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五木寛之さん、仏教哲学がわからない

来生 自然(@k_jinen)の回答

回答No.1

仏教といっても、それぞれが「信じる」基軸が異なれば、様々な解釈が可能な様ですね。。。 たとえば、原始仏典では >>>スッタニパータ(ブッダのことば)、中村 元 訳(岩波文庫) 779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、つとめ励んで行い、この世もかの世も望まない。 <<< とあり、今生や来世への執着を捨ててでも、努力しようとする姿勢が現れています。 仏教が「救うべき対象」としての概念が、大乗系での思索の流れで大きく変遷してきたことも影響していることでしょう。。。 たとえば、 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5265789.html でのNo.1およびNo.2の私の回答を参照願います。 >>>>>> さて「迦羅羅虫」(迦羅求羅虫、伽那久羅虫)を、仏典の成立経緯との関連から眺めると、非常に面白い虫であることが判ります。 1.おなじ「大般涅槃経」でも、原始仏典系から大乗系のものまである。 >>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83%E7%B5%8C​ 阿含経典類から大乗経典まで数種ある。略称『涅槃経』。大乗の涅槃経 は、初期の涅槃経とあらすじは同じだが、「一切衆生悉有仏性」を説くなど、趣旨が異なるので、相互を混同してはならない。 <<< 2.大乗の「大般涅槃経」では、(一度、排除した)小乗系をも取り込もうとしている。 >>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83%E7%B5%8C​ 作成意図 [編集] 上記のように、涅槃経はそれまでの大乗経典を参照として、それらの教説の食い違いや矛盾をこの涅槃経をもって帰結させるという目標のもと成立した経典といえる。 仏滅後の小乗と大乗(声聞・縁覚・菩薩の三乗)の差別的な概念が成立した流れを踏まえ、法華では一乗平等を目標とし示したが、いまだ論理的な説明が成しえなかった。涅槃経は法華経で説明されなかったそれらの教説を極めて明瞭に説明し、すべての教説を融和させようとしたものである。 <<< wikiにて記述されている大乗系涅槃経の訳本の内の2に >>> 『大般涅槃経』40巻〔北本、また大本ともいう〕(421)、曇無讖(どんむしん)訳) <<< とあり、No.1で引用した涅槃経の巻数に一致します。 すなわち、大乗系の涅槃経内に『迦羅羅虫の必ず母の腹を壊りて、然る後生ずるが如し』の文が含まれ、かつ、「父親を殺して良心の呵責に苦しむアジャセ王を」慰めるために使われているのは、まさに、「排除すべきもの」として捉えられている人々をも包み込もうとする意図なくしてはなりたたない文章だと思われます。 このような思想が、浄土系の思想内部で変化するのに合わせ、No.1にて引用したところの曇鸞の「浄土論註」内にて、虫自体も「裂くもの」から「包み込むもの」へと変遷したのかも知れません。 <<<<<< さらに、仏教は、解釈を誤ると、虚無主義へと変容することでしょう。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0878.html

remonpakira
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 虚無主義と努力精進。 この二つが仏教の中でどのように 折り合いをつけているのでしょうか?

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