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背理法と対偶証明の違いについて

B-jugglerの回答

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.21

とりあえず、まずどうしようもない間違いをしていたのを、 謝罪しようと思って。すいませんでした。 こんな単純な間違いをするとはね・・・>< 苦手意識としか思えなかったです。 えっと、解けたんですか・・・。 うん、おめでとうございます。良かったです。 じゃぁ、これでおしまいにしましょうね。 「あなたの背理法は?」をずっとお聞きしてきて、 これを、補足要求にさせてもらって、ちゃんと書こうと思っていました。 書かれてあるから、もうその意味が無いですね。 >その矛盾が「何に対する矛盾か」を顕在化していないから、以後の理論が混乱し誤っているのです。 なるほど、これだったのですね。了解了解。 矛盾の対象は公理、定義、定理、そういったのもですね。  #書かれてますね(^^;) 背理法の途中で、対偶が出てきても背理法をやっていることに違いはありませんから。 対偶法と、背理法が違ってきていても、問題ないですよね。 例の式なんですが、どっかで記述しましたが  #((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))⇔¬ψ 「ある命題について、その否定を取ったときに 2つの相反する帰結が得られた(φと¬φとしたところですね)。 これをもって矛盾とする」  ↑ここの「矛盾」って言うのが、数学的にありえないことですよね。  公理系や定理、定義に反する って言う矛盾なんですね。  #これ、書きはしませんね。多分間違っていそうなので。  #¬Ψ⇔((Ψ∧(φ∧¬φ))この段階ですでに自信が無いですが。。  #こうやって引っ張り出すのもあるようです。 だから多分、この式でも大丈夫なんですよ。 「ありえないこと」って言うのが、公理・定義・定理に反しているはずですから。      「素数の無限性」や「零要素」、「平行線の錯角(同位角)」などが典型例ですね(公理に反していますね)。 私が出させてもらった 4N+1型の素数って言うのも、同じことですね。数学的にありえないことがでてくるので、何か定理かに反しているんだろうと。そこで矛盾と取れます。 「何に対する矛盾」と言うのが、もし出されていれば、もうちょっと早かったかもしれません。 ご自身で理解されたのですから、すばらしいことですし、立派でいらっしゃいます。お見事でした。  #なかなか自分の間違いを認めるのって、勇気要りますから。  #私は、そんなかけらも無いですから(^^;)  #間違えて当たり前な人間ですから(^^;) 一つだけ訂正をしておきますね、これはまずいので。 素数の有限の話の中で出てきた、最大の素数についての式。  #多分書き間違いだろうなぁ~と思ってそのまま流しました。 >1×2×3×・・・Nm-1×Nm +1(Ni∈A)=N この式ですけれど、1~Nmまでの積を取って+1 ではなくて 2×3×5×7×11×・・・・・×Nm+1 素数の積になります。  #多分書き間違いです。お分かりだと思いますし。 ほとんど手助けになっていませんで、邪魔しているようなものですから 私のほうこそ勉強になりました。 ありがとうございました。 m(_ _)m

skoyan
質問者

お礼

 意外に率直に私見を認めて頂いて、素直に理解できる力がある事に安心しました。同じ内容、旧友にも書いたのですが・・・・。 生徒に教える立場の方のようなので、未だ氷解しなければどうしようかと、少し心配しました。 遠方の友はもっと長い議論の果てに、まだあの式を信じて、私に対して敵意を残したまま消えました。Venn図、真理値表、論理式、具体例、そしてディジタル回路図まで書いて議論したのです。お陰でトートロジーについての知見も少し深まりました。 実は回路図にすると面白い事が分かります。自分には新発見でした。 ⇒で結ばれたトートロジーは、正しい推論に無関係らしいという事です。高名な哲学者のウィットゲンシュタインは、トートロジーは真理だという前期の思想・説でした。 今までの貴方の考え方は、背理法の考えから[(A⇒¬B)∧(A⇒B)]⇒¬Aの式に到達し、この式の正当性を証明する方向でした。私はこの式を使って、背理法でA⇒Bが証明できる事を求めていたのです。その為の食い違いです。この式は矛盾を示す事には使えない筈ですから、それは不可能なのです。もしこの式でA⇒Bが証明できれば、この式の対称性から、[(A⇒B)∧(A⇒¬B)]⇒¬AでもあるのでA⇒¬Bも証明できるからです。これこそ矛盾です。 1×2×3×・・×Nmと×5・・まで書かなかったので、誤解されたようです。問題はあの式で構成的に素数を作ると、飛び飛びの素数になり、その抜けた素数で割れる数が出てくるので、あの式では全ての素数を取り出して、掛けるという操作ができなくなります。 故に、どの大きい数の場合でも、素数の全てを取り出して掛けられるという前提、つまり無限に素数があるという、証明すべき事が前提に入るのではないかという疑問です。 他の証明法も有りますから、素数は無限にないとも思っていませんが、この証明方法はやや疑問です。詳細はまだ問題です。 また三段論法の[(A⇒B)∧(B⇒C)]⇒(A⇒C) 式は、そのトートロジーが論理式でも証明できますが、これは推理としても正しいのは何故か等はまだ理解できません。

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