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仏教・老子の哲学について良書を教えてください。
最近仏教や老子の哲学に惹かれ、NETなどの記事を見て 勉強しているのですが、なかなか知りたい事について 的確に書いてある記事を探すのが難しく、その思想的中立性も よく分からないので、もうちょっとちゃんとした専門書で 勉強したいと考えるようになりました。 そこで、仏教や老子の哲学について詳しい方に、 良書を紹介して頂けたら…と思い、書きこませていただきました。 仏教は特に仏陀や釈迦といった「初期仏教」の中でも、 特に「人間が苦しみから逃れるには煩悩や執着を捨て去らねばならない」 というテーマにすごく惹かれ、そのテーマを中心に実践的な 哲学を学びたいです。 老子に惹かれるのも、似たような理由です。 書籍の選択に当たっては、まず入門的なもの、新書や岩波文庫の ような価格が安くお手軽なものが読みたいと思っています。 皆さんよろしくお願いいたします。
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<<でも仏教としては大乗仏教よりもずっとオリジナルに近い雰囲気ですね…大変興味があります。可能なら両方とも学んでいい所取りをしたいですねw。(まぁそういうのは邪道なのかもしれませんが…)>> 邪道ではありませんよ。 比較・研究をすることはお釈迦様(パーリ語の仏典のほうですでど)の推奨するところだと思います。信仰より納得ですからね。結構勉強しなきゃ納得はなかなか出来ないですから。 学者さんのパーリ語の訳ですが、全てを真に受けるのも注意が必要だと思います。間違いもあるでしょう、実践者ではないでしょうから…。言葉にとらわれず、そこから読み取れる意味を自らの糧とするとともに、パーリ語と実践に精通した方に質問することは有用なことと思います。 徹底的に調べてみてください。 大乗仏教が批判するところがパーリ語の仏典に見つけられるかどうか。批判を覆すものは無いかどうか。なども たとえばpupurpu様のような<<欲望から離れれば、食欲などを絶とうとすれば死んでしまいます。>> という批判に当たるところ(欲望を全て捨てて食欲も絶てといっている)はそもそもパーリ語の仏典のどこに載っているのか、どのように語られているのか。その批判に反することは語っていないか。 そのようにしてやってみてください。 今のところ兄弟の語る批判のなかで、うなずけるだけのものに出会ってません。 なぜ低レベルといえるのか。 なぜそのような批判が出るのか。 知りたいのですが… バランスよく自利利他の実践を語っているように思いますし、煩悩を煩悩を滅するために役立つ形で使うことも語っていると思いますし… ちなみに当時の「小乗仏教」と呼ばれた、部派仏教はひとつも残ってないようです。 パーリ語の仏典・大乗経典で語っていることは本当だろうか?反論は成り立つだろうか?論理的穴は?道徳的な穴は?実践的な穴は?と徹底的に調べていきましょう。 「知っていないのに私は知っている。私は正しい。他は間違っているとしてはならない。」「根拠と範囲を示す」(真理の護持)という態度で、対立・争い・怨みを避け、見解を研究し、データにもとづいて新たなベターな見解を再構築するように精進いたしましょう。 では幸福であれノシ
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- pneuma
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老子に関しては歪められた解釈が氾濫しているので、その道の学者の書いた書物をしっかりと読むことから始めるのが宜しいと思います。 楠山春樹『「老子」を読む』(PHP文庫)・・・『老子』の訳と解説 金谷治『老子』(講談社学術文庫)・・・同上 蜂屋邦夫『老子』(岩波文庫)・・・最近のもので、解説が充実 このあたりの本は、まともに書かれていて良書といえます。あるいは 『老子』は断片的で、全文を一度に読むのは疲れるという方は、 楠山春樹『MY古典 老子のことば』『老子入門』(講談社学術文庫) を手始めに読んでみるのがいいでしょう。 仏教に関しても捻じ曲がった解釈が紛紛としているので、仏教学者の良質な著作を読むことをおすすめしますが、釈迦自身の思想はすでに復元不可能となっており、また扱う資料やその解析方法の差異によって学者の間でも見解が相当異なっていることに注意して下さい。 中村元・他『原始仏典』(筑摩書房)・・・原始仏教の資料集成 中村元の岩波文庫で出版されているもの多数 初期の仏教に関する入門書は数多く出ていますが、 中村元『原始仏教―その思想と生活』(NHKブックス) は大事なところを正確に書いた良書です。(大乗仏教は初期の仏教の思想を探るにはあまり重要ではありません) 老子や釈迦の思想を学ぶのであれば、孔子・孟子・荘子やヴェーダ・ウパニシャッド等の思想も併せて学習すれば理解が深まります。 こういう昔の聖人は、現代でも電波な言葉で語られることが多く、 世間では間違いだらけの本が飛ぶように売れていますが、大事なのは 自分の頭を使って経典を読み、考えていくことです。一般常識なるものに振り回されないように。
お礼
アドバイスありがとうございます。 とりわけこういう思想に関しては、学者ごとに見解に相違があったり 主流になっている学説が必ずしも正しいとは限らないこともあって、 難しいですよね。 そういう意味でも有識者のご意見を頂けることは 大変助かります。紹介して頂いた本も是非読ませていただきたいと 思います。 ありがとうございました。
老子の読み方ですが、老子の言いたいのは、人の心を宇宙の心にチャンネルをあわせる方法です。そのためには脳を休ませる必要があります。なぜかというと脳が自我が、宇宙の心と人の心の交流を遮断してるからです。だから内容は脳を自我を休ませる方法です。書いてある事を実践すると脳が休みます。孔子のように人の知恵による人の生き方ではありません。老子の解説はほとんど人生訓のような、間違った解説ばかりです。仏教では地球を仮の世界といいます。また科学者アインシュタインも、仮の世界を前提とした相対性理論を発表し、その後実験により、この世界が科学的に仮の世界である事が証明されました。だから宇宙の大元は完全調和の世界です。完全調和の世界が成長、拡大するためには、まわり、周辺部の不完全、不調和を調和に変換する事が必要です。それで変換する場所として、仮の世界の地球が創られました。ここへ調和の世界から、宗教で言うところの神の子、仏の子である無我が来て、不調和の脳の自我と、合体して人が誕生しました。だから仏教では、脳の自我を分離して無我になれば救われると言います。予言では2012年に仮の世界が終わり、地球が次元上昇して高次元になり、人は脳を分離して無我になり、完全調和の世界へ帰るそうです。
お礼
お返事ありがとうございます。 まず老子の件ですが、これは所謂「無為自然」を説いている… と理解して宜しいでしょうか。この考え方には本当に 共感させられます。人間の肉体も元を正せば宇宙に 偏在する星の屑であると確か天文の授業で習った記憶があります。 人間という存在も、大きな視点で考えればこの宇宙という理の 現象の一つにすぎないのだと私は思います。 ですから、我という執着を捨て、 「人の心を宇宙の心にチャンネルをあわせる」というのは、 とても大事な事であると私も思います。 …とは言うものの、実際問題実践として我を捨てるというのは なかなかに難しいですね。ですが諦めずに自分にできることから 少しずつ実践していければと思います。 アドバイスありがとうございました。
- Quant
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釈尊のさとり 増谷文雄 講談社学術文庫 この本が悟りとは何かを考えるきっかけになりました。100ページ足らずの本です。 スポーツ選手が同じ動作を反復することによって、その動作を身につけることができるように、正しく見、正しく話し、正しく行動し、正しく考えるという八正道を実践することによって脳の思考の枠組みを変え、正しく物事が認識できるようになる。その結果得られる苦の滅失した状態が悟ったということではないでしょうか。八正道を実践すれば、自然に煩悩や執着は消滅するような気がします。 しかし、言うは易く行なうは難しです。八正道の実践、これが一番難しい。なぜなら正しさの絶対的な基準がないからです。何が正しいかはその人の置かれた状況によって変わってきます。何が正しいかを的確に指摘できる人。それが本当に悟りを開いた人なのでしょう。 私はいつまでも、久遠人です。
お礼
アドバイスありがとうございます。 八正道ですか…正に釈尊の教えの「実践編」といった 感じですね。一つに八正道といっても色んな捉え方があり、 ストイックに解釈し、実践しようとすると私のような俗物では なかなかに難しいものがありますね。 悟りを開くには八正道の実践しかないとはいえ、 八正道の教義を完全に貫こうとするなら普通の日常生活を 維持していくのには色々と支障が出てきますので、 そうなると最終的には出家して仏門に入るしかないのかなと思います。 また八正道の教えを守ろうとするあまり、返って余計な思考に とらわれ、苦悩してしまうのは本末転倒な気がしますし、 八正道を実践したい…というものも良く考えれば「欲」ですよね。 その他にも色々考えたのですが、結論を申し上げますと、 やはりこれもまた釈尊の仰る通り「中道」を行くのが 良いのかなと思いました。 あまりに俗物的方向に偏り過ぎてもいけないし、かといって余りに ストイックな苦行に偏り過ぎてもいけない。その時その時の 自分にとっての「中道」を実践するのが良いのかな…と 思いました。 とても参考になりました。 ありがとうございます。
- pupurpu
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>>人間が苦しみから逃れるには煩悩や執着を捨て去らねばならない」 という これは小乗仏教で、今の時代にはあっていません。 もともと衆生を導く仮の教えで高低浅深から言えば、とても低い教えです。 そういう仮の教えから真実の教えに入ります。 大乗仏教では煩悩即菩提という言葉がありますので調べてみるといいですよ。 欲望から離れれば、食欲などを絶とうとすれば死んでしまいます。 そういうことから、仮の教え、高い次元に導くためのものとして知っておくという冷静な態度が必要です。 大乗仏教では欲を善の方向に生かす。というのがあります。 つまり、むさぼっておぼれるか、そこから学習し自己を高めるか。欲に対しての態度が違うと気づく必要があると思います。 ということで、今の時代に合ってないのが小乗教の「人間が苦しみから逃れるには煩悩や執着を捨て去らねばならない」 このとおりにすれば、肉体を殺せばそうなりますので、時代にあってない教えとなります。つまり、今はそれを善性に向かわせる人格を作るほうが時代に合っている。つまり大乗仏教ということになります。 煩悩即菩提を調べてみれば、いい書籍が関連して出てくるでしょう。 仏教は小乗と大乗とに分かれます。また大乗教でも仮の権教と真実の教えの実教とに分かれます。初期仏教は今の時代には合っていません。今の時代は大乗仏教の真実の教えが通用する時代といわれています。 もともと衆生を導く仮の教えで高低浅深がありますので、そういうことを知ったほうがいいと思います。
お礼
大乗仏教と煩悩即菩提については先にWikiの方で 拝見させていただきました。 どちらもなるほど…と思わされる内容でした。 確かに煩悩の火を全て消そうとしても、人間として最低限 必要な欲求は無くせない訳であり、また、向上心や社会的実現 への欲求などは仏教だけでなく人間的成長に必要な欲であり、 むしろ悟りを得るために必要なものでもありますね。 また、流派によってはその煩悩の火を消すために、大変な 苦行を積むそうですが、釈迦は確か苦行を行う必要はない、 ということを言っていたような気がします。 よってpupurpu様の見解、ご意見も大変納得のいくものでした。 それにしても…仏教と一つに言っても、キリスト教にカトリックと プロテスタント、さらに清教徒など色々な流派があるように、 仏教も宗派・学派等によって見解や解釈も 色々異なるようですね。でも、私個人としては、変に原理主義に 走るよりも、人それぞれ多種多様な見解・解釈があって自然だし、 思想として健全なのでは?と考えています。 ただ何事もルーツが大事ですから、まずはそこから入り、 それから(所謂小乗仏教から)近現代の思想へと順番に 入っていくのが良いのかなと思っております。 大変参考になるご意見、誠にありがとうございます。 頂いたアドバイスを糧に少しずつでも仏教の世界に 入っていければと思います。 ありがとうございました。
- magga
- ベストアンサー率15% (56/359)
<<仏教は特に仏陀や釈迦といった「初期仏教」の中でも、特に「人間が苦しみから逃れるには煩悩や執着を捨て去らねばならない」というテーマにすごく惹かれ、そのテーマを中心に実践的な哲学を学びたいです。>> 初期仏教ということは「パーリ語の三蔵」ですね。 訳したものは 「中村さんの岩波文庫」各900円ぐらい 「片山さんの中部・長部経典」こっちは一冊一万近くしますw 実践や説法となるとスマナサーラ長老のものがオススメです。 無料のポッドキャストが大量にあるのでお勧めですし、文庫本なら「仏教は心の科学」は500円程度でかなりの内容だと思います。実践手引きは「現代人のための瞑想法」(900円程度でしょうか)、をオススメします。「ダンマパダの解説「一日一話」「一日一悟」」も手軽に読めていいと思います。 専門的なものというとパユットー師の「仏法」など三冊出てますからオススメです。スマナサーラ長老の「ブッダの実践心理学」シリーズもオススメです。チョッと高めですがオススメです。 参考になれば幸いです
お礼
パーリ語の三蔵… 少しwiki等で調べてみたのですが、 釈迦の死後戒律を変更するべきではないとして、 大乗仏教と袂を分かった流派のようですね。 でも仏教としては大乗仏教よりもずっとオリジナルに 近い雰囲気ですね…大変興味があります。 可能なら両方とも学んでいい所取りをしたいですねw。 (まぁそういうのは邪道なのかもしれませんが…) 流石にいきなり1万もする専門書から入るのも難ですので、 最初は岩波の方から入らせて頂こうかなと思います。 説法の方もポッドキャストを発見いたしました。 とても面白そうですし、為になりそうです。 大事に聞いていきたいと思います。 とても参考になりました。 アドバイスありがとうございます。
- Hyperion64
- ベストアンサー率23% (6/26)
岩波文庫で最近「老子」の最新版が出ました。 ■体裁=文庫判・並製・カバー・454頁 ■定価 945円(本体 900円 + 税5%) ■2008年12月16日 ■ISBN978-4-00-332051-8 老子がちょっとしたブームになってるのは加島祥造さんの影響かも しれません。氏は「伊那谷の老子」と呼ばれているそうです。 「タオ 老子」(筑摩書房)をきっかけに老子に関する思索を次々に 世に問うているのは、反時代的でいい感じだと思います
お礼
アドバイスありがとうございます。 岩波の「老子」ですか~。 岩波は他の思想家の本でも大変お世話になっているので、 是非購入して読んでみたいですね!。 なにより文庫は(重量が)軽くて読みやすいのがいいです。 ありがとうございました。
まずは原典に近いものを、というのなら下記あたり。 ↓ ----------------------------------- ・ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫) 中村 元 (前半が訳文、後半が註) ・老子 (中公文庫) 小川 環樹 (?) ----------------------------------- …なのでしょうね。
お礼
ありがとうございます。 早速Amaz○nで注文させて頂きます。
仏教の釈迦は、脳の自我を否定し、無我になれば救われると言ってます。また老子は、脳の思考による人の知恵を否定し、無知になれば救われると言っています。どういう事かというと、人を苦しめてるのは、脳の思考です。考えれば考える程迷い苦しみます。だから脳が発達していない動物、ペット、赤ちゃんは幸せそうな表情をしています。だから老子や仏教は本を読んでも理解出来ません。脳を休める事を実践する事です。脳を休めないと、釈迦や老子は理解できません。だから仏教の禅は、脳を休める事を目的にしています。また日本の伝統文化は、脳を休めて自然の情緒、心の癒しを追求しています。西洋文化のような、脳の自我に依存した自己表現とは違います。私も茶道や能、演歌、落語、日舞、浮世絵などで脳を休めて心を癒しています。それにより老子や釈迦を理解しました。脳が思考してる時は、人の心と自然の情緒との交流を、脳が遮断するので、心がストレスになります。脳が休むと、人と自然が交流するので心が癒されます。人の心を育てるのは、自然の情緒です。脳の思考ではありません。自然の情緒を行動パターンの基本にしてるのは、世界中で唯一日本人だけです。外国は人と自然が対立しています。
お礼
大変参考になりました!。 詳しい解説をありがとうございます。 脳を休ませる… そういえば仏教の教えで「五蘊盛苦」というのが ありましたね。まったくその通りだと思います。 老子のその主張も非常に共感できるものです。 確か老子は覇者や君子の道ではなく、 世間一般の世人がどうすれば生きやすくなるのかを 説いていたと思います。 万人が聖人君子や覇者になれるわけではないですし、 先進国等が現在直面している低発展、低資源時代を 如何に乗り切るか…という道についても良い指針に なっている気がします。 日本人の行動パターンについては残念ながら、昭和の 頃までの日本人はそうだったのかもしれませんが、 現代人では果たしてそういう生活様式を実現できているかは 不明ですねw。確かに日本文化にそういう潮流があるのは 分かりますが、もはやメインストリームと言えるかは 微妙な気がします。 ともかく、分かりやすい解説、大変参考になりました。 ありがとうございます。
お礼
とても丁寧な解説を頂きありがとうございます。 maggaさんのお言葉を胸に、日々精進していきたいと思います。 大乗仏教と、いわゆる大乗仏教の言う小乗仏教(上座部仏教と言うのが 正しいのでしょうが)との関係や、見解、解釈の違いなども ネットの資料でいくつか勉強させていただきました。 私は大乗仏教で説かれていることも正しいと思いますし、 上座部仏教や部派仏教の教えも正しいと思います。 大事なのはその相違について批判したり差別や偏見を 抱くのではなく、全てを知った上で釈尊の言う中道を行くのが 正しい道なのでは?と俗物なりに考えています。 >「知っていないのに私は知っている。私は正しい。他は間違っているとしてはならない。」「根拠と範囲を示す」(真理の護持)という態度で、対立・争い・怨みを避け、見解を研究し、データにもとづいて新たなベターな見解を再構築するように精進いたしましょう。 本当に仰るとおりですね。ソクラテスは 「無知の知」を説いていますが、「私は知っている」と 知った気になっている時程実は真理から遠ざかっている可能性も あるわけです。頭でっかちの知ったかぶり人間と揶揄されない様 自戒し、これからも精進していきたいと思います。 アドバイスありがとうございました。