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人間はおそろしい

entahu2の回答

  • entahu2
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回答No.5

私は現在63歳ですが、子どもの頃、南京の大虐殺の当事者の方(かた)のお話を直接聞いています。 子どもに話す解かりやすい話ではあるのでしょうが、今でもその方が子どもだからといって話しをはしょったりしたのではないと信じています。 当時の素朴な青年の多かった多くの日本の若者達は、 最初は銃を同じ人間に向けることもできなかったと言う話からそのお話は始まりました。(虫も殺せないような人がまわりに多かったそうです) でもやがて、目の前で仲間が玉にあたり死んでゆくのを見ながら 神経が変化していったと言います。 徐々にです。 そのへんのところを詳しく話してくれたのです。 そしてまず、 彼は とうとうあの南京の大虐殺の話へとそれを繋げました。 聞き手の私が子どもであるにもかかわらずです。 うううううううううという大陸特有の低いうなり声が、自分たちよりもはるかに多い捕虜達の全体に連鎖した時に、 それは見方の中の恐怖の連鎖へと繋がったのだと言います。 だれかが 飛び出したのをきっかけに後は 雪崩現象だったようです。 彼自身、 自分が威嚇的に 女子供、老人にかかわらず、大声で威嚇しこずいて穴の生き埋めにしたのだそうです。 何度も威嚇的という言葉がでてきました。 その方(かた)自分自身のその時の状態を表していたその言葉はじつはまだ私は始めて聴く言葉だったのですが、 意味は解かりました。 何度も その言葉が繰り返されたからです。 平和の地に生還出来て、彼は子供に何が言いたかったのか? 彼は その後、 さらにその極限の状態の心理について説明し始めました。 そんな状態の中では どんなに神経が変化してしまうか、とうことについてです。 彼自身が 何千里も歩いて 休むまで足の骨折に気がつかなかったとう話、 たしかにこれらは私たちの平和の中の神経の状態ではありません。 そういう話を直接聞いた者としては、 そうした時の殺人者たちを非難することは全く出来ません。 しかし、同時に 私はやはりこれはたしか中学生の頃だったと思いますが、 こんなテレビ番組を見たことがあります。 原爆の被害者の子供たちが 並んで寝ていて死ぬのを待っている状態の時、かすかにもれる「助けて」という声、 それをなんとかしたくても何も出来ないで 隣では大人たちがやはり瀕死のベットにて 苦悶の表情を浮かべています。 もし、原爆の落下当初ということでしたら、 あまりにもの興奮のあまり痛くもなく《痛くも無く、気がついたら死んでいた(あまりいいアイロニーではありませんが)》 土に帰ることの出来た人たちもいたかもしれません。 が この映像を見た時から、私は もはや、 その苦悶の世界を忘れることが出来ないでいます。 南京では どうだったのでしょう。  被害者の側についての視点の考察です。 想像してください。 あとは言いたくないですね。 というより 書くことが出来るとは思えません。 想像を絶する世界だと思います。 私たちは 生物でもあるということを忘れてはならないと私は思います。 ただ、それを「見つめる」能力 本能からそのぶん、解放され、 本来その生物であることをもみつめ生かすことのできうる生物、 それが人間です。 見つめるから 物事を比較でき 内面に記号化が起こり、やがて言葉も獲得し、さらなる反省の地点を得、 進歩もしてきたのが人間の歴史でしょうけど、  そのへんの中途半端さは動物以上の悲惨さ(動物は野生の中では 獲物も穏やかに死を受け入れるというのがベテランの猟師たちの言われていることです)をも そこに作り出してしまいました。 平和 それは尊いのです。 でも この中でこそ、 私たちは 二度とそのようなあやまちを犯さないような知恵を磨いていかなければと思います。 もっと詳しく書きたいのですが時間がありません。 機会があればまた お会いしましょう。

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