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五木寛之さん、仏教哲学がわからない

mmkyの回答

  • mmky
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回答No.5

追伸 仏教は「欲」を否定しているわけではないですよ。「食欲、色欲、名誉欲、・・」これ全部なくしたら死体ですからね。 断食して即身仏になるばかな坊主もいますが要は死体でしょ。死んでも餓鬼地獄にしかいきませんよ。 こんなばかな坊主よりはニート坊は生き抜いてるから良いほうですね。 仏教は「欲」を管理しなさいといっているだけですね。欲も行き過ぎると身を滅ぼしますからね。肉体から生まれる欲を心で管理しなさいといってるのですね。例えれば肉体はいろんな種類の自動車、それを運転する運転手が心といったとこですね。運転手がハンドルの手を離すと自動車は暴走するからね。 社員が出世欲で社長になった。いいことなんですよ。なぜなら社長になれば数百,数千の家族の生活が肩にのしかかるのですから自我欲のままでは生きられないですよ。また多くの家族の生活を守るということはよいことなんですよ。また、社長を下りればただの老人ですからね。その現実に直面しますから大いなる学びはあるのですね。 ニートよりは社長になったほうがより多くの経験がつめるので良いということですね。努力精進の勧めとはより多くの経験を積めということでもあるのですね。そこで欲との付き合い方も極端はだめ、中道を心がけなさいというのが中道の教えですね。中道だから課長でいいと言ってるのではないですよ。あくまでも欲は際限ないからいつも自身の各位置での中道を確認せよという意味ですね。 なんにせよ仏教は高等哲学で二重否定論理を駆使してますから単純な解釈では外道(仏道を外すという意味)になってしまうのですね。山の尾根を歩くようなものですから難しいといえば難しいですね。どちらの谷へでも簡単に転がり落ちるのですね。転がり落ちても念仏やお題目、アーメンの救いはあるということでしょうかね。でもそれは仏教の尾根ではないことは知っておかないとね。 最澄が中国天台の教えががわからず谷底ですから、弟子筋の親鸞も日蓮も尾根にいられず谷底で仕事したのでしょう。五木さんもその流れですからわからないのは極自然なのかもしれませんね。

remonpakira
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >>仏教は高等哲学で二重否定論理を駆使してますから >>単純な解釈では外道(仏道を外すという意味)になってしまうのですね ようやく得心し、少し仏法がわかったような気がします。 >>五木さんもその流れですからわからないのは極自然なのかもしれませんね。 確かに反論はできないけど、五木さんの意見は極端だなーという と自分は感じていたという事も今回始めて気づきました。 ありがとうございました、

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