬(A⇒B) ⇔ (A∧¬B)  これに反するだけですよね。 ここから素数が出てきてしまったから。 > 故に¬B⇒¬A≡A⇒B これは強引にかんじられませんか? ¬B⇒¬A と言い切ってしまって、大丈夫でしょうか。 『外側に出たものも、素数ではありますから、 単純に¬Aとは言い切れないんです』 あるいは、『』 の主張ではなくても、 ¬B と取ったときに、Aも変わりますね。 Aは無限から有限に変わりますね。 ならば ¬Aとしてもいいのかもしれません。 とすれば、対偶法で帰結できることは、A⇒Bですから、 上のような説明は必要ありませんね。  どんな命題についても成り立ちますから。 背理法の途中で、対偶を取るのは問題ありませんが、 この場合は、¬Bと取ったときに、Aも何らかの形で変わっていますよね。 その状態で、¬Aと取っていいものかどうか? ここには余地が残るのではないでしょうか。 この主張、これは分かっていただけると思います。 これが今回の肝です。 ひょっとすると、例の式になるのかな?とチラッと思いましたが、 私ももう少し考えて見ます。 ゆっくり行きましょう。 後半部分ですが、これは気持ちよく眠れますよ。 ~~~ 2×3×5×7×・・・×Nn=Mnの次の素数をこの式で考えると・・・ 2×3×5×7×・・・×Nn×(Mn +1)+1=Mn×Mm +1=Mとなるが、2×3×5×7×・・・と具体的数から分かる通り、MmとMの間には多くの数が在りMn×Mm +1が素数かどうかは不明である。Mnはn→∞(nがいくら大きくなって)でもMが素数であると前提すれば循環論法になり、前提しなければ、全ての素数を取り出して掛け算が可能かどうかは不明になる。ここにこの証明方法の疑問点がある。 具体例として、Mn=2×3×5=30とする。Mm=Mn +1=30+1=31は素数である。 前記式で次の素数を考えると、M=Mn×Mm+1=30×31+1=931となる。この前の素数31が出たときには7,11,13,17,19,23,29が飛び越されている。ところが、この931÷7=133で飛び越した素数7で割りきれるので、素数ではないのである。 ~~~~ > 2×3×5×7×・・・×Nn=Mnの次の素数をこの式で考えると・・・  この式から、次の素数を求めるわけではありませんから、 何の問題も無く、申し訳ないですが、この式から考える必要はありません。  むしろ、この式から考えてしまうと、M=Mn×Mm+1 これが素数に なるとは限りません。  #ちょっとここぼかします。なる場合もあるかもしれない。 おっしゃるとおりですね。 M=Mn×(Mn+1)+1 =Mn^2+Mn+1 (2)  #この計算式であっていますか? 確認してください。 この式は素数を作り出す式ではないです・・・。 ぼかしておいて良かった、例外がありますね。 Mn=2,6 このとき、M=7,43 で、素数ですね。 後まだ他にもあるかもしれない。 次の素数を探すのは、単純にふるいにかける作業になります。 メルセンヌ数は有名ですが、その間は全部コンピュータでチェックしているそうです。 これは確か、私一目で分かるといったところではないでしょうか?  #ついでなので書いておきましょう。 「この作業では素数が得られない」(これは例外がありました) 「間に素数が出てくるのであれば、それがどう言った素数で、  個数がいくつ、など 全く分からない」  この二つが一目で分かります。 (2)式が頭に浮かぶと、反則なんですが、見えます。 これを本気で検証しようとすると、スーパーコンピュータで何日もかかって、素数を列挙していかないと、おそらく人間で無理な作業です。 素数の無限性の証明は何だかんだ言って、やはり難しいな~。 ここはほんとに学生さんもつまずくんですよね^^;

skoyan
質問者

お礼

確認作業に近いと思うのですが、念のために。 例の式は、知らなかったんですよね・・・。 ・・・・・・・・・・  なので、今ここでは保留にさせてください。 ●これはどの式の事ですか? ・・・・・先に素数の話を。 ●数論の専門と言う方に、数論に興味のない私があまり議論しても意味ないでしょう。 命題が変わってばいるので引用してきますよ。 ~~~~~ 《素数は無限集合の証明》 A={全素数の集合:2,3,5,・・・,Nn・・・}、 maxA=Nnであるとする。(1) B=Aの個数(濃度) n=∞である、と定義する。 証明課題: A⇒Bになる。 ●¬(A⇒B)≡(A∧¬B)から達する矛盾と言うのが、例の初等幾何の場合は『・・・錯角が等しいなら・・平行である・・』はこに出ていない、直線の公理に反すると、A∧・・KiのKiに矛盾したようにA∧・・KiのKiが不明確なので、前件部分の明確化をしたいと思ったのです。 ・・・・・ ここも大丈夫。 次がちょっと? > Aの定義maxA=Nnに矛盾する。 これをもって、 ただの(¬A)としていいものかどうか?  って言う疑問がでてきませんか? 素数だけども、外にある状態でしょう? ●Aが個数有限となればmaxA=Nnが存在する事になり、Nn<Mmが出てきては maxA=NがAの中に存在しなくなるから、という意味で¬Aとなる。 ・・・と言えるような定式化にまだ不完全かもしれません。 ●そもそも素数の定義を含むA={素数Ns}の定義は、自然数の集合をNとして、 A={Ns:n,Ns∈N∧∀n((n<Ns)⇒¬(Ns/n∈N))}とでもするのが厳密でしょうか。 こうすればNsは1と自分自身意外で割れない数だけの集合になります。要ご検討。 これが有限集合かどうかです。述語論理まで入ると複雑すぎますね。 ・・・・・・・ つまりは、背理法をやってみた式 ¬(A⇒B) ⇔ (A∧¬B)  これに反するだけですよね。 ここから素数が出てきてしまったから。 > 故に¬B⇒¬A≡A⇒B これは強引にかんじられませんか?

skoyan
質問者

補足

表示では逆になりますが・・・続きです  ●上の様に厳密に素数を定義して、¬Bなら当然Aも有限集合で、そこには最大値があるので、それに反して¬Aでしょう。 ¬B⇒¬A と言い切ってしまって、大丈夫でしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Aは無限から有限に変わりますね。 ならば ¬Aとしてもいいのかもしれません。 ・・・・・・・・・ これが今回の肝です。 ひょっとすると、例の式になるのかな?とチラッと思いましたが、 私ももう少し考えて見ます。 ゆっくり行きましょう。 後半部分ですが、これは気持ちよく眠れますよ。 ・・・・・・・・ > 2×3×5×7×・・・×Nn=Mnの次の素数をこの式で考えると・・・  この式から、次の素数を求めるわけではありませんから、 ・・・・・・・・・・・・・・  #ちょっとここぼかします。なる場合もあるかもしれない。 おっしゃるとおりですね。 M=Mn×(Mn+1)+1 =Mn^2+Mn+1 (2)  #この計算式であっていますか? 確認してください。 この式は素数を作り出す式ではないです・・・。 ・・・・・・・・ 後まだ他にもあるかもしれない。 ●(2)式が素数の式なら良いのですが、Mn=37でもM=1407=201×7になります。 ここでの私の疑問の肝は、「どんな大きな数に対しても、それ以下の全ての素数を漏れなく選び出して掛け算できる」と言う事は、仮定するしかない。のてはと言う意味です。 とすれば無限に多くの素数がある事と同じだという意味です。背理法は不要です。 次の素数を探すのは、単純にふるいにかける作業になります。 (2) )メルセンヌ数は有名ですが、その間は全部コンピュータでチェックしているそうです。 これは確か、私一目で分かるといったところではないでしょうか?  #ついでなので書いておきましょう。 「この作業では素数が得られない」(これは例外がありました) 「間に素数が出てくるのであれば、それがどう言った素数で、  個数がいくつ、など 全く分からない」  この二つが一目で分かります。 (2)式が頭に浮かぶと、反則なんですが、見えます。 これを本気で検証しようとすると、スーパーコンピュータで何日もかかって、素数を列挙していかないと、おそらく人間で無理な作業です。 素数の無限性の証明は何だかんだ言って、やはり難しいな~。 ここはほんとに学生さんもつまずくんですよね^^;

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