- ベストアンサー
冬至と瑞兆
冬至を契機に、瑞兆があるとの伝説もあります。 イエスの誕生も冬至の近辺とされています。 そしてイエスの誕生も瑞兆だとする信仰も無論あります。 私もそういう信仰の団体に入っています。 1. そのほかに冬至を契機としての瑞兆にはどういうものがあるのでしょうか? 2. 冬至の近辺にはどうして瑞兆があるとされるのでしょうか?あるいは瑞兆があるのでしょうか? 太陽がまた近寄り、春に向かうからなのでしょうか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- お礼率100% (4030/4029)
- 哲学・倫理・宗教学
- 回答数7
- ありがとう数14
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
何度もすいません。 リンク先が違ってた ><; http://nvc.halsnet.com/jhattori/Zeitgeist/ この映像の中で、<作物が終結向かうことは死を死の過程を象徴したものである>って訳がどーんと出ている映像をクリックして、スライドさせて4分20秒あたりから観てみてください。
その他の回答 (6)
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
こっちの方が字幕が大きくていいかも。 http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20091018/p1 上から4番の映像を再生させて、バーをスライドさせて4分20秒のあたりに移動してみてください。
お礼
ありがとうございました。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
>太陽がまた近寄り、春に向かうからなのでしょうか? そんな感じです。 http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20091018/p1 この映像のうち上から2番目の映像の12:40分くらい以降をみてみてください。 映像の下に右矢印があり、それをクリックすると映像が流れます。 その右横のバーをスライドさせ、12:44分くらいに移動すると、どうして12月25日が太陽の復活の復活になり、どうしてその日に復活を祝わないで春に祝うのかの説明がされています。
お礼
ありがとうございました。
- ENERGEIA
- ベストアンサー率10% (3/28)
人々の行動基準になるということでしかない というのは... まあ、それは違うかな。 落ちきれば後は上がるしかないわけで。 「寒くなれば後は暖かくなるしかないわけで。」 一陽来復もそういった意味で使われているはずですね。 また、キリスト教が出来たことと 苦しむ人との間に因果関係を見出そうとすることは出来ますが、本当に関係があるかどうかということを、確証を以って示すことが出来る人はいないでしょう。 無責任に、適当に「信じる」ことが苦しみを生んだのであれば、自業自得であるとも言えます。 真理を追究している人であれば 簡単に 信じたり・疑ったり することは出来ません。 そのせいで苦しんだ人がいるのは事実です と言うのは真実ではないようです。嘘です。
お礼
ENERGEIAさん。ありがとう。以下一言。 「信じる」って認識ですよ。そうでない「信じる」は「信じる」ではない。 「信じる」に無責任と、適当はありません。 「信じる」とは同一になることですね。 真理しか真理を追究しません。 真理を追究するのは真理です。真理は森羅万象を信じます。 疑う事はありません。 真理は信ずるが故に真理です。 真理は裏切られる事もなく、裏切る事もありません。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
このウィキは冬至がよくわかりますね。http://en.wikipedia.org/wiki/Winter_solstice イエスの誕生日というのはイエス以前の風習の名残りですが、 遠ざかった太陽が近づくことを救済や復活になぞらえた古代神話に、ミトラ神の再生があります。 マイトレーヤの源流とする説がよく知られています。 中国思想の陰陽で「復」掛にあたるのが冬至です。一陽来復ですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%98%93%E4%B8%8A%E7%B5%8C%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%8D%A6%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E5.BE.A9 北半球の文明では、やはり暦法のひとつの目安で新年となることが多かったようですが、 エジプトのシリウス暦は、ナイルの氾濫期を知らせる夏至が始点ですから、 暦というのは、おしなべて天文図をどう読んで農耕と牧畜と狩猟と暮らしと旅に生かすかのことで、 手段であり、良い兆しというのとは少々ちがって、人々の行動基準になるということでしかないと思います。 しかし、まさに、山羊座に冬至点があるさまを、ひとびとが叡智を絞って伝えようとしたのが、 エジプトやバビロニアの、王墓の壁画であったり古代神話の物語であったりするのです。 そのいにしえの心のまわりには、さまざまな煌めきがあり、各地に世界的宗教を生み出すほどの力強い感受性が宿り、 わかりやすくおぼえやすい伝説や風習を今の時代に伝えてきたのでしょう。
お礼
ありがとうございます。 民俗、生活、天行。 これらは思想と宗教にも大きく契機となり、力ともなっている。 そういうものかもしれません。 無論だからといって、冬至の時期にイエスが生まれた事を嘘だというつもりもないし、復活祭の前にイエスの処刑があったということを否定する必要はないのは当たり前ですね。
補足
宗教、聖者、その教え。 民俗、宇宙的天の行。 一致してもおかしくもありませんね。 極く自然の事かもしれません。 冬至がどういう宇宙的意味があり、人間界とはどんな関わりか。 民俗、生活。そこでお話を後付け編纂しても、排撃する必要もなさそうに思えてきます。 ありがとう御座いました。
- reki4649
- ベストアンサー率21% (116/539)
「陰が極まり陽に向かう日」だからでしょうね。 でも陰陽の陰は悪い意味ではなく陽はいい意味だけでは有りません。 要は見方の問題だけです。 例えばキリストが生まれてキリスト教ができ救われた人も多いでしょうが そのせいで苦しんだ人もまた多いのは事実です。
お礼
陰(いん)陽(よう)でのご説明はよく判り、納得できます。 ありがとう御座います。
補足
陰のきわまり。陽が善悪という意味とは異なる、というお話は大変面白いと存じました。 納得できるお話です。
- ENERGEIA
- ベストアンサー率10% (3/28)
12月25日はイエスが磔になって死んだ日だと思い込んでいました。 生まれた日であるとされている ということを知ったのは、私にとっては瑞兆です。 私の肉親の誕生日でもあります。
お礼
何かキリスト教には復活祭ってあるそうすよ。 それも巧い具合に何か天地が芽吹く春先のようですね。 どうも季節の変化にあわした民俗のような感じもしますが。
関連するQ&A
- キリストの誕生日と冬至
キリストの誕生日は12月25日ですが キリストの誕生日の記述は聖書にはなく かつて冬至を1年の始まり=正月とする習慣があったところから キリストの誕生日は12月25日とされたという説があるそうです。 だけど、冬至って12月22日ですよね。(違いますか?) キリストの誕生日はこれより3日遅くなっていますが これはどういうことなのでしょう。 現在では太陽が地平線に達した瞬間を日の出と定義しているようですが 太陽が地平線より半分出たときや、地平線から全部出たときを 日の出と定義していたため、25日が一番昼の短い日になったのかな、 などと理数系に疎い頭で考えてみましたが、 よくわかりません。 キリストの誕生日が12月25日とされたのが冬至と関係があるという 説が正しいとすると、 3日のずれは堂考えればいいでしょうか。 また、この説そのものが間違いなのでしょうか。 私は理数系が苦手なので、わかりやすくおねがいします(汗)。
- ベストアンサー
- 天文学・宇宙科学
- 冬至の太陽が南十字星のあたりにくる地域
12月22日、23日、24日と3日間、一番低い位置で留まり、25日からまた太陽の位置は高くなっていきます。 すなわち、これが太陽の死と復活で、世界各地にある太陽信仰の神話のモデルとなっています。 また、この太陽が死ぬとされた3日間は、太陽は南十字星の近くに位置し、これがキリストの死と十字架を結びつけるものとなっています。 http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/769.html より引用 同様の記事はぐぐるとたくさんでてきます。 キリスト・・・太陽 キリストが磔にされた十字架・・・南十字星 キリストが死後3日後に生き返った・・・冬至から3日後より太陽が南中高度をあげていく キリストの伝説は上に記したことの比喩ではないかといいうのですね。 南十字星が夜空のどのあたりに見えるかというのは地域によって異なるはずですね。 http://matome.naver.jp/odai/2130905041780267101 上記サイトによれば、日本でも四国の南部より南では南十字星の最北端の星が見える。 沖縄本島よりも南であれば、全体が見える、とのことです。 南十字星の全体が見えて、かつ 冬至のころの太陽の南中高度と南十字星が見える位置がだいたい同じになる地域とはどのあたりでしょうか。
- 締切済み
- 天文学・宇宙科学
- キリストの誕生日と冬至と暦
みなさま、こんにちわ。 キリストの誕生日は12月25日とされていますが、 これは聖書には書いておらず、かつては冬至を1年の始まり(元旦) とする習慣があったため、冬至の日をキリストの誕生日にしたという説があるようです。 またそれは4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマでのことだったとあります。 http://c-cross.cside2.com/html/e10ku001.htm しかし、現在使用されているグレゴリオ暦では 冬至は12月21日~23日です。 3世紀のローマではおそらくユリウス暦を使っており、 ユリウス暦では1000年に約8日ずれますので、 こういったことから冬至の日が25日になったのか、と考えましたが http://www.utopia-net.org/Japanese/0417jesus2.html によれば 昔は、月齢28日間で1ヶ月という「陰暦」を採用していたので、昔の冬至の日は、12月25日頃であった。 しかし、現在では、「太陽暦」を採用しているので、1ヶ月約30日間となり、現代の冬至の日は、12月22日頃になっている。 とあります。 (1)かつて太陰暦を使用していた地域はどこですか。 (2)日本でかつて使用されていた旧暦では冬至が12月25日になることはありません。 2000年から2009年までの冬至の日を旧暦換算すると11月内におさまり、12月となることはありません。 諸外国で使用されていた太陰暦と、日本の旧暦は月がずれていたのでしょうか。 (3)キリストの誕生日=冬至=12月25日となっている合理的な考え方があれば教えて下さい。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- ハロウィンとケルト人の新年
ウィキペディアによりますと (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3) (1)ハロウィーンは、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる。 (2)ケルト人の行う収穫感謝祭が、カトリックを信仰する他民族の間にも行事として浸透していったものとされている。 (3)ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。 (4)601年にローマ教皇・グレゴリウス1世が宣教師にケルト人へキリスト教改宗の策として、「ケルト人の信仰法である木の伐採は行わずに、木の真上にはキリストの神様がいてそのために木を信仰し続けなさいと広めなさい」と言ったのがいまのハロウィンになったきっかけでもある。 太陽暦の新年は1月1日ですが、これは 冬至(12月22日)の3日後(12月25日)がイエスキリストの誕生日であり、生後七日目(1月1日)に洗礼を受けた日だそうですね。 とすると、ケルト人が11月1日を新年にしていたことにも、なにか意味があるのかなあ、と思いました。 質問 1.ケルト人はなぜ11月1日を新年にしていたのでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- 日本の宗教
日本は一応仏教国とされていますが、各宗教の総合計が、総人口の二倍位あるといわれているし、四月六日の、お釈迦様の誕生日は問題とされナあいけれども、十二月二十五日のイエス・キリスト様の誕生には意味もなく騒ぐ、意味がないからいいと言うものではない、また、子供が生まれると神社に行くけれど、死ぬとほとんど仏式・・・。 本当に、一つの宗教を厚く信仰しているのであれば、絶対に、ほかの宗教の儀式を生活の一部として取り入れないと思う、信仰とはそんなにいい加減なものではない。 仏教が日本人の人生観にマッチしたものであるなら、偉大な指導者がいれば、現在のように「葬式仏教」とは言われないで済む筈です。 日本人に、本当の意味での信仰心を持つことはできるのでしょうか。
- ベストアンサー
- その他(社会)
- 生年月日を太陰暦で書いて、出生届を出せますか?
私はもう22歳なのですが、 太陽暦の(つまり西暦の)誕生日より、 太陰暦の誕生日のほうが気に入っています。 理由は、誕生石も高価だし、星座もいいし…ってな単純な理由ですが、 今から役所へ行って、誕生日の変更は出来ますか? 中国や韓国では、太陰暦に誕生日祝いをすることもあるそうです。 その理由は、かなり昔の話ですが、 「5月5日に生まれた男児は、将来、国を滅ぼす。」 という何の根拠も無い占い師の言葉が伝説となって、 本当に5月5日に生まれた男児がいると、 国王に殺されていたという時代もありました。 太陽暦と太陰暦を入れ替えて、殺しを免れたり、 「いや、5日じゃなくて4日だ!」 「あの時間はすでに6日だった!」 等、言い張っていたそうです。 じゃあ日本人は関係ないじゃん!と思うけど、 変えられるものなら太陰暦の誕生日がいいなぁ! それって可能ですかね?
- 締切済み
- その他(妊娠・出産・育児)
- 宗教の違い・・・(かなり悩んでます)
こんにちは、21歳女です。実は、今付き合ってる彼(26)がある新興宗教を信仰しています。私はそれが嫌でたまりません。。彼の誕生日にもご馳走を用意して待っていたのに、その集会に行ったせいで、私の家に来るのがすごく遅くなったりしたことがあって、すごく嫌でした。あと、彼が具合が悪いからしばらく会えないと言うと、もしかして本当はその団体の所に行くからそういっているのではないか・・と疑う事もあります。もし彼がその団体に入ってなかったらそういう事はないのにと、すごく悲しい気分です。その団体はボランティアを売りにしていて、彼はそれを人助けになるからと信じてやっているみたいです。あと、彼氏がその宗教に入ってすぐ、今まで全然彼女ができなかったのに出来たのも(つまり私の事です)大きかったみたいです。。(+_+)唯一の救いは、家族で信仰しているのではないこと、私に勧誘をしてこないことです。色々その団体について調べましたが、よくわかりませんでした。このままでは駄目だと思い、もうきっぱり別れようと決心しました。でも、彼と逢うと彼が宗教を信仰している人という事をすべて忘れてしまいます。その時は、その幸せがずっと続いてくれればいいのに・・・という感じです。そして、デートの最後の方ではやっぱりすごく好きだという思いに変わってしまいました。会えない時は、いつか別れることを考えるといつの間にか涙が出て、夜眠れなくなる事もあります。 前に彼に宗教を辞めてほしい旨を話したのですが、理由がないのに辞めることは出来ないといわれ、それでも私が折れなかったら、少し考えさせてと言われました。でも、その後私が怪しいカルト呼ばわりをしたら、怒って出て行ってしまいました。だからそれからはその話は切り出せないでいる状態です。私はできれば彼氏と結婚したいと思っています。(彼もその様な話題を出すこともあります。)彼は私のことを大切にしてくれているし、人間的に尊敬できる部分もたくさん持っています。あと、子供嫌いな私が、この人の子供なら絶対に欲しいと思う事もあります。(ちょっと極端ですが・・)でも、彼がそのまま宗教を信仰し続けるのも嫌なのです。。そう思う私はわがままでしょうか?やめさせる一番いい方法はないでしょうか?非常に困っています。いいアドバイスいただければ嬉しいです。。
- 締切済み
- 恋愛相談
- 日本人の宗教観
こんにちは。 日本では信仰が根付いておらず、宗教はあくまで冠婚葬祭等における習慣として残っているところが大きいと思います。 むしろ宗教に対してはネガティブな印象を持つ人が多いのではないかとも感じます。 「神様がいる」と信じている人はかなり少数なのではないでしょうか? それなのに、毎朝の占いで一喜一憂してみたり、お金を払って占い師に見てもらったり、おみくじで一喜一憂したりお守りを買ったり、祈祷やお祓いをやってみたりと、なんというか矛盾してるなーと感じます。 普段は神様を信じなかったり、信仰心の強い人を見て気持ち悪いと感じたりする人が、いざと言う時に神頼みをするというのはちょっと自分勝手すぎないでしょうか。 なんなら、イエス・キリストの誕生日にケーキを食べて、大みそかには除夜の鐘を突き、お正月に初詣に行く、という具合でしっちゃかめっちゃかに宗教を取り入れて楽しんでいるのに信仰に対して悪いイメージを持つ時点でもうめちゃくちゃだと思います。 なぜこのような状況になってしまったんでしょうか?それとも私が勘違いしているだけで、ほとんどの人が神様の存在を信じているのでしょうか?
- ベストアンサー
- 超常現象
お礼
木胡桃さん、何度もありがとう。 そうですか。占星術、古代天文学。 面白いですね。 ナザレのイエスは一応ご存在されたにしても、いろいろ付着や脚色で編集され、信仰と解釈とともに伝承されてきているのですね。 天体やアストラル界の運行に関る、当為はわれわれ地上のものに多大の影響があるにしても、すこしつぎはぎが目立ちますね。 真にありがとう御座いました。 おじいさんですので、昔のことばしかいえませんが、木胡桃さんの謦咳に久方に接して欣快のいたりです。