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モノの正体

yosiochanの回答

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  • yosiochan
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回答No.7

私は以下のように考えます。 それを認識する存在がなくても、りんごが存在するというなら(りんごだけ残っているという認識があるなら)、存在意義はあるでしょう。 でも、存在という定義が、認識されて初めて存在するというなら、りんごは存在しようがないです。存在の意味があるとかないとかではなく、モノが存在するということイコール存在を認識されているですから、りんごを認識するものがない世界ではりんごの存在はないイコール存在意義はありようがない、と言えます。 そもそも「意味」ということ自体、それを意味づける主体が存在するわけで、主観的な評価(価値)だと思います。主観者なくして、「意味」はありえないのです。 つまり、りんごだけ存在することはありえず、ましてや存在しないものに存在意義など問えることはできないのです。 あなたと私は「存在」のあり方が違うようです。私の世界ではりんごを認識するモノのいない世界にりんごは存在せず、「誰にも知られずリンゴは自分の生をまっとうするだけです。」はありえないのです。

englishboy
質問者

お礼

不可知論ですね。とはいっても、やはり、、「誰にも知られずリンゴは自分の生をまっとうするだけです」という世界はあるでしょう。この宇宙がそうです。われわれは見えるものしか見ることができません。しかし、見解は異なっても実体はひとつのようです。 あなたをこのスレッド最高の回答にします。 20ポイント! おめでとう!

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