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五木寛之さん、仏教哲学がわからない
よろしくお願いします。 五木寛之の親鸞などの思想をもとに書かれている 本はもともと執着を離れる意味で 努力を重視しないという思想があるように感じるところが ありました。 ただ、あくまで執着の害悪をといているだけで否定するものでは ないのだろうなと思っていました。 ただ、最新の本に 『努力するのは自分が特別でありたいという心から(欲望的好意) そもそも人の営みの中で努力はしてもしなくても変わらない 誤差のようなものだ』 と努力を否定するようにも取れる表現がありました。 もちろん、親鸞と言えば悪人正気説ぐらいは思いつきいますので 努力をするから救われるというものではないという事はわかります。 であれば、仏教は執着を生む根源として努力を否定しているので しょうか? 五木さんが伝えたいのもそういう事なのでしょうか? また、例えばそうだとすると、皆が全く努力をしないとすると 世はすさみ疫病と餓死の累々と死体が転がる世になるでしょう。 たしかに、執着と煩悩は消えるかもしれませんが、その世が 仏教が希求する世界なのでしょうか? ご専門の方、体系的に理解されている方、どうしても抽象論に なりがちですが、本質的なご教授をいただけたら幸いです
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