• 締切済み

青森の尾鮫沼に関する和歌について

 19年前も前のこと、青森を旅した時に高速道路のパンフレットで、尾鮫沼(おぶちぬま)の説明があったのを覚えています。僕は沼縁のセイタカアワダチソウをかき分けて沼に出て、失恋の痛手を負った長い手記を破って湖底に捨てたんです。それから、気を取り直して帰り道新しい絵葉書を買って、尾鮫沼のパンフにあった平安時代のロマンチックな和歌を引いて、さよならの手紙を書いたんですよ。あの時の歌どんな歌だったのか今になって気になります。どこで調べたらいいんでしょうか。知ってる人がいたら教えてください。「尾鮫沼をモチーフにして悲しい恋を歌った和歌」知ってる人がいたら教えて下さい。こんなに心があなたに馴れちゃったのになんて内容だったような気がします。

みんなの回答

  • c2662fly
  • ベストアンサー率54% (45/83)
回答No.1

「尾鮫」でなくて「尾駮」ですね。 尾駮沼をモチーフにした歌は見つかりませんでしたが、「尾駮」を使った歌は見つけられました。 http://www.t-aterui.jp/aomori/a-obutinomaki.htm http://www.mni.ne.jp/~t.iwata/utamakura/utamakura03.html http://www.jtng.com/thrc/p70nanbu/p70-03.html この中に、ご質問の内容に合うものがあると良いのですが。

関連するQ&A

  • 平安時代の美人の条件は教養だけって本当?

    よく平安時代の美人の条件は、顔や体型などの外見とは関係なく、和歌など教養の高さが第一だと聞きます。 顔も見た事のない女性の歌のうまさに惚れ込んで、強引にプロポーズ、という話も聞いたような気がします。 たしかに、「美」 という観念は時代とともに変化するとは思いますが、教養が高いので美人だと信じて会った女性がどんな外見であっても、やはり美人と評価されたのでしょうか? 平安時代より古い飛鳥時代には、高松塚古墳の壁画に代表されるような、ふくよかな面立ちの女性が美人の条件だったと説明を受けました。  この時代では、やはり外見が重視されたのでしょうねえ。  でも、その後の平安時代にはこの条件が全く変わってしまったのでしょうか? 時代はずっと下りますが、江戸時代には浮世絵の題材に美人画が多くありますので、やはりこの時代でも外見が重視されていたように思います。 これらを考えると、美人の条件というのは、教養や品格などの内面性も大事ですが、まずは顔・形、というのが時代を超えた真理のように思えてしょうがないのですが ・・・

  • 鮫って鳴きますか?(小さい鮫?)

    友人と口論になりました^^* 海釣りをしていて小さい鮫がつれたそうです。 そしてそこら辺に?ほおっておいたら「キュー キュー」と 鳴いたそうです。私はうそ~?と思って鮫が鳴くわけないでしょう! といったら・・・ 本当に鮫がキューと鳴いたんだ!いつも小さい鮫をつるとキューっていうから鮫はなくんだよ!!といっています。 仮にキューっと鮫から音がしたとしてもそれは鳴いたのではなく、 水中から地上にきて気圧の関係とかで空気?らしいものが鮫の体から抜けたりしてキューっと音がするんじゃないの?といったら いや、小さい鮫を釣ったことがある海釣りに詳しい人に聞けば鮫が鳴くとのはわかる!といっています。 そこで、小さい鮫って鳴くのですか?聞いたことアル方いますか?

  • 「教える」という沼

    外国人(成人)に自宅で日本語を教えています。 教室を開設して10年が経過しましたが「教える」という職業が(私には)あまりに深く、気が遠くなることが今なお少なからずあります。 4年位前までは教科書にそって教えていましたが、段々カリキュラムの順序(教える文法の順序)に「どうしてだろう」と思うことが多くなりました。 それでも言語学者の方々が研究に研究を重ねて作り上げたカリキュラムですから、必ず意味があるのではと使い続けました。 ある頃から「この文法をこの文法の前に教えては、不都合があるのだろうか」と数年間、我流でカリキュラムの変更を繰り返し実験している間に、学習者の混乱を出来るだけ防ぎ、最小限の負担で学び進める方法論のようなものを自分なりに作り上げました。 同じ学習量を1/3の期間で完成させ、お褒めの言葉もいただくようになりました。 しかし一方で、私自身はいつまでたっても自信がつきません。 教える者として学べば学ぶほど(調べれば調べるほど)底無し沼にいるようで、まだまだ私が知らないであろう多くのことを思うと、気持ちがとても沈みます。 時々、自分を励ますように「親はなくとも子は育つ」という言葉を思い出してみたりします。 この言葉を私の件に引用するのは妥当でないかもしれませんが、私がそこまで切羽詰まって思い詰めなくても、学習者はそれなりに言語を習得していくものかもしれないと少し達観してみるのです。 その他にも、どれほど腕の良い医師がいたとしてもいなかったとしても、結局のところ人は皆死ぬ。 そのような帰結を思うと、少し気持ちが楽になります。 「もっと気楽にありのままを教えればいい」と助言をいただいたこともあるのですが、子供が母国語を習得することとは異なり、成人が外国語として日本語を学ぶにはそうもいかないような気がして(私は海外在住で学習者も日本語を使わなければいけない環境にいません)結果的に自分自身に責任を過剰にかけすぎているように思います。 今年の9月から教室は一旦休んでおり、丸3ヶ月が経過しました。 これまでのことを振り返ると、非常に楽しかった一方で非常に辛くもあります(辛いのは主に自分との闘いです)。 教えるという職業を底無し沼のように重く感じてしまう、という私の意見と同じ方はいらっしゃいますでしょうか。 もし貴方様がそうでありますようでしたら、どのようにご自身と向き合っていらっしゃいますか。 もし貴方様が私と同じ意見でないようでしたら「教える」ことをどのように考えていらっしゃいますか。 違う職業の方が向いているのかもしれないと思うこともありますが、出来ることならばこのまま続けていきたいと思います。 OKWAVEで、私はこれまで多くの質問をさせていただき、多くの気付きをいただいてまいりました。 今回の投稿はちょっと漠然とした私の不安(?)の相談で、とりとめがなく申し訳ありません。 もし何かお気づきのことがありましたら、アドバイスをいただければとても嬉しく思います。 どうぞよろしくお願いします。

  • 簡単な『沼』の造り方を教えてください。

    こんばんは。 TV番組「トリビアの泉」の「ガゼビアの沼」のコーナーに出て来る様な、『沼』を手軽に作れる方法を教えてください。 30センチ四方、27000立方センチメートルの容器で作ろうと思っています。「トリビアの泉」でやっている洋に、葉書などがちょうどいい感じに沈んでいくために、どの様な材料をどのくらいの割合で配合したらよいのでしょうか? 水量・粘性などを考えると、結構高度な物理学の知識が必要なのかもしれません。どうか、無学な私に、3分クッキング並に簡単に作成できる『沼』の作り方をご教授下さい。宜しくおねがしいます。 なお、私の近所に沼がないため、そこから採取する方法は不可能です。

  • 推しに沼りすぎて、、

    中学3年の女子です。私はすとぷりの莉犬くんを推しています。小6の頃からハマり、今では自分のおこづかい等を全部つぎ込んでいます。最近はお小遣いだけでは足りず、親を説得させてグッズを買ってもらったりすることも多くなりました。良くないことなのは分かっています。でも、グッズは期間限定、もう買えない、と考えるとどうしても欲しくなります。ついさっき「またグッズ?もう買うのやめなさい」と言われました。親はアイドルなどにハマったことがないからそんなこと言えるんだ。と少し思ってしまいました。お金を稼ぐのは大変なのは知っています。なのに自分の物欲が勝ってしまい結局親にねだってしまいます。私の楽しみなんです。きっと私には収集癖があるのだと思います。ポストカードやキーホルダーが部屋に大量にあるので、、。「こんなに持ってる自分すごい」と自慢したい自分もどこかにいる気がします。 この癖、どうやったらなおせますかね。。

  • 和歌のことなんですが、ある和歌を踏まえて似たような和歌を作る手法をなんというんですか?

    和歌のことなんですが、ある和歌を踏まえて似たような和歌を作る手法をなんというんですか?

  • 「尾かじり」はどう読むんですか?

    こんにちは。 獣医学を勉強している学生です。 「尾かじり」はどう読むのかきになります。

  • さめさせないために

    僕は、中1で両想いの先輩がいます(吹奏楽部で同じパートです) その先輩の僕のことが好きという感情をけさせないためにはどうすればいいですか。 (さめさせないためにはどうしたらいいかということです)

  • 鮫類

    鮫類で一番おとなしいのはジンベイ鮫ですか?

  • サメについて

    サメは数km先の血の匂いがわかると言うが、匂いは水中をどうやって伝わるんだろう?そもそも匂いって何?化学物質?