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箴言

箴言ってなんであんなに淫らな女の話があるのですか。

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回答No.2

「箴言」についての 歴史的(歴史の資料的)には、私は無学ですので欲解かりませんが、 ソロモン王が著者とか いや、もっと多くの人が書いたとか言われてる宗教書についてですよね? その中身も読んだことは無いのですが、 そのような時代に何故》淫らな女の話《がたくさん書かれたりしたのか?   そういう事実に対しては 人生を考える上では重要な点があると思っている人間ですので、 回答を書いてみたくなりました。 無学な63歳のじいさんではあるのですが、 じつは踊り心の世界を追求してきた人間でもあるので、 そのへんのことから書きます。 宗教舞踊以前にも 人間は森の中の生活の様々な場でむしろ自由自在な動きで心と心を表現し合っていたと わたしは思っています。 そのへんは詳しく書くと長くなりすぎますので略しますが、 言葉の発達以前にも 言葉にはとらわれない、また時には後の言葉でとらえられる精神にも勝るような感性の世界があり、 その感性の力で 人間は現代の最新のモダンバレーより以上の表現舞踊を踊っていたということが私の説です。 そのへんはよく解からなくてもいいのですが、 やがて言葉が発達し 村と村に交流が生まれ 社会が大きな単位となってくると、 そこにその大きな単位の社会の秩序を守るための 法律とか、その法律を権威化するための宗教が生まれ始めたわけです。 その過程で 生まれた道徳が、宗教の教えの世界を生み出しました。 殺してはいけない 盗んではいけない、とかいう法律や掟(おきて)や、教えとかは、 何もモーゼの教えだけでなくて、 世界中にその頃に生まれてきているわけです。 もともとは、 人間は 自然にも思いやりがあったのです。 心と心を通わしあっていたのです。 森の中で 森を愛し、心に人を愛するユトリも持ち、 小さな単位で安定した心を享受(きょうじゅ)していたはずなのです。 だから その世界では、 男女の間に 不浄とかいやらしいとかいう概念は無くて、 セックスももっとおおらかで 現代人がかかえている性の多くの問題も無く、自然なままで そこから肉親の愛情の世界を生んでいたはずなのですが、 それが 掟(おきて)とかが必要な経済社会が生まれてくると その大きな社会を守るために、  知識が増え、 言葉が発達したぶん、 心の世界や感性の世界はむしろ不自然となってしまってしまったと思います。 宗教舞踊が起こると それは形にはまった踊りの世界が始まりました。 舞踊史の世界では、 歴史の資料(言葉による資料)からの学問ですので、 まずこの歴史には宗教舞踊からはじまり、それが娯楽舞踊に変わってゆき、 その後に始めて表現舞踊が生まれたということになっていますが、 それ以前に もっと自由な そして豊かで暖かい人と人との交流の世界があったということなのです、 そういうもっとあたりまえの生き生きした自由な踊りの世界とともにです。 が、 そこに 家族制度が 制度として 世界中に出来上がってゆきます。 それは必然とも言える面もあるのですが、 ともかく、ここに  結婚制度以外のセックスは 禁止するという法律が生まれ、  それを後押しして根拠づける昔の人の考えから、 宗教でも そういうセックスを姦淫、淫らな性の世界、 ふしだらな世界、不浄の世界というふうに 世界中でそのような考えの押し付けが生まれてしまったわけです。 箴言は 旧約聖書というキリスト教と関る世界でしょうが、 イスラム教でも自分の妻を 目しか表には見せないような 窮屈なファッションに押し込めてしまいましたよね。  やっと 現代になって すこしづづその辺も自由となったようですが、 ずいぶん長い間 不自然な戒律が続いてきてしまったものですね。 私が言いたいことは、 単に では フリーセックスが自然だとか、ナンパをすべきだ^^とか いったことではないですが、 ほんとうは、セックスというのは 自然な愛情の世界の中では これ以上無いようなすばらしい世界であり、 人間の心にとってとても大切な世界だということです。 法律はたしかに 私たちに必要なことです。 みんなが それで美味しい魚を食べている網としての本質的な意味での常識の世界も大切な世界だったりします。 でも そろそろ、 もっと自然な愛情の世界から 物事を考察しなおす必要があると思いますし 次の時代にはそこまでをしっかり考察された社会になってほしいと思います。 キリストは、 、それまでの法律の世界に反旗を翻して 愛の世界を説いた人であるわけですが、 セックスに関しては ヨハネ書とういう新約聖書の中で、 「姦通(家族以外の異性とのセックス)は悪るいことだとされてきた、だが私は言う。 心の中でも姦通した人は 姦通したことになる」といいうふうに言っています。 さて、これで変なことが起こりました。 姦通はいけないことというのが宗教の中で当たり前のこととして すでにあまりにもはっきりしていたので、  これで心の中でも異性とのセックスをイメージしたら罪になる、と解釈されてしまったのです。 ほんとうは、 イメージであろうと、実際であろうと 不自然なものは不自然です。 いやらしい気持だったり、強引だったり、 自己本位だったり、 相手に寄添うような自然な愛情がそこになかったら、それがキリストにとって 愛という法律の完成形にとって罪だったわけです。  が 誰も それを理解しなかったのだと思います。 キリスト教会の教えもそのへんは、まったく逆なことになっていってしまったのです。 今では もっと深い地点で理解されていることでも、昔は、たとえば、ひどい暴力の夫から やっと逃げ出し妻が 神の名の下、教会の権力で捜索され、 さらにひどくなるだろう暴力下に引き戻されてしまった歴史もあったりします。 神こそ、偉いとかかいいとかではなくて、愛そのものであるはずなのにね。 laimugiさん、 今こそ、 すばらしい男女関係を お互いより深く思索しあう時だと 私は思っています。 もし イメージだけで (手淫なんて使わず似ですよ) 愛情豊かなセックスや男女の心の交流を想像できたなら、  それだけでも 心静かになり私たちの心は深く癒やされたりします。 そうしたら、 結婚制度よりも もっと強力な人口の自然な統制も可能と思いませんか?    禁欲で かえって爆発するようなこともなく、かといってフリーセックスの混乱もなくなるでしょう。 おそらくキリストが言いたかったことは、そういう世界を意味していたのだろうと思うのです。 laimugiさんは どう思われますか?

laimugi
質問者

お礼

奥の深いお話ありがとうございます。 わたしはまだ若くてセックスとか、愛についてもまだよくわかってもいないのかもしれませんが、arayata333さんのおっしゃるような、そういった愛とかのとらえ方があるべき形だと、私も思いました。 私がおもうに、好きなものは好き。愛っていうのは、本来そういった自然な気持ちで、他に邪念?とかいらない。それで、自然に解け合うように・・・っていうのはまだたぶん自分にはよくわからないとは思うのですが、本当にそういうものだと思います。 なんにも知らないそのまんまの人間が、そもそも「やましい気持ち」なんてもの、その概念のようなもの自体がないんじゃないかと思います。 それが、今はその概念が、一般的になってしまっている。大人やメディアの影響なんじゃないか・・・とか勝手に少し思ってみたりもしてますが ま、まだわからないことだらけでなんともいえないところもありますが。 私も少しは、愛と思われるような気持ちは持ったことはあるので、そういう汚い不自然な気持ちはなくなってほしいと思います。

その他の回答 (1)

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8861)
回答No.1

著者(ソロモン王)が 女好きで苦労したことを、伝えたかったのです(@^^)/~~~ zzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

laimugi
質問者

お礼

へ~ まじっすか(笑) ありがとうございます

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